新聞のチラシの大半は目を通さず古紙棚に直行させているが、先週のいつだったが偶然こんなのが目に留まった。
B4サイズだったので複合機のA4スキャナで上下2分割でスキャンしたものを貼る。
桶狭間古戦場まつりというのは、うちのブログでは5年前にネタにしたことがある。その後コロナ禍で中断されていて、今年は4年ぶりに再開されるそうだ。
ちなみに桶狭間古戦場はうちの市と隣接する名古屋市で本家争いをしていて、名古屋市のほうでも同じ名称のまつりをやっている。5年前は1週間違いで開催されたので、そちらも見に行ったのだった。
このときは「名古屋市のほうが賑やかだ」と速断したが、確かうちの市のほうはパレードのない土曜日に、名古屋市のほうはパレードのある日曜日に見に行ったので、条件が違うのに比較するのは適切ではなかった。
チラシをじっと眺めると、第6会場の
●武者行列(14時30分~15時00分)
と、第3会場の
●合戦再現劇(15時20分~15時50分)
というのが、どうやらメインイベントっぽかった。
自宅から近いんだし、見に行こうかと思った。
ちなみに名古屋市の方のまつりは、あとでぐぐると今年は5月14日(日)開催ですでに終了しているとのことだった。
問題は足だ。チラシの裏面に駐車場がないから公共交通機関で来てくれと書いてある。駅間の短い私鉄で拙宅最寄駅から一駅だが、パレード出発点の石塚交差点というのはマップで調べると目的駅から遠く拙宅からさらに近いではないか!
徒歩で行くことにした。
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「石塚」交差点じゃなくて「石塚公園」交差点じゃないか。交差点の名前は1文字でも違うとぜんぜん違う場所になることがあるんだぞ!
写真に写っている警備員さんにチラシを示して尋ねたら「ここでいい」とのことだったが。
ただしスタート地点は、ここからメイン会場方向に100mほど進んだところだと教えてもらった。
行ってみると、細い路地で隊列が待機していた。
ルート沿いは、すでにけっこうな人出があった。適当なところに陣取らせてもらった。
目の前を、市のコミュニティーバスが通り過ぎて行った。キャラは「よしもとくん」。今日のまつりもそうだが、うちの市はなぜか微妙に今川義元推しである。
少し待っていたら、先導車が来た。
横断幕。
続いて「マーチングバンド」。武者行列にブラバン? という脳内突っ込みに対して「いにしえの戦争は景気づけなのかバンドが同行して、開戦前に演奏するシーンがアラモや戊辰戦争をテーマにした映画にもあったじゃないか」としなくていい苦しい言い訳をしてみた。だが演目がミッキーマウスマーチだったりしたので、脳内言い訳は諦めた。
役員? 地元の議員? わからんかった。
「鉄砲隊」。本物の種子島は銃刀法の厳しい管理下に置かれ免許がないと触らせてももらえないと、6月3日放送の『ブラタモリ』で言っていた。
幟。巻きついてしまっているが「桶狭間古戦場まつり」と書かれているはず。
「武者行列 今川義元隊」。微妙に義元推しである。
旗指物が鏡文字になるので、反対車線に移動した。
朝比奈泰朝というのは、義元の有力家臣である。
松平元康、井伊直盛、松井宗信、瀬名氏俊。最後尾を歩くのが元康(後の徳川家康)というのが、なんとも。
「戦国姫隊」。ディズニープリンセスならぬセンゴクプリンセスだな。
「武者行列 少女武者」。人質だな(やめなさい
ようやく織田信長隊。
先頭が信長らしい。
服部小平太と毛利信助は義元を討ち取った織田方の侍、柴田勝家と佐々成政は織田家の宿老である。だがなぜこのチョイス? 簗田政綱がいないとか。
「戦国甲冑隊」。名古屋市の方のパレードでは、こうした甲冑同好会のグループが何組も何組も行進していたから、規模としてはやはりあっちの方が大きいのだろう。いいけど。
掉尾を飾るのは「猩々 鳴子踊り」なるダンスグループ。なんだろうこれ? どまつりとかよさこいとかソーランとか、そんな感じ?
ほんとうの最後尾にいたのは救護車だった。「先導車」の対義語は何だろうと考えたが、思い浮かばなかった。救護車は救護車でいいのか。
以後、行列のあとを追ってメイン会場のある高徳院という寺院に移動した。
高徳院の山門。ご覧の通り高台にある。
坂を上がるとかなり広いスペースがあった。5年前にはここには来なかった。
無料パンフがいっぱい置いてあった。土産物や縁起物の販売もやっていた。
カラーちらしがここに置いてあったので1部もらった。他にも大河ドラマ『どうする家康』にちなんだ県内各所のチラシや観光案内がいっぱい置いてあったので、遠慮なく貰って帰った。
武者行列だけで長くなってしまったのでここまでを「前編」とし、合戦再現劇は次回「後編」としてアップする予定。
追記:書きました。
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