所用で京都に行くことになった。詳細はブログには書かないが、たまにネタにする地域労組の会合だ。午後のゆっくりめの時間スタートだったので、始まる前に久しぶりに京都の六地蔵と猫寺を訪ねておこうと思った。
自ブログを調べると、ほぼ一年ぶりである。
この件に限らず、わずか一年前には、災害ボランティアに、献本に、オフ会にと、わりと気軽に遠出していたのだった。なんだか遠い昔のことのような気がした。
「のぞみ」の車内。ガラガラとまでは言わないが、余裕をもって自由席に座れた。
気まぐれで車窓から伊吹山を撮ってみた。滋賀県民と岐阜県南部住民(昔の美濃国)がこよなく愛する名峰である。なんで岐阜県南部と断るかというと、岐阜県北部(昔の飛騨国)には名山名峰目白押しだから、と今日ものっけからいらんこと言いの悪癖。
京都駅の新幹線コンコース。オーバーツーリズムが問題になった頃とは比較にならない寂しさである。
奈良線に乗り換える。
JR六地蔵駅に近づくにつれ、一年前のあの感覚が蘇った。
間違いなく自分の意志で来たにも関わらず、「ああ、来てしまった」という感情に襲われたのだ。
「お前は何をしにこんなところに来たんだ?」という自責。
足のすくむような感覚。
一年前のエントリーに、目印として写真を貼った見附橋。橋の名の通り、ここから目的の場所を見つけたのだった。
橋のたもとから見上げたところ。去年は写真は撮らなかったが、この角度から建物が見えたのだった。今年は取り壊されて見えなくなっていた。
敷地の周囲にはフェンスが廻らされ、ところどころに注意書きが掲げられていた。
写真は貼らない。文字起こしだけを貼る。
おねがい
弊社の許可なく、敷地内の立ち入りは禁止します。周囲は住宅地です。
近隣の迷惑になる行為はお止め下さい。特にご町内に関係の無い方の
敷地内や周囲での次の行為はお控え下さい。
●花や食べ物、火気を使用したもの、ゴミなどを放置する行為
●車及びバイク等の駐停車
●長時間(又は敷地前)の立ち止まり、座り込み
●動画、静止画等の撮影
●その他、日常マナーに反する行為
≪英文:省略≫
株式会社京都アニメーション
地元にはあたりまえの暮らしがあるのだ。迷惑にならないように、短い時間立ち止まり、黙祷した。この場所を訪れること自体、迷惑になっているかも知れないのだが。
少し離れたフェンスに掲げられていた注意書き。
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次の目的地である猫寺こと称念寺に行くには、二条駅まで電車で移動してそこからバスに乗り換える。二条駅への移動には、JRではなく京都市営地下鉄東西線を使ってみた。
Yahoo!時刻表によるとJRの運賃は220円で地下鉄は330円と、地下鉄のほうがやや割高だが、地下鉄は乗り換えなくて済むし(JRは京都駅で乗り換え)、何より六地蔵から東西線に乗ったことがなかったからだ。
初めて降りた市営地下鉄二条駅で「ここ、どこ?」感覚に襲われたが、こういう感覚は嫌いじゃない。
バス停を見つけて、わかった。JR二条駅の一本北の筋だったのだ!
JR二条駅前のコンビニで、お供えのコーラを買った。
京都市営バスに乗り換え、最寄りバス停である「乾隆校前」を目指した。
旧2ちゃんねるスレッド「医者ってさ・・・」
http://ton.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1014187303/
同「無菌の国のナディア」
http://ton.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1016126461/
YY! life (web archive)
http://web.archive.org/web/20021129183134/http://www.eurus.dti.ne.jp:80/~yoyoyo/
『セカンドオピニオン「無菌の国のナディア」外伝 』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886329995
JMDP 日本骨髄バンク
乾隆校前バス停で下車。
5分ほど歩くと目的地の猫寺である。
これまで代参と称してきたけど、ひょっとしたらそれもおこがましいのではと思った。高慢だったのかも知れないと思った。
私はあくまで自分のために祈ることしかできない。
よよん さんが、あのスレッドにいた人達と、どんなDMを交わしているか、私から見えちゃいけないのだ。
例えば関東方面に向けて
「応援していますよ!」と言っているのか、
「いいから休め!」と言っているのか、
私が見えちゃいけないのだ。
もちろん代参という行為自体を否定するつもりはない。
願以此功徳 願わくはこの功徳を
平等施一切 生きとし生けるもの一切に平等に施し
同発菩提心 同じくさとりを求める心を発し
往生安楽国 安楽国に往生せしめんことを
代参の典拠として何度か貼ってきた、浄土教の祖=善導和尚による「回向偈」である。
誰かの代わりに祈るという行為の否定は、東アジア大乗仏教の全否定につながりかねない。
だけど…
こういう迷い、逡巡もまた、忘れるべきではないのかも知れない…
墓前にて合掌、礼拝後、会合の場所を目指して移動した。
その前に猫寺本堂前で見つけた、アクリル板でソーシャルディスタンスを取っている人の写真…と、いついかなるときでも発揮するいらんこと言いの悪癖を発揮して、今回のオチとしよう。
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