しいたげられたしいたけ

災害時のデマ、絶対ダメ!

京都六地蔵~猫寺~京都駅眺望GATE~東寺~東寺塔頭観智院

事の発端は dk4130523(id:cj3029412)さんの、こちらのエントリーでした。

dk4130523.hatenablog.com

 

ぎりぎり直前になって、同行を申し入れることに決めました。ツイッター経由で次のようなDMを送信しました。

ぎりぎりになってからですみません、8月31日京都お昼前、合流します。たぶん午前中は京都アニメーション本社前まで手を合わせに行っています。

 

なお「本社前」というのは間違いで、あの凄惨な事件が起きたのは「第一スタジオ」というところです。

すでに献花台の設置期間は過ぎてしまいましたが、一度は訪れておきたいと思っていたのです。

そうしたら、なんと京アニ前の件ををスケジュールに組み入れていただきました。dk4130523 さんには感謝しかありません! ありがとうございます!

dk4130523.hatenablog.com

 

首都圏から関西は遠いが、名古屋から京都は決して遠くない。新幹線を使えば時間的には通勤圏内と言っていいくらいだということは、たまに書いている。

2枚目の車内の写真は、ツイッターに流したものと同一である。

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JR京都駅の奈良線ホーム。少し早めに着きそうだったので、検索を頼りに場所を確認しておこうと考えた。

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六地蔵駅ホーム。

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JR六地蔵駅の改札前にあった小さな公園から、駅を見たところ。

この写真もツイッターに流した。待ち合わせ場所としてここの公園を DM にて連絡した。

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検索すると、JR六地蔵駅から京アニ第一スタジオまでは徒歩3~4分と至近だった。

この付近で並走する京阪電鉄の六地蔵駅からだと、もっと近いようだった。

山科川という川に架かる歩行者専用橋の上から、京阪電車と六地蔵駅を撮ったところ。

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で、なんでだろう、道すがら、とつぜん予想もしていなかった嫌悪感に襲われるのを感じた。

「自分はいったい何をしているのだろう?」という疑問が、強烈に浮かんだのだ。

それで、自然と歩みの止まるのを感じた。「足がすくむ」というのは、こういうことを言うのだろうか? 

自分が思っていたより、はるかにダメージを受けていたことを、初めて自覚した。

ダメージの正体が何なのか、どこに傷を負っているのか、見極める勇気は今のところまだない。

 

それでも目的地には、あっけなくたどり着いた。

 小さな流れに架かる「見附橋」という橋。

この写真の右側に、現場はあった。

この周辺で立ち止まっている人が何人もいたので、気がついた。

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JR六地蔵駅に引き返し、dk4130523 さんと合流、ふたたび現場に来た。

写真はあえて貼らない。検索すると、生々しい写真がいくつもヒットするので。

住宅地の細い路地を入って行くと、黄色い壁面に生々しい黒焦げの跡が残った現場が、こんなに近づいていいの? と思うくらい間近から見ることができた。

不思議なことに「黒いな」「黄色いな」「壁のこの部分は色が薄いな」といった即物的な感想しか浮かんでこなかった。

 

それでいて、こんなこともあった。dk4130523 さんと合流する前のことである。

たまたまいた地元の人に、尋ねた。

「この道は通り抜けできますか?」

地元の人は、こう答えた。

「私有地ですので」

ハイコンテキストというのだろうか、この短いやりとりだけで、この40日あまりで起きたであろう数々のことが、自然と想像できるような気がしたのだ。

そのことにも、打ちのめされたような気分になった。

 

なんなのだろう、想像できないのか想像できるのか、この矛盾した心的現象は…?

 

dk4130523 さんからは「また手を合わせに来ましょう、何度でも」と言っていただいた。ありがとうございます。そうするべきだと思う、本当に。

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   *      *      *

 

JR奈良線から京都駅経由でJR山陰線に乗り換えて二条駅で下車、市バスで乾隆校前バス停まで移動して、徒歩で猫寺こと称念寺に向かった。

私としては 6月の初め 以来約3ヶ月ぶりのお参りである。

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称念寺の墓参に関しては、私としてはどうしても自分からの多弁をためらわざるを得ない感情がある。

理由の一つとして、リアルタイムで旧2ちゃんねるのスレッドにいた読者と、遅れてきた読者の、いわゆる温度差(この言葉は好きではないが、他に適当な言葉が見つからなかった)について書いたことがある。

その後、こんなことをブコメに書いた。元記事が消えてしまっていたので、文章のみサルベージしてブコメのほうは消しておこう。

あのスレッドを読み返していて、私には何も言葉にできない理由がわかったような…私には想像不可能な痛みを感じている人がいて、私には想像不可能なレベルで他人の痛みを感じる能力のある人たちが確かにいるのだと… 

 

旧2ちゃんねる過去ログより、発言を2つほど引用したい。

63 :血液グループ:02/03/01 17:40 ID : EqFWynyZ
>1
うっす。
今日は昔の患者さんから公開の承諾を貰ったのでメールを貼り付ける。

テレビで骨髄バンクのことやっていた。
私は、今日たまたま、全身にジンマシンが出て、急きょ外来に行ってきたの。
案内のところ(入ってすぐのところ)に○○係長がいた。今は婦長さんらしいね。
すぐに私だってわかってくれた。
変わらない笑顔で丁寧に話を聞いてくれた。マスクをしている人を見ると
あの人私と一緒の病気かなって思ってしまっていた。
テレビを見てすごくあの時のことを思い出した。
今、私が元気だから言えること、あの時の経験は私の人生の宝物だって。
だけど、今、まだ苦しんでいる人、悲しんでいる人がいる。
私だけが、良い事ばかりが恵まれているっても思った。
いっぱい戦っている人がいる。
○○係長に、11月がきたら退院して5年だよって私言ったの。
もう、5年かー。もう大丈夫だねって明るく言ってくれた。
なんか、たまたま病院に行った私。今日テレビを見ていたら、白血病のことやってい
た。
なんか、偶然だと思えなくて・・・。
みんなにありがとうってもう1度言いたくて、メール送ってみた。
あの時、みんながいなかったら、私はこうやって元気にしていなかったと思う。
みんながいてくれたことが私にとってどれだけ、助けになったことか。
本当にありがとう。
ずっと、私は元気でいる。
白髪がはえ、腰がまがって杖ついてかわいいおばあちゃんになる。

http://ton.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1014187303/63

 

72 :血液グループ ◆3xsuyxaw :02/03/25 03:24 ID : kmt6plBk
>>71さま、
思いっきり泣いたかや。
数日、お休みをとりなさい。仕事に慰めを求めてはいけない。
”喪”の時間を自分にあげて下さい。
わしらは自分で思うより弱い人間じゃ。
今はゆっくりしたほうがいい。
へこたれたっていい時もあるさ。

近親者を自分の分野の疾患で亡くすと、患者さんへの思いこみ(過剰共鳴)が強くなりすぎてしまう。
そしてしゃかりきになりすぎて、気がつくと、精神的にまいってしまうがや。
わし自身がそーやってウッツーになってしまったから、余計なお世話かもしれないが言わせてもらう。
3年経つが、まだクスリが必要じゃ。なってしまうと、治るのに時間がかかるよ。

保全ageしとくね。

http://ton.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1016126461/72

kakuyomu.jp

www.jmdp.or.jp

 

バスで四条大宮まで移動して、喫茶店でちょっと休憩、神戸に向かう dk4130523 さんとはそこで別れた。

多弁をためらうと言いながら、この日はけっこう自分から喋ったという自覚があるな。

喋り続けていないと不安定になるような、ちょっと危うい精神状態だったような自覚がある。

dk4130523 さん、相手をしていただきありがとうございました。くどいみたいですけど、何度でもお礼を言いたい気分ですので。

 

時間がまだ早かったので、せっかくの京都ということで、どこか観てゆこうと思った。

四条大宮のバス停から、まずは京都駅を目指した。珍しく京都市バスではなくJRバスが先に来たので、それに乗った。

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京都駅の自由通路を歩いていたら、眺望GATEというのの入口があるのを偶然見つけた。京都総合観光案内所の隣である。

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なんだろうと思って入ってみた。駅ビルのテラスのようになった部分にガラスのはめ込まれたコンクリート壁があって、ところどころ凸状になっていた。

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凸状の部分からは、駅周辺の線路と電車がつぶさに眺められるようになっていた。

他に観光客は、いたことはいたけど数は少なかった。ひょっとしたら穴場というものかも知れない。特に鉄道好きにとって。

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突き当りまで進むと、右方向にビルの外側に折れる階段があった。逆に言うと、ビルの外部から眺望GATEに直接入ることもできるってことだな!

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このあと東寺に向かった。東寺は行ったことはあるが何十年も昔のことなので、久しぶりにということで。

それに近鉄京都線を使うと1駅なのだ。徒歩でも十分OKな距離だが、自由通路から見えた電光掲示板の次便の案内が、ちょうどよい時間だった。

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東寺駅から西方に1区画歩くと、ビルの向こうから巨大な五重塔が突然姿を現した。

塔のある街や、天守閣のある街って、ちょっといい。個人的には天守閣より塔のほうが少し好きかな、って比較するものではない。

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“世界遺産「古都京都の文化財」(京都市・宇治市・大津市)”というのの銘板があった。上の写真の交差点の向かい側隅に、小さく写っている。

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弊ブログ勝手に恒例文字起こし。和文のみ、改行位置変更、ルビある場合は省略、以下同じ。

 教王護国寺(東寺)は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。
 教王護国寺(東寺)は平安京造営に際し、国家鎮護のために建立された官寺のひとっです。弘仁14年(823)には空海に下賜されて真言密教の道場となり、寺院として本格的な伽藍が整えられました。その後、度重なる内乱等によって焼失しましたが、その都度、時の政権の庇護のもとに再建されてきました。現在は南大門、金堂、講堂、食堂、北大門が南北線上に並び、この東南方には五重塔が、西南方には灌頂院が配されて、創建当時の伽藍配置を伝えており、平安京復元の基準としての意味をもっています。
 金堂(本堂)は慶長8年(1603)に再建されたもので、桃山時代を代表する豪壮雄大な建築です。また五重塔は寛永21年(1644)の再建になるものの、復古的意匠をもつ点に特色がみられるとともに、その高さは現存する塔のなかでは最大で、京都の景観的シンボルとなっています。このほか、弘法大師の住房として建てられた大師堂は、康暦元年(1379)に焼失後翌年に再建され、さらに明徳元年(1390)に大師像を拝する礼堂と廊を増築したものが現存しており、寝殿造りの形式を受け継いで優美な姿をみせています。
  登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録
    京 都 市

 

南大門。 

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右の方の、大きな石碑の陰に立っている案内書きを接写。

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 真言宗の総本山で、平成六年(一九九四)に世界文化遺産に登録された。平安遷都とともに延暦十五年(七九六)、羅城門の東に東国(左京)の鎮護のために建てられたのが東寺の起こりで、弘仁十四年(八二三)、空海(弘法大師)に下賜され、名を教王護国寺と改めて真言密教の根本道場となった。
 学僧名僧も多く居住し、朝廷・公家・武家の信仰が厚く、事あるごとに祈祷法会が行われ、中世には多くの寺領も寄せられた。創建の後、度々戦火にかかったが、そのつど再建された。
 五重塔(国宝)は寛永二十一年(一六四四)の徳川家光による再建で、総高約五十五メートル、現存する木造塔としては我が国最高である。講堂(重要文化財)内部には大日如来を中心に仏像が安置され、平安初期密教美術の宝庫となっている。大師堂(国宝)は大師の尊像を祀ることから御影堂とも呼ばれ、寝殿造を伝える数少ない遺構としても有名である。
 なお、五重塔、金堂(国宝)などの配置も古式を示している。これらのほか、仏像、絵画、工芸、書籍等、多数の国宝を蔵し、仏教芸術の宝庫を成している。
 一方、弘法大師に対する庶民信仰も深く、毎月二十一日の大師の命日(御縁日)には「弘法さん」と親しまれる市が開かれ、数万人の参詣者でにぎわう。
 特に十二月の終い弘法には、ひときわ多くの人が訪れる。

 

南大門から境内に入ってみた。

金堂。

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講堂。

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食堂。これらが南から北に、この順で並んでいた。

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食堂 近代
 僧侶が斎時に集って食事をした場所で創建年代は未詳、896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立、千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。昭和5年(1930年)12月21日消失、昭和9年4月竣工、春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である。

この食堂のみが入場無料で、金堂と講堂は有料だった。

食堂には、上の案内板にある観音立像(等身大ほどで、衣装に彩色されていた)と、左右に曼荼羅、それに火災で表面が黒焦げになった四天王像などが納められていた。

 

金堂と講堂も入ってみたが、内部は撮影禁止だったため写真はない。

貰ったパンフレット『東寺』から、内部の写真をスキャンしたものを一枚ずつ貼ってみる。引用の四要件を満たしているつもりだが、どっかから怒られたら消します。

 

まずは P8 すなわち裏表紙より、境内案内図。

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P4 より講堂内部。「立体曼荼羅」というのだそうで、左が金剛波羅蜜多菩薩を四菩薩が取り巻く「菩薩部」、中央が大日如来を四如来が取り巻く「如来部」、右が不動明王を四明王が取り巻く「明王部」、さらにそれらを梵天・帝釈天と四天王が左右から護るという豪華な構成だった。ただしこの日は、金剛波羅蜜多菩薩が修理中とのことで空席だった。

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P3 より金堂内部。本尊薬師如来を日光・月光菩薩が取り巻く、いわゆる薬師三尊が本尊だった。

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有料エリアに大きな木があった。サクラだそうだ。

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不二桜
「八重紅枝垂れ桜」
樹齢120年 目通り1.5m 樹高13m 枝張り7m
  平成18年2月現在
「八重紅枝垂れ桜」とばれ、エドヒガン系の園芸品種で色の濃い八重咲きの華麗な花を咲かせます。移植できるサクラでは国内最大級の大きさで開花は4月中旬です。岩手県盛岡市の旧家で育てられたのですが、平成6年秋田県を経て、三重県鈴鹿市の農園が譲り受けて大切に育てていました。平成18年が弘法大師入唐求法の旅より帰朝せられて、1200年の記念の年であることから、東寺信徒総代で森紙業株式会社最高顧問の藤定輝好氏より寄贈され、この直径15mの円形花壇に移植されたものです。名前は弘法大師の「不二のおしえ」から「不二桜」と命名されました。日本一高い五重塔を背景に、百年二百年後も美しい花を咲かせ続けることを祈っています。
    真言宗総本山 東寺

 

チケットがこのサクラ満開時の写真なので、やはりスキャンして貼ってみる。

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同じじゃないけど似たアングルから撮ろうとした、今の季節の写真がこれ。塔とサクラの位置が逆だな。

柵の向こう側が有料エリア。

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これは無料エリア、境内の北東端の蓮池である。

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宝 蔵 (HOZO) (平安時代)
創建当時は、南北一棟存在し、宝物経巻を収蔵していた。長保2年(1000)と大治元年(1126)に消失して、建久九年(1198)に文覚上人によって再建されたものが残ったとされていたが解体修理の結果、東寺創建に近い頃の建立と考えられる。

 

チケットに “国宝「大師堂」へご参拝ください” と書いてあった。

境内案内図によると北西隅の毘沙門堂の向かいかな?

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毘沙門堂 江戸時代
 天慶二年(939年)平将門の乱の際、都の守護神として羅生門に安置されていた兜跋毘沙門天立像(現宝物館・国宝)を天元元年(978年)7月9日大風にて羅生門が倒壊の後、東寺に移し食堂に安置したりしたが、文政五年(1822年)現在の堂を建立してお祀りした。創建千二百年記念事業で平成六年(1994)年に修復された。

 

その毘沙門堂は、内部で法要をやっているようだった。中が見られるかどうかは、わからなかった。

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その北向かいの、ここが大師堂なのかな? ご覧の通りシートが掛かって工事中だか改修中だかだった。外部からお参りだけしました。

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北大門から境内を出た。

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北大門を出たすぐのところに、観智院という塔頭があるということだった。虚空蔵菩薩像が名高いとのこと。

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ここかな?

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  観智院
 教王護国寺(東寺)の塔頭で、別格本山である。
 延慶元年(一三〇八)、後宇多法皇が東寺西院に三年間参籠され、二十一院を建立されたうちの一つで、杲宝を開基とする。代々学僧が居住し、東寺の塔頭の中で最も格式が高く、当院の住持が東寺の別当職を兼ねた。古来多くの経文、書籍を所蔵し、徳川家康が古書を調査して、一宗の勧学院として後学の用に供するよう命じたことがある。
 現在の建物は、慶長十年(一六〇五)に完成した客殿(国宝)をはじめ、本堂、書院、土蔵、門など、いずれも江戸時代の建築である。客殿は入母屋造、こけら葺の代表的な書院造の住宅建築で、床の間の「鷲の図」、襖絵の「竹林の図」は宮本武蔵の筆と伝えられる。
 本堂には山科安祥寺の恵運が唐から請来した五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)を安置している。
  京都市

 

山門。参詣時間ぎりぎりだったが、この日の最後の訪問先として入ってみた。

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内部は撮影禁止だったので、写真はありません。こちらもチケットを貼ってみよう。

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畳敷きの、民家風サイズの部屋が多かった。明るくて、家具を持ち込めばそのまま住めそうな感じだった。

東寺の金堂や講堂がバカでかく、内部は暗くて土間であったのと好対照だと思った。

古民家を訪れているようで、心落ち着いた。

 

テレビのようなディスプレイが置いてあって、墨絵風のアニメーションの武士が刀のかわりに筆を振るって絵を描いている場面が上映されている部屋があった。宮本武蔵のつもりだったのだろう。

肝心の画は、遠くてよく見えなかった。

貰ったパンフレットからスキャンした画像を。左が「鷲の図(部分)」、右が「竹林の図(部分)」とのこと。やっぱりよく見えないや。 

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虚空蔵菩薩のほうは、チケットの右下にも写真があるが小さいので、やはりパンフレットからスキャンした画像を貼ってみる。

左から迦楼羅、孔雀、馬、象、獅子に乗った像とのこと。

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この日は前半の落ち込みを、ちょうど機嫌を壊した幼子をおやつやおもちゃでなだめるように、後半で何かの偶然が私の鉄道趣味と神社仏閣趣味を使って慰めようとしてくれたかのような、妙な気分を味わった。当方あと何年かで還暦のジジイなのに情けなくもあるが。

 

京都駅までは徒歩で引き返し、近鉄特急を使って帰名した。

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