しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

反児童虐待・書籍寄贈の旅(6の1)猫寺代参と京都市中央図書館

先に書いておきますと、3月31日(日)の寄贈先は、京都市中央図書館、京都府立図書館、大津市立図書館の三件です。

 

弊ブログには神社への代参の記事をよく上げる。だが「代参は誰がやってもいい」の典拠は、仏典からのほうが示しやすいのだ。

願以此功徳
平等施一切
同発菩提心
往生安楽国

浄土真宗の在家で読誦される「正信偈」の掉尾を飾る偈だが、もとは浄土教の祖とされる唐の善導和尚〔ぜんどうかしょう〕による「回向文」である。「願わくばこの功徳を、生きとし生けるもの一切に施し、同じく悟りを求めるこころを発し、極楽浄土に往生できることを」という意味である。

浄土教と言うなら、その教義によれば「南無阿弥陀仏」と唱えるときいつどこでもそこが仏前であり、わざわざ代参しなくてもいいはずだが、今はそれは措こう。

措こうと言いつつ、つい余計なことを言いたくなる。「祈りは時と場所を選ばない」という教義は、どの宗教にもあるんじゃないかな? キリスト教だったら最初に思いついたのがジョン・デンバー主演『オー!ゴッド』という映画のラストの「心の中で語り掛けなさい。私はいつでも聞いている」という台詞であり、イスラム教であれば本多勝一編『殺す側の論理』所収の一寸木俊昭元法政大学教授「カリマ*1を唱え信ずれば、いついかなるときでもムスリムです」という言葉だった。別のソースもあるはずだ。

だが縁のある人の墓前に立ちたいという感情もまた、宗教宗派を超えて、いや宗教無宗教を問わず、誰にでもあるだろうと思う。代参がアリでまたそれが物理的に可能なら、それを拒む理由はないのだ。

 

旧2ちゃんねるの過去スレッドより。

「医者ってさ・・・」 http://ton.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1014187303/

「無菌の国のナディア」 http://ton.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1016126461/

kakuyomu.jp

 

なお、こちらの記事に対する、あらずもがなの言い訳です。

dk4130523.hatenablog.com

 

先週、滋賀県立図書館を訪れたとき、隣接しているのが滋賀医大付属病院であったことは、まったく念頭に浮かびませんでした。このことに関しては、恥じ入るほかありません。

リアルタイムで旧2ちゃんねるのスレッドにいた人間と、遅れてやってきた読者の間には、どうしても温度差(この言葉はあまり好きではないが、他に思いつかなかったので)のようなものがあるように思います。身も蓋もないことを言うと、遅れてきた読者は初めから結末を知っているのです。

例として適切かどうかわかりませんし、またかえって他人に伝わりにくいかも知れませんが、3月12日深夜に東京入国管理局におけるクルド人男性の救急搬送を、入管所員が2度にわたり拒絶した件でも、ツイッターでリアルタイムに状況の推移を読む機会があった者と、事後にトゥギャッターや各種記事を読んだ者とでは、明らかに感情の差があったのではないでしょうか。家族や在日クルド人コミュニティや支持者たちの嘆きと怒号のなか、2度目の救急車がむなしく追い返されたというツイートを読んだ瞬間の「この国はいったいどうなってしまったんだ?」という絶望感は、とにもかくにも翌日の午後になって救急搬送はされたという情報から先に知った人との間では、共有されにくいのではないかと恐れます。

書いてみて、また余計なことを言ってしまったというか、これはこれで主テーマとして別に書くべきだったという後悔に襲われました。

言いたかったことは、遅れてきた読者の一人としては、多弁を慎むべきだという思いがあるということです。 

www.jmdp.or.jp

 

目的地の猫寺こと称念寺の位置を。「称念寺」という名前の寺はマップで調べると京都市内だけでも4つもあってややこしいので、拙記事では「猫寺」という呼称を多用しています。 

 

のぞみ車内。名古屋―京都は運賃さえ気にしなけば通勤圏内と言えるほど近いのだ。

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京都駅で山陰線に乗り換えた。京都駅人大杉! オーバーツーリズムというやつか? 京都のどこがそんなにいいんだ? あちこちけっこういいんだけど(後述

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 山陰線快速。

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JR二条駅で下車した。

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二条駅の東口。千本通〔せんぼんどおり〕という通りに面している側だ。千本通は南北の通りだ。

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上の写真を撮ったあたりの歩道に、こんな萌え絵がはめ込んであったので撮ってしまった。京都市交通局といい京都の行政は萌え絵が好きだな。

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千本通から二条駅をもう一枚。この写真を撮った右側あたりにバス停がある。

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30年以上も前とはいえ元京都市民としては、意地でもバスを使うのだ。けっこう間違えるけど。

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二条駅も猫寺も千本通沿いなので、間違えようがない…と言いつつ後で調べたら猫寺の最寄りバス停は、この「千本上立売」ではなくもう一つ北側の「乾隆校前」というところのようだったが。

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しかしバス停から見えるところにコーラの自販機があったので、結果オーライということにしよう。コーラはお供え用である。

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猫寺山門。一年半ぶり2度目。境内の写真は遠慮しました。

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もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

 

 

ここからは図書館への書籍寄贈の件である。猫寺から京都市中央図書館までは、やはりバス一本なのだ。これが今回の旅を思い立ったきっかけの一つでもあった。

 

今回は乾隆校前から乗った。ところで乾隆校って何だろう? ぐぐったら京都市立乾隆小学校というのがあったから、それかな?

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千本丸太町通バス停で下車。これは千本丸太町交差点の北西隅である。バス停は南東側にあったけど。

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案内板が気になったから撮ってみた。千本通は、かつての朱雀大路である。

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弊ブログ勝手に恒例の文字起こしを。

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  大 極 殿 跡
 平安京で最も重要な施設である朝堂院の正殿「大極殿」は、平安京遷都の翌年、延暦14年(795)には完成。天皇の即位式のほか、正月に行われる朝賀や御斎会、外国使節の謁見など、国家の重要な行事がここで行われた。
 弘仁6年(815)には、地方から19,800人余りの役夫が動員されて大掛かりな修理が行われ、このとき初めて屋根に緑釉瓦が採用されたものと考えられる。
 その後、貞観18年(876)4月16日夜半の火災で焼失。元慶3年(879)10月に再建(第2次)されたが,康平元年(1058) 2月26日に再び火災が発生し、応天門と左方の楼を残して焼失、さらに延久4年(1072)4月15日に再建(第3次)された大極殿も、安元2年(1177)4月28日に焼失し、以後は再建されなかった。
 創建当初の大極殿は、東西11間、南北4間の寄棟造りの建物とみられ、基壇の大きさは推定東西59m、南北24m、朱塗りの柱や組物、屋根の大棟両端には鴟尾をのせ、軒先や棟には緑鮮やかな緑釉瓦で縁取りされた豪壮華麗な建物であった。
 大極殿の位置は、最近まで千本丸太町交差点の北側付近と推定されていたが、近年の発掘調査で朝堂院内のいくつかの建物跡が見つかり、さらに建都から1200年目にあたる1994年には、初めて大極殿の基壇跡が地表下0.6mで確認され、現在ではほぼその位置が明らかとなっている。

ルビ省略しています。いつもながらOCRマジ有能、と言いつつルビは苦手のようなので。

 

丸太町通を西に少し歩くと、こんな案内板があった。

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 平安宮朝堂院跡
 朝堂院は八省院とも呼ばれ、天皇の即位や外国使節の謁見などさまざまな儀礼や国事の行われるところで、朝政の中心の場であった。宮城の正面の朱雀門を入ったところに位置し、北は中和院、西は豊楽院、東は太政官や民部省などの官衙に接していた。
 その規模は、東西約六十丈(約一八〇m)南北約百五十丈(約四五〇m)で、全体が回廊で囲まれていた。正面には応天門があり、両翼に栖鳳・翔鸞の二楼が建ち、応天門を入ると左右に朝集堂があった。さらに会昌門を入ると、大礼の際に諸司宮人の列した十二堂が建ち並び、
 正面の一段高い龍尾壇の上には左右に蒼龍・白虎の二楼を従えて、朝堂院の正殿である大極殿がその威容を誇っていた。東西十一間・南北四間の規模を有する大極殿は、緑彩の瓦で葺かれた大屋根の下に朱塗りの柱の並ぶ華やかな殿堂であった。
 朝堂院は、平安京造都開姶の翌年の延暦十四年(七九五)にまず大極殿が造営され、次々に整備されていった。
 その後数度の火災に会いながらもそのたびに再建されてきたが、安元三年(一一七七)の大火で全焼し、以後再び建てられることはなかった。
 現在のこの地は、ほぼ大極殿の西端ないしその西側の回廊付近にあたり、昭和五十年に平安博物館が発掘調査を行なった。後世の撹乱が著しく、遺構を確認することはできなかったが、大極殿に関係すると思われる多量の瓦類や緑彩の鵄尾の破片などが出土した。
  平安博物館

 

この案内板の通りを北に(写真で右方向に)折れると、石碑のある公園があったが、残念ながら工事中だった。碑銘は遠目のため読めなかった。

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丸太町通に引き返して、もうちょっとだけ西に歩くと、目的地の京都市中央図書館があった。

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A4フォームに氏名、住所、電話番号を記入、

□以下の資料の取扱は、京都市図書館に一任します。
□以下の資料について、京都市図書館からの礼状は不要です。

にチェックを入れて、寄贈完了。

「棚が一杯なのでご希望に添えるかどうか…」と繰返し言われたことが、ちょっと心配だった。

 

さて次なる目的地の京都府立図書館へは、バス停からちょっと歩くことを厭わなければ、バス一本で行ける。東西の通りである丸太町通を、まっすぐ東進すればいいのだ。

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道すがらの車窓から撮った鴨川。市街地の真っ只中に突然こんな風景が現れるところが、京都のユニークな点のひとつである。

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この項続きます。

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*1:「ラーイラーハィッラッラーフ ムハマダルラスールアラー」(アッラアの外に神な
く、ムハッマドはアッラァの御使である)すずさわ書店版 P295