ここのところのニュースは、精神をガリガリ削られるものばかりのように感じられる。児童虐待、有名アスリートや人気芸能人の難病告白、いじめ裁判…事案そのものもさることながら、それに伴って主にネットで流れてくる雑音が、特に精神に来る。闘病中の人に対して政治家のとんでもないコメントが相次いだことといい、児童虐待に関してTVタレントがデマを流したことといい…そしてそれらに対して、定番どころの「発言の一部の切り取りだ」という反論が出たり、反論に対して「発言を全部読んだら余計に酷かった」というこれまた定番どころの反・反論が出たり…要するに当事者がそっちのけになっている。
「お前らいい加減にしろ!」と叫びたいところだが、そう発言すること自体が雑音を一つ増やす結果にしかならない。無言の行の最中に「お前ら無言の行の最中だぞ」と言うようなものだ。
それに問題のどれ一つをとっても、一人の力でどうこうできるような性質のものではない。児童虐待の案件に話題を絞るとして、以前に「児童相談所全国共通ダイヤル189(いちはやく)」のページ経由で厚生労働省まとめの児童虐待に関する統計を読んで、その「巨大な闇」とも言うべき数字に打ちのめされたような気分になったことがあったのだった(18年12月26日付拙記事)。ああ、そう言えば「国の統計が信用できない」というニュースもあったのだったな、とまた考えが脇に逸れる。それもイヤな方向に。
ときに昨年12月26日付ならびにその前日の 12月25日付記事 は、はてなブロガーである 矢川冬(id:yagawafuyu)さんの著書『もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて』に関する感想がメインだった。
矢上さんは目下、ふたつの目標に取り組んでおられる。一つは虐待被害者のための民間シェルターの立ち上げ、もう一つは都道府県立図書館への著書『もう、沈黙はしない』の寄贈である。
『もう、沈黙はしない』第7章では、虐待被害者の逃避先・居場所として
- 児童養護施設
- 自立援助ホーム
- 民間シェルター(支援者運営/当事者運営)
- 職業訓練校
が紹介され、それぞれ長短が論じられている。ごくざっくり言えば、公営の児童養護施設・自立支援ホーム・職業訓練校は規模が大きいが行政による縛りがあり、民間シェルターはニーズに応じたきめ細かい支援が可能だが規模が小さくまた資金的な問題が避けられない。
そしてどこも、予算も人手も絶対量が足りていないことが、多く報道されるようになった。私が知らないことばかりだった。
図書館への著書寄贈については、こちらのエントリーが詳しい。
『もう、沈黙はしない』 の末尾のP172には
この本の収益はすべて、少女の自立のための
シェルター運営に使われます。この本が日本のすべての
図書館に置かれるのが私の夢です。お近くの図書館に
注文票を出していただけたらとても有難く思います。
と書かれている。ところが 矢川 さんのお友達がそうしたところ、図書館ではPOD(プリント・オンデマンド)出版である同書は購入できないと断られたとのことであった。需要に応じて印刷する POD は前払いが要求されるが、図書館による書籍購入は基本的に後払いになるためとのことだった。
そこで 矢川 さんは、全国約50箇所にある都道府県立図書館に、著書を1冊ずつ寄贈することを計画中とのことである。
公立図書館はオンラインネットワークで結ばれており、ある図書館に問い合わせがあった場合、蔵書がなければ都道府県単位で検索して取り寄せてくれるのだそうだ。
勝手に協力しちゃえ!
民間シェルターがまさに立ち上がろうとしている今は、資金がいくらあっても足りないはずだ。何冊分かでも他人が協力すれば、その分の資金はわずかだが確実に浮くことになる。
矢川 さんは「ネクパブPODアワード2019」という企画の結果発表後である4月から寄贈活動をスタートさせる予定とのことであったが、多少フライングしても難は少なかろう。ご迷惑だったらおっしゃってください。
愛知の拙宅からだと岐阜、三重は至近である。東海道線を使えば静岡、滋賀、京都は便利だ。北陸本線には福井、石川、富山への、中央本線には長野への特急がある。奈良と大阪には近鉄特急が便利だ。
なんか別の動機が透けて見えるような文章だな。ええ私はごく軽度の乗りテツですよ。つか改めて考えると、名古屋の交通網って、東京大阪には及ばないものの、ちょっとすごいね。
献本は多分郵送でも受け付けてくれると思うけど、あくまで私の場合、どこかに出かけるには何か理由がほしいのだ。二十年以上前に最初の勤め先を辞めたとき、せっかく暇ができたのだからとちょっと遠出してビジネスホテルを泊まり歩いたことがあった。だがそのときの虚しさ、寂寞感といったらなかった。サラリーマン時代の出張は「自分が必要とされている」という幻想があったが、それがなくなると、こんなつまらないものかと思った。災害ボラティアでも、いや神社仏閣への参拝でもいい、何か目的が欲しいのだ。
これまで何度か書いている通り、ボランティアにせよ代参にせよ、私が何か行動するときは、あらゆる不純な動機を統合して行動の契機としている。
いや今回の場合は、「児童虐待」という巨大すぎる闇に対して、「何か抵抗をしている」という幻想を持ちたいというのが、「もっとも不純な動機」と言えるかも知れない…
というわけで、まずは5冊ほど追加注文してみた。
最初の一冊の寄贈先として、岐阜県図書館を選んだ。
岐阜市には2015年に新装なった岐阜市立中央図書館というのもあって、そちらに行ったことは記事にしたことがある。
都道府県立図書館と市町村立図書館って、どう違うんだ? 検索したところ、 日本図書館協会のHPに、次のような記述があるのを見つけた。
53.都道府県立図書館(以下「県立図書館」という)は,市町村立図書館と同様に住民に直接サービスするとともに,市町村立図書館の求めに応じてそのサービスを支援する。
公立図書館の任務と目標 より
つまり前者には「図書館の図書館」のような役割があるらしい。直後の「55.」には「直接に県立図書館を利用」した場合にも「十全に対応すべきである」と書いてはあるのだが。
なお直前の「50.」には「各市町村の図書館が相互に協力しあうことが必要である」とも書いてあるが、都道府県で一つ選ぶとしたら都道府県立にするのが無難というものであろう。
そこで次に、東海三県の県立図書館の場所をぐぐってみた。おお、車を使えば岐阜県図書館がうちの実家から近いじゃないか!
岐阜県図書館は県庁や美術館と同様、岐阜市の中心部から少し外れたところにある。ということは県庁と同様、おそらく多くの岐阜市民からは「遠い」とか何とか言われていることであろう。とりもなおさず実家がど田舎にあるということだが、それは覆うべくもない。
というわけで、車を使った。乗りテツはどうなった?
何とかなるだろうとぶっつけで現地に行った。駐車場は敷地の地下にあった。駐車場への入口は、敷地西側の道路に面したところにあり、小さくてわかりにくかったが、幸い一発で入ることができた。
こういうとき私は、要領悪く周辺をぐるぐると何度も巡回するのが常である。駐車場を見つけるのに限らずいったいに運転は苦手だから、できれば車は使いたくない。
敷地北西の多分正面入り口から見上げた県図書館の建物。
玄関。
中庭。採光窓がちょっと凝った造りになっていた。
エントランス。
上の写真の左側に見切れたあたりにカウンターがあった。
カウンターにいた職員さんに声をかけ、本を寄贈したいと告げた。
「貴重な本をありがとうございます」と丁寧に応対してくれた。「担当の職員を呼んでまいります」とのことで、何分か待たされた。
ほどなく担当という方がやってきて、やはり丁寧に応対してくれた。ただし寄贈本に関しては選書委員会による審査がある旨が告げられた。拒絶されることがあるということだろう。
まずはバーコードリーダーで裏表紙のバーコードを読み取り、すでに蔵書があるかを調べた。ないとのことだった。
次に、A4のフォームを渡され必要な項目を埋めるように言われた。
断ってスマホ写真を撮らせてもらったが、屋内のことで光量少なかったせいか、ボケボケにしか写っていなかった。
ぜんぜん読めないけど標題に「資料寄附申込書」と書いてある。
右上に「日付」「住所」「氏名」「連絡先」、表に「資料名」「著編者名」「数量」の項目があり、それらを埋めるように言われた。表の右端の「備考」は空白でも構わないとのことだった。
裏面に「審査結果の通知は必要か?」「審査を通らなかった場合は返却を希望するか、処分を一任するか」のチェックボックスが印刷されていた。審査に通ったかどうか、すなわち蔵書に入ったか否かは、検索すればわかるとのことだったので、通知は不要にチェックを入れた。処分は一任とした。
審査の合否は4月に判明するとのこと。
このあたりの応対は、自治体によってかなり違うはずだ。十年以上前だが、自分の出した本をあちこちの図書館に寄贈しまくったことがあるから覚えている。
ただしあの時は、県立図書館と市立図書館の違いなんて調べなかったな。
次の「その2」はたぶん愛知県の県立図書館と、政令指定都市ということで都道府県と同格の名古屋市の市立図書館に行くつもりなので、その時に比べてみよう。
もし 矢川 さんから「やめて」と言われたら、やめますが。
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