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怪談が意外に最新技術好きな理由を逆からたどって考えた

まずはマクラとして、ツイッターで数学好きの人が一斉に反応していたこのツイートを、FF外から引用失礼します。

すごい! と思ったけど、あとで考え直すと、この問題を考えた人はきっと「フェルマーの最終定理を証明に使う問題を作ろう」と思って逆からたどったんだろうなと想像した。

 

数学系のツイートには、どうやって思いついたのか想像もできないものが数限りなくある。ぱっと思い出したところでは、こちらの「最優秀賞」とか。

これはどうやって思いついたかどころではなく、当初どうやって本当に3等分になっていることを確認するのかさえ見当つかなかった。ネットで検索して補助線の引き方を見つけ、それで「なるほど、こうやって思いついたのか」と辛うじて想像の範囲内に降りてきてくれた。

 

もちろんだからといって2のn乗根が無理数になる証明の鮮やかさが、いささかも減じられるわけではないが。

 

蛇足をもう一つ。これは完全にいわずもがなだが、たぶん直近のGoogleアップデートにより、弊ブログではこの拙過去記事がより多くの人に読んでもらえるようになった。

www.watto.nagoya

「南泉斬猫」と呼ばれる禅の公案は、「作者も正解を知らない謎」という出口から逆にたどって考えるとわかりやすい説明ができるんじゃないかという愚考の開陳である。もとよりこれが最適解とは思っていなくて、一つの私案として。

 

さてようやく本題。いつもながら本題までが長いな。

ツイッターFFさんである 渡莉鴉 @Ra_jasmine_ven さんが、こんなツイートをされていた。

なんでも百物語のイベントをやるので語り手になってくれと押しつけられたのだそうだ。

ご本人がSNSで妙なおぢさんたちに憑依されている現実が十分ホラーではないかという突っ込みは措いといて、次のリプをつけさせてもらった。

こういうのは典型的なおためごかしというやつで、相手のためというより自分が喋りたいから喋っているのだが。 

 だから憑依というのだ。ほっとけや。

 

怪談話で怪異が人間に危害を加えた例はいくらでもあるじゃないかと反論されそうだが、ぱっと思い出したところでは…

『源氏物語』の六条御息所

『今昔物語集』の「道成寺」

『雨月物語』の「吉備津の釜」

ハーン『怪談』の「破られた約束」

いずれも生きていた時の怨念が仇をなす物語である。またしても話はズレるが今日的な価値観からするといずれもPCアラームが鳴り響くな。

 

それから両方ともポーだが

『メエルシュトレエムに呑まれて』 

『赤死病の仮面』

などは、今日びの言葉でいう「忖度が通じない相手」とカテゴライズされよう。自然災害とパンデミックだ。

ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)
 

とにかく過去のパターンにない物語をゼロから創るのは大変だが

とつぶやいてみた。

ところが具体例を考えようとして何も思いつかないあたりが、私の才能のなさの露呈である。つかパターン分析で新しい物語を作ろうとして上手くいったためしはない一事例とするべきか。

「パターン1'」のほうで思い出したのは、みどりの小野(id:yutoma233)さんのこちらのエントリーでした。言及、失礼します。

yutoma233.hatenablog.com

自動運転を怪談に仕立てたものだが、えっ、それでももう3年も前の記事なのか!?

 

ITまわりでは「サポートセンター」や「サーバールーム」と「怪談」で複合検索すると、出るわ出るわ。ニュアンスが若干ずれるかもだが、ある意味予想通りではある。

放送局は都市伝説の宝庫だという説も聞いたことがある。

とにかく「基本、人間をびっくりさせる以上のことはできない」というゆるい縛りが、新しい物語を作る上では有効に作用するように思われる、

 

では形容矛盾のようだが「新しい技術をネタにした古典」というのがあるかと考えてみると、技術は後発の新技術に乗り越えられるという宿命を持つため、探すのが少し難しくなりそうだ。古典の中に当時の最新技術の痕跡を探す、という形になるのかな?

いま朝日新聞夕刊で新訳の連載をやっている『ガリバー旅行記』には、スウィフトの時代の時事ネタや最新科学の知見がふんだんに盛り込まれている。火星に月が二つあるという予言は有名だが、訳注によるとどうやらまぐれ当たりだったみたいだ。

先に名前を出したポーだと、あまりポピュラーな作品とは言えないが『週に三度に日曜日』という短編を想起したが、どこが最新なのかはネタバレになるから書けない。『メエルシュトレエムに呑まれて』 、『赤死病の仮面』ともども『ポオ小説全集 3』に収録されています。

記憶ばかりに頼っていないでページをめくり直せば、きっといくらでも見つかると思う。

 

まとめると「怪談は意外に最新技術好き」なのではなく「最新技術をネタにすると新しい物語が比較的容易に書ける」というのが真相じゃないかという私説である。

目新しい道具に奇怪だがありそうな異常動作をさせるというのを思いつけば、比較的難易度低くこれまで誰も書いたことのない作品を産み出せるのではないかという妄想ですが、いかがでしょうか?

「じゃお前が書けよ」という突っ込みは黙殺する。

 

がぜん難易度が上がりそうなのは、パターン2すなわち人間の怖さをいかに絡ませるかであろう。

 

先週の日曜日、実家にいるときEテレの『NHK講談大会』という番組を、観るともなしにぼーっと観ていた。

ちゃんと観たのは後半だけだったが、 前述ハーン『破られた約束』を原作とした「鈴の音」という演目をやっていた。その他に聴いたのは「宇喜多秀家八丈島物語」と「無筆の出世」、いずれも報恩譚である。つかモチーフをやや強引に報恩譚に仕立てた観があった。日本人は復讐譚と並んで報恩譚が好きなのだなと思った。この場合、主語は大きいどころか小さいくらいかも知れない。恩を返す話が好きなのは、ぜってー日本人だけではないだろうから。

 

だが現実には、人間は自分が受けた恩は忘れがちで他人に施した(と思っている)恩は忘れないものだ。「石刻流水」(受けた恩は石に刻め、かけた情けは水に流せ)という言葉があるのは、実践するのが難しいからこそだろう。

 

以下やはり妄想である。ミステリーの「意外な犯人」のパターンとして、主人公が恩を与えた相手が実は主人公に仇をなしていたというのは、あったっけ? 目くらましのため、または主人公に取り入るため、主人公からの恩をあえて着るというパターンは?

 

思いつかなかったので、もし自分で書くとしたらディテールをどんなふうに肉付けたらいいだろうと、少し考えてみた。

その結果、自分の心にダメージを負ってしまった。

あえて恩を仇で返さなければならないほど巨大な怨みというものがあるとしたら、それはどんなものだろう?

あるいは犯人が徹底的なクズで、受けた恩より目先の利益を選ぶことをためらわないという人物造形をするべきか?

常々書いているとおり、私には創作の才能がない。才能のない理由の一つは、このような想像をふくらませるのに楽しみを感じずむしろ苦痛を感じることだろうと思う。

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