ちょっとしたことだが、名古屋駅前まで行かなければならない用事があった。
はっきり書いちゃうと、日雇いバイトの給料を受け取りに行ったのだ。春にやった仲介業者は日払いだったが、秋から始めた今の業者は週払いなのだ。銀行振込もできるが手数料はこっち持ちになる。
これまでは実家への往復のさいに、ちょっと遠回りになるが寄り道していた。だが 昨日のエントリー に書いた通り、今週は雪が激しく降ってきたため引き返してしまったのだ。
なお今朝起きたら、雪は夜のうちに溶けてしまったらしく全然積もっていなかった。隣県の実家周辺はどうなっているかわからない。
そんなで電車でバイト代を受け取りにいくしかなくなった。今週は一度しかバイトをやらなかったから、たいした額ではないが、それでも貴重な副収入だ。
他に何もしないで直帰するのはつまらないから、久しぶりに映画でも観ようかと思いついた。名古屋駅前にはミッドランドスクエアシネマというかなり大規模なシネコンがある。
やっぱり『劇場版 鬼滅の刃』かな、と思いつつ HP の上映予定を見ていたら、特別興行として『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が1回だけあるのを見つけた!
しまった、観ておきたいと思いながら、ずるずるとそのままにしてしまっていたのだ! 私がよくやる悪いパターンだ。
これを逃せば劇場で見るチャンスはあるまいと、ネットで予約した。
こんなに近いのに、ミッドランドスクエアシネマに来るのは、いつぶりだろう? 自ブログを検索すると、劇場で映画鑑賞することさえ半年ぶりだった。
特典として絵ハガキを貰った。何年か前に『聲の形』を劇場鑑賞したときにも何かくれたはずだった。京都アニメーションは意外とこういうところがマメかも知れない。
実はこの絵ハガキは表面のほうが凝っていて、貰った時にはわからなかったけど映画を最後まで観てから見返すと「ええっ、こんなの貰っちゃっていいの!?」という感情が湧いた。なんでそう感じたかという説明は、ネタバレになるからできない。
物語は、過去に二段階遡るという形式をとっている。最初のシーンは、反抗期から折り合いが悪い両親となかなか和解できない女性が、祖母の葬式が終わった後で、遺品として祖母の母すなわち曾祖母から誕生日のたびに届いたという手紙を見つけるところである。
舞台はヨーロッパを思わせる架空の都市であるが、使われている文字はアルファベットとは違っていて読めない。上掲の絵ハガキの表面参照。部屋の中にはプッシュ式ではないダイヤル式の黒電話があるので、現代ではなく少なくとも3~40年ほど前のようである。
実は曾祖母は、祖母が幼い時に亡くなっていて、祖母の誕生日ごとに届いた手紙は、代書業者がしたためたものだったというのだ。
その代書業者というのが、本作品の主人公であるヴァイオレットである。だから物語の本筋は、現代からほぼ一世紀を遡った時代を進行していることになるだろうか。
主人公の名前はヴァイオレットだが、他の登場人物の名前はデイジー、アイリス、エリカ、カトレア…と、英語の花の名前から採られているケースが目立つ。しかし前半の舞台であるライデンシャフトリヒという都市はどことなくドイツを思わせ(現実のライデン市はオランダにある)、後半の舞台となる孤島(名前失念! 大事なところなのに)はフランスを思わせる。主人公たちが戦った戦争は、第一次世界大戦がモデルであろう。
そして戦争後の社会には手回し式の電話機が急速に普及を始めているようで、主人公の同僚の一人は、代書業者として郵便物をなりわいとするがゆえに電話機を「忌々しい機械」と呼ぶ。
はじめ、この物語の主要なテーマあるいは通奏低音は「喪失」かな、と思った。主人公が感情を持たぬまま成長したとされること、戦争で両腕を失い義手となっていること(ただし本業であるタイプライターの操作や日常生活には支障があると見えない程に義手の扱いには熟練している)、登場人物に軍歴あるも軍を離れ民間人になっている者が多いこと、何より主人公の思いを寄せるギルベルト元少佐の生死が後半のぎりぎりまで不明であること、など。
だが物語が進むにつれて、通奏低音というならむしろ「使命」というのが大袈裟であれば「職業倫理」ではないかと思えてきた。
ネタバレかも知れないが書いてしまうと、ギルベルトは孤島に移住してジルベールとフランス風に名乗りを変え生きていた! だが島を訪れたヴァイオレットとの再会をかたくなに拒む。ヴァイオレットはギルベルトが心を変えるまで待とうとするが、そこへ島に来る前に代書の契約をしたクライアントの異変を伝える電信が届く!
ヴァイオレットは契約を遂行するため一旦は島を離れる決意を固めるのだが、そのピンチを救ったのが、本作品中ではこれまで影が薄かった同僚たちの協力で…
恥ずかしながら、ここで第一回目の涙腺崩壊を起こした。
実は上映前に、作品を現実に起きたことと重ねてはいけない、作品はあくまで作品として鑑賞することが制作者に対して誠実な態度であろうからと、決意みたいなものを固めていた。
だが主人公と仲間たちの代書の契約を果たそうとする努力と、京アニのスタッフの皆さんがアニメーション完成のために払ってきたであろう莫大な努力(それはあくまで私の想像によるものだけど)が、つい二重写しになってしまったのだ。
あと、あの小道具はこういう伏線のためだったのかとか、2段階過去に遡るという設定はこの結末を用意するためだったのだろう(ああ、言いたくなった。『たそがれ清兵衛』にちょっと似てる。原作ではなく山田洋次の映画の方)とか、いろいろ気づきが出てきたが、ネタバレになるため書けない。ネタバレしたっていいのだが、ネタバレをやるなら漏れのないよう円盤を買うなりしてリピートしてからやりたい。そういうことをやっているブログは数多くあるので、うちのブログでは遠慮して今のところそこまでやったことはない。
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