前回、劇場に映画を観に行ったのは去年の10月だから、およそ4ヶ月ぶりか。
実は『ボヘミアン・ラプソディ』はその頃から、プロモーションをやっていた。シネマコンプレックスの通路にグランドピアノのイミテーションを置いて、観客が腰かけると曲の方の「ボヘミアン・ラプソディ」が自動的に流れるというものだった。
ほどなく日本公開が始まり、ブログ界隈でもたいへんな話題になった。最初の頃は気になって人気記事をチェックしていたが、数が数で、すぐにチェックし切れなくなった。
ほとぼりが冷めた頃に観に行こうと思いながら、封切館での公開が終了しちゃったらいやだなと思わないでもなかった。ちょうど思い出したときが3月1日の割引き日、いわゆる「ファーストデイ」目前だった。
ネットで検索して予約しようとすると、席がすでに9割がた埋まっていた。ファーストデイだからか、まだまだ人気が衰えていないからなのか。シネコンのサイトは当然ながら新作押し一色だったんだけどね。
上映館はミッドランドスクエアシネマ2だった。新築されてから、ここに来るのは初めてだ! いかに映画を観てなかったかということだ。
集中力がぜんぜん違うから、映画は劇場で見るべきだとしみじみ再認識するようになったのは、わりと最近のことなのだな。
入口。
この建物は、ちょっと引いて撮ると…
実は高層ビルなのだ。
「シンフォニー豊田ビル」というそうで、上層階には「三井ガーデンホテル名古屋プレミア」というのが入っていたりする。
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以下、思いついたことを順不同に断片集として。
ねこー!!(しょっぱながそれかよ?>自分
フレディがブライアン・メイとロジャー・テイラー、少しだけ遅れてジョン・ディーコンと出会うシーンは、背筋に電流が走るよね、やっぱり。
“PAKI” は明らかに蔑称だよね。
念のためあとで検索してみた。「暇は無味無臭の劇薬」さんのところに、説得力あふれる説明があった。
「パキスタン人を『PAKI』と呼ぶのはそんなに問題があるとは思えない。
それってオーストラリア人の事を『AUSSIE』と呼んだり、スコットランド人の事を『SCOT』と呼んだり、フランス人の事を『CUNT(カス)』と呼ぶようなものでしょ」
了解。自分ではぜってー使わない。
これで思い出した。字幕版で観たが、登場人物のしゃべる英語は比較的聞き取りやすかったように思う。字幕とのニュアンスとの違いが面白かった。だがよく言われることだが、日本の英語教育だと「汚い言葉」が手薄になりがちというのが、またしても実感された。字幕には「ゴミ」とか「クソ」とかがガンガン出てくるのだが、聞き取れない。日本に限らず外国語学習では普遍的なことのような気もするが、他国語の事情はわからないので。
肝心の音楽については、あまり語れる知識がないのが残念だ。「ボヘミアン・ラプソディ」のメロディが比較的早い時間に出てきたり、イントロやコード進行の断片で「あ、次はあの曲の話をするのだな」と予想させる演出が巧いと思った。こういうのも「伏線」と言っていいのだろうか?
紛らわしいので以下、曲のほうは「ボヘミアン・ラプソディ」と一重カッコで、映画のほうは『ボヘミアン・ラプソディ』と二重カッコで書いて区別する。
「ボヘミアン・ラプソディ」であれば(よく言われることだが)オペラ、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」であれば「楽器を持たない観客も一緒に演奏させる」など、クイーンは理詰めで曲作りをしているような描写が多かった。なるほどそうだろうな感があった。
クイーンの時代でも、磁気テープはじめ機材はアナログだったのか。そりゃそうか。シンセサイザーくらいはあっただろうけど。
曲作りと言えば、メロディラインやコード進行はとうに出尽くしており、あとはそれをいかに外すか、崩すかだけだとよく言われる。クイーンであるとか、本邦であれば最近の米津玄師であるとか、そのあたりに天才的な才能を発揮しているのだろう。
いっぽう物語のストーリー展開もまた、とうに出尽くしていると言われる。本作『ボヘミアン・ラプソディ』は、古典的な筋運びをぜんぜん外していないなとも思った。ヒーローたちの集結、シンデレラストーリー、偉い人との対立、主人公を襲う悲劇、仲違いと和解…
そう言えば、得がたい成功を収めた人たちが、それによって必ずしも幸せになれずかえって不幸になることがある現象は、よく見かけるような気がするのだが、何か名前がついているのだろうか?
クイーンが最初にEMIから契約のオファーを受けたとき「ラジオに出られる。うまくすればテレビにも」と喜んだのだが、後半でフレディがCBSからソロとして引き抜きのオファーを受けたとき提示された契約金は400万ドルで、観客としては「4億円強? なんだそんなもんか」と思ってしまった。
『成功して不幸になる人びと』という本があることは知っているが、未読なんだあれは。

成功して不幸になる人びと ビジネスの成功が、なぜ人生の失敗をよぶのか
- 作者: ジョン・オニール,神田昌典,平野誠一
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CBSと言えば、駆け出しの頃のクイーンが言及した海外は、日本がなぜかアメリカより先だった。そのわりに日本に関係がありそうなシーンは、ツアー先として“TOKYO” 、“OSAKA” の文字が躍ったこと、フレディの自宅に「金閣寺舎利殿」の御札が貼ってあったこと、後半でフレディが女物らしきキモノをガウン代わりに愛用していたことくらいか。あ、CBSは米国企業、EMIは英国企業。念のため。
言及と言えば、作中で最初に言及されたクイーン以外のアーチストが確かヴィレッジ・ピープルだったことも、ちょっと意外のような。次がマイケル・ジャクソンだったかな? フレディが引き抜きの話を持ち掛けられるとき「世界の音楽市場において、売り上げの4%を占めているのは誰だと思う? マイケル個人なんだ、ジャクソン5じゃなくて! キミならそれを超えられる」みたいな文脈だったと記憶している。
ライヴエイドの話が出たとき、ボブ・ゲルドフに続いて何人もの出演予定者の名前が出てきたが、音楽にさして詳しくない私でもほとんどわかったのは、やっぱすごい。
ヴィレッジ・ピープル、マイケル・ジャクソン、ボブ・ゲルドフらを主人公とした映画も、撮ろうと思ったらぜってー撮れるよね。
それを言い出したら、クイーンの他のメンバーだって、一人一人それぞれ主人公になりうるだろうけど、本作に限っては個別の描写が薄かったことが気の毒ではある。つかみんなイケメン過ぎやろ! いい奴過ぎやろ!
しかしウェンブリー・スタジアムのライヴエイドのシーンは圧巻であった。ピアノの上のビールやコーラのカップの配置まで再現していたことはよく言われるが、あのエキストラをどうやって集めたんだ? あのドローンをどうやって飛ばしたんだ? 検索すれば裏話は読めるだろうから、これから調べてみる。
ラストで伏線なしに、あの曲を出すのは反則だ…
そりゃライブエイドの YouTube 画像を観ていれば知ってるだろうけど、忘れてた。
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