しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを要求しない

【創作落語】決定往生(その2)

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刷り上がった紙が乾くと、和尚さんは大きな菜切り包丁のようなもので刻み始めます。短冊より小さい、今で言うなら名詞大、それをさらに縦に半分に切ったほどの大きさでございます。
文「これは何ですか?」
和「念仏札と申す」
和尚さんは、文さん長さん駄ぁさんに一枚ずつ渡します。札には角ばった文字で「南無阿弥陀佛 決定往生 八十億人」と書いてございます。
和「賦算と言うて、当流のお祖師さまである一遍上人が行われたのをまね、拙僧が若い頃に修行したときに使った版木で刷ったものじゃ」
長「南無阿弥陀仏はともかく、決定往生とは何ですかい?」
和「決定往生とは、阿弥陀さまのご慈悲にすがれば誰でも必ず極楽往生できるということじゃ」
駄「八十億人というのは?」
和「お祖師さまが賦算をされた念仏札には六十万人と刷ってあったが今から500年ほども昔のことじゃから、今では人口も増えたことであろう。万の上は億、六十の上は七十じゃが、そこは気前よく八十億と」
駄「いい加減な」
和「そしてこれもお祖師さまが広められた踊り念仏の真似事じゃが…」
和尚さんは、チンドン屋のような鐘と太鼓を、腹に抱えるように帯び…
和「決定往生八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生八十億人 ありがたや ありがたや」
軽く鐘をチン、太鼓をドンと鳴らして…
和「人通りの多い往来に行って、拙僧がこうして人目を引く。近場の浅草観音さまの参道がよかろう。あそこは聖俗貴賎さまざまな人が集まるところで、なんでもありじゃ。長さん文さん駄ぁさんは、集まってきた人たちに賦算して、つまり念仏札を渡して、治療代への拠金を求めていただく。どうかな」
文「募金ですね」
駄「返報性の原理の応用ですな?」
長「ウィキペディアを見なければわからないようなことを言うんじゃねぇ」
文「ウィキペディアと言えば、決定往生六十万人についても違うことが書いてありますね」
和「ネットに書いてあることをそのまま信じる奴があるものか。」
駄「これに限ってはネットの方が信用できる…痛て! バチでぶたれた」
和「それはそうと、首から下げる浄財箱がちょうど三つある。やまいの子を助けるのに五十両かかりますなにとぞご寄進を、と半紙に書いて張りつけて」
駄「坊さんのくせに汚ねぇ字だね…痛て! またぶたれた」
和「人が気にしていることをずけずけ言うでない。下手な字でも読めるように丁寧に書いた。また難しい言い回しは無用、極力やさしい言葉で言わねばならん。それから決して無理強いはならぬなど、大勢の人を相手にするうえでの心得を、いささか説明せねばならぬが、聞いてくれるかな?」
うなずく三人を相手に、住職は話を始めます。

 

翌朝早く、四人は観音さまの参道へやってまいります。
和「このあたりなら香具師や的屋のじゃまになるまい。では始めるか」
和尚さんは、時に鐘と太鼓を打ち鳴らし、時に盆踊りのように両手を頭の上で振り、満面の笑みを浮かべながら唱えます。
和「決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや
決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや」
(お囃子…募金の場面最後までお囃子が続く)
長さん、文さん、駄ぁさんは、首から喜捨箱を下げ、手に念仏札を持って、通りすがりの人たちに話しかけます。
長「おう兄さん、いいところを通ったね。和尚さんの念仏を聞いたら、極楽往生まちげぇなしだ! これはその証文みてぇなもんだ。受け取ってくんねぇ。お、姉さん姉さん、受け取ってくんねぇ。え、これをどうしたらいいって? 好きにしてくれ。柱に貼っても財布に入れても、邪魔なら捨ててもバチは当たんねぇ。左義長まで待たなくていいと坊さんはおっしゃってる。ただ500年ほどもとっておくと、たいそうな値がつくことがあるそうだ」
文「よろしければご寄進を。難病の娘さんをお医者に診せるおあしです。決して無理にとは申しません。ありがとうございます。ありがとうございます。よろしければご寄進を…ああ、札だけ持って行っちまった。よろしければご寄進を…ああ、また行っちまった」
和「決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや」
駄「念仏札でがす。え、自分は法華宗だ? 法華では弥陀無縁と申す? 衆生を救うのは久遠常住の釈迦如来とのご縁だけ? 宗論は坊さんからきつく止められているが、仏さまの深遠な知恵のほんとうのところは人間なんぞには理解できなくて、ただ山に登る道にいろいろあるようにさとりを目指す道が違うだけなんじゃねえんですかね? どうしても受け取らない? 仕方ありません。え、喜捨はしてくださる? 法華の宗徒がなにより重んじるのはご縁だから? ありがとうごぜぇます!ありがとうごぜぇます!」
和「決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや」
駄「念仏札をお受け取りくだせぇ。え、自分はキリシタンだ? ややこしいのばかりに当たる。キリシタンはお上のご法度ではなかったんですかい? え、自分は外国人だ? 鎖国というのは後世の誤解で外国人は出入りしており、禁教は外国人には目こぼしされていた? 昔の教科書で勉強した古い奴ですいませんねぇ。これは何かって? えーっと、インダルジェンス? 免罪符? 自分はプロテスタントだって怒って行っちまった」
和「決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや」
やがて日が暮れてまいります。
(お囃子、休止する)
長さん文さん駄ぁさん和尚さん、寺に戻って寄進箱を改めます。
長「何文入ってる? 俺ぁ十五、十六、十七…二十文まで行かねぇや」
文「わたしもそんなもんです」
駄「おいらはちょっと粘ったから二十文をちょっと超えた」
和「一日で五六十文というところか、正直そんなものではないかと思っていた」
長「札だけ持って行っちまうやつの多いこと」
文「受け取ってくださらぬ人も、少なくありませんでした」
駄「拠金してくださるのは十人に二、三人もあればいいほうかねぇ」
和「念仏札を授けるも功徳受けるも功徳、念仏を唱えるも功徳聞くも功徳。決して徒労ではござらぬが…明日ももう一遍やるしかありませんが、よろしいか?」
三人「へぇ」
和「ではまた墨を磨ってくださらぬか」

 

翌朝また早く、四人は観音さまの参道に出てまいります。和尚さんまたまた鐘を鳴らし太鼓を打ち、ときに両手を頭の上で振り、満面の笑顔を浮かべつつ…
(お囃子…この日の募金の最後まで続く)
和「決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや
決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや」
文「念仏札でございます。往生の証しに、どうか受け取ってくだされ。え、あなたは神道? ええっと、たしか本地垂迹説というのがございまして、阿弥陀さまは本邦では八幡さまや熊野権現さまにお姿を変えて…ええっ、あなたは神道は神道でも吉田唯一神道? 神道こそが本地、根本とおっしゃる? それは恐れ入りました。それでも寄進はしていただける? ありがとうございます。ありがとうございます」
和「決定往生 八十億人 なむあみだ なむあみだ 決定往生 八十億人 ありがたや ありがたや」
駄「お札をお受けになって…ええ、あなたはムスリム? イスラム教徒でごぜぇますかい? おいらはややこしいのばっかりに当たるな。ラーイラーハイッラッラーフ、アッラーの他に神はなし? あなたがたはアラー、私らは阿弥陀さまと呼んでるだけで…ムハマダルラースルーアッラー、ムハンマドはアッラーの御使いなり? アラーのお言葉を伝えたのがマホメッドさんで、阿弥陀さまのご本願を伝えたのはお釈迦さまで。アッラーアクバル、アラーは偉大なり? 南無阿弥陀仏。ザカード、喜捨? ご寄進いただける! ありがとうごぜぇやす。ありがとうごぜぇやす」
二日もこうして日が暮れてまいります。
(お囃子、休止する)
長「ああ、昨日より減っちまった」
文「私もです」
駄「50文に届くか届かないかってとこか。こうなったらせめて一朱なり二朱なり銀貨に換えて、医者に診せるのは無理でもせめて美味いもん食わせてやってくれと持って行ければ上々ってとこかねぇ…」
和「諦めるのはまだ早い。50両は必ず集まる!」
駄「和尚さんがそうおっしゃるのは心強いが、そう何日も仕事を休めるもんではねぇし…」
長「いざとなったらカカァと娘に代わってもらうが、もう一日くれぇ付き合ってくれてもいいだろう」
文「あっしはかまいません」
駄「おいらも一日くらいなら」
和「捨て果てて 身は無きものと 思いしに 寒さ来ぬれば 風ぞ身に沁む…ではまた墨を磨ってくれますかな」
(この項つづく:次回完結)

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