しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを要求しない

【創作落語】決定往生(その1)

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人の命は地球より重いと申しまして、そもそも人間に値段などつけられるものではございません。しかし金のあるなしが人の命が助かるか助からないの分かれ道という、やりきれない現実もまたございます。
そもそも落語には、人をいくらで売ったいくらで身請けすなわち買い戻した、てな話がいくつもございます。江戸幕府は人身売買禁止令というものを出していて、身売り人買いというのは当時から違法だったんですな。ところがみなさんご存知の通り、年季奉公ということで前渡し金を受け取って、それを払い終えるまでは帰れない。だが前受け金だけでは済まなくて、やれ衣装代だ化粧代だ、いろいろと名目をつけて借金に上乗せされます。しかもそれらが相場に比べてことごとく割高に設定されていて、と。
こういうからくりが行われていたのが昔だけならまだいいですが、昭和の『蟹工船』を経て、令和の今現在も外国人技能実習生と姿を変えて続いているのは、まことに嘆かわしいことでございます。
ところでこの年季奉公の前渡し金、ありていに言えば娘が身を売った金というのが、落語に出てくる額はなぜか50両と決まっております。実直が過ぎて主家を放逐された浪人、酒を半分ずつ注文する貧しい行商人、これから申し上げる噺にも、どこかで聞いた名前が出てまいります。1両がざっくり今の10万円として500万円、安かろうはずはありませんが、人ひとりの命につけられた値段がこれかと思うと複雑な思いがこみ上げてまいります。
いささか長くなりますが噺の筋に関わってまいりますので、江戸時代の通貨制度をかいつまんでご紹介申し上げますと、東日本が金本位、西日本が銀本位、これは社会科の教科書にも出てまいります。これに庶民の用いる銅銭のいわば銅本位、この三つが併存していたわけですな。オリンピックのメダルでございます。そして今で言う為替レートが国の中に三種類あり、必要に応じて両替商で両替したわけです。一両と銅銭を取り換える相場は、江戸時代前期中期を通じておよそ4000文、幕末になるとこれが7000文近くまで跳ね上がって庶民はたいそう苦労したと申しますが、今は4000文で通させていただきます。そして一両の四分の一が一分。ですから一分がおよそ1000文。ここまではまだわかりやすいんですが、一分のさらに四分の一が一朱。ですから二朱金二朱銀が500文、一朱金一朱銀が250文と、だんだんややこしくなってまいります。そして相場が日々違う、金銀と交換するのに必要なのが何文なのかも違うとなると、当時の人はよく混乱しなかったものだと不思議になります。

 

文「おとっつぁんいけねぇ、その金は!」
長「いいや俺は聞いちまった! 聞いちまった以上は知らん顔できねぇ!」
文「だがご近所とはいえ赤の他人じゃねえか。おとっつぁんが金を払う義理はねぇ」
長「何を言うか! 赤の他人がいけねぇと言うなら、おめぇと俺の縁もなかったってことじゃねぇねぇか!」
駄「こんつぁ! なんだなんだ、またえれえときに来ちまったな。長さんところの家族喧嘩は年がら年中の年中行事だが、今日は婿どのとの喧嘩かえ?」
文「これは筋向かいの駄ぁさんじゃありませんか。すんませんがおとっつぁんをなだめていただけませんか」
駄「厄介ごとに巻き込まれるのはご免だぜ、と言いたいところだが訳を聞かなきゃ話になんねぇ。長い話になるのでなければ、まずは聞かせてもらわねぇと」
長「おお、駄ぁさんか。長い話であるもんか。うちの裏手にこことさして変わらぬ貧乏長屋がもう一棟あってだな、そこに住んでる家族の8歳になる娘っ子が悪い病に侵されて、近所のヤブの町医者が早々に匙を投げやがった!」
文「おとっつぁん、ヤブだなんて…しかしお医者さんの言うには、麹町にたいそう腕のいい蘭方医がいらして、その方に診せれば治して下さるかもしれないとおっしゃるんです」
長「なんでも死んだもんでも生き返らせちまうそうだ」
駄「いくらなんでもそれは大袈裟だろう。そんなことができたらお上が権現さまを生き返らせる」
文「とにかく未来からタイムスリップしてきたんじゃないかと噂で…」
駄「そりゃマンガだ」
長「しかしその蘭方医に診せるには、法外なカネがかかるってんだ」
駄「いくらでぇ?」
長「50両」
駄「50両? そりゃまた大層な」
文「それでも診てほしいという患者は引きも切らないんです」
駄「なんでぇその医者は、ひょっとして顔にツギハギがあって頭が白黒ダンダラで…」
文「それは別のマンガです」
駄「だがその医者に診せたら本当に治るって保証はあるんかい?」
長「そりゃわからん。だが親御さんとしたら一縷の望みをかけたくなるのも当然ってもんだ」
文「だからっておとっつぁんがそのカネを出す義理なんてないでしょうと、言っても聞かないんですよ」
長「こんな貧乏長屋に50両のカネが置いてあるなんて、言っても信じねぇだろうが…」
駄「近所の連中はみんな知ってるよ」
長「そうか?」
文「用心の悪い…」
駄「この家に入ろうなんて空き巣がいたら、長屋の誰もほっときゃしねぇ。たちまちみんなでとっ捕まえて袋叩きだ。それはそうとして…長さんがカネを出す前に、一思案してみねぇか?」
長「一思案?」
駄「北町の寺に新しく来た住職がえらく評判で、慈悲と知恵を二つながらに備えた生き菩薩さまだという者までいるそうな」
長「ああ噂は俺の耳にも入っている。だが口が巧いだけの食わせ者だという奴もいるぜ。なんでも寺に入って早々に由緒ある本尊の阿弥陀さまを売り飛ばして、代わりに自分で書いた下っ手くそな名号を、これが本尊だと言って下げたとか」
駄「かりに食わせ者だったとしても、坊さんに50両だまし取られることはあるまい。まあ一つ相談に行ってみようじゃねぇか。カネを渡すのはそれからでも遅くねえ」

 

ということで長さん文さん駄ぁさんと、三人そろって北町の和尚さんを訊ねます。
和「話はわかり申した。娘さんを医者に診せるために、長さんが50両を出すべきかということで、よろしいかな?」
駄「へぇ、そこで和尚さんのご意見を伺いたいと」
文「和尚さんは慈悲と知恵を共に備えた食わせ者とのお噂で…」
駄「生き菩薩だ! 途中を省略するんじゃねぇ!」
和「これこれ、咎めるならば本人の前で言うことではないというところであろう。とはいうものの、陰で言われるより面と向かって言われた方が気が楽ではあるが」
駄「では事のついでに聞かせてくだせぇ。和尚さんには本尊を売り払ったという悪い噂があるんだが」
和「確かに前の本尊は片付けた。そして名号を本尊として掛けた。そのわけは檀家衆には説明申したはず」
駄「わけってのは…」
和「南無阿弥陀仏と唱えるところ、いつどこでもそこが仏前というのが当流の教義じゃ。行住坐臥いついかなるときでも念仏できる折に念仏すべきだが、仏像があるとそこへ行って拝まねばならぬと誤解が生じる嫌いがある。だから当面、片付けたにすぎぬ。唱うれば仏も我もなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」
駄「なるほど口が巧い」
長「その話をしに来たのではねぇんだが」
和「愚考を申し上げよう。長さんの殊勝なこころざし、まことに見上げたものだと申し上げるほかはない。しかしここで長さんがお金を出すべきではなかろう」
長「なんでですかい?」
和「もう一考えされなされ。何事も思い通りにならぬのが娑婆の常、難病に襲われる子どもはその娘さんが最後ではあるまい。もし50両で娘さんが助けられたとしても、次に別の子が病に侵されたときどうなさる? 今の子を救うことができても、次の子を救うことはできなくなるではないか」
長「そりゃ道理だが、今苦しんでる娘っ子はどうするんで? 和尚さんになにかいいお考えでもあるんですかい?」
和「ない」
長「ない?」
和「……わけではない(溜息を一つ)来世のことは弥陀を頼むしかないが、今生のことは生きているもので何とかせねばならぬ。またあれをやるか。拙僧にできることと言えば、あれくらいしかない。長さん、文さん、骨を折ってくださるか?」
長「てりめぇでぇ」
文「私らにできることでしたら」
和「駄ぁさんはどうなさる?」
駄「ここまで乗りかかった船だ。最後まで付き合うぜ」
和「ではさっそく支度にかかる。長さん文さんは墨を磨ってくださらぬか。ちょっとやそっとではない。手桶に一杯」
長「へぇ」
文「へぇ」
和「駄ぁさんは紙を買ってきてくだされ。ここに銭が。大きな紙で安いものを。ふすまの下張りにするようなもので構わん。ただし反古紙ではいかん。白い紙でなければならぬ」
駄「がってんだ」
と言って和尚さん、袈裟から作務衣に着替え、どこからか真っ黒で大きな板と刷毛、そしてやはり驚くほど大きな菜切り包丁のようなものを持ち出してきました。
文「これほど磨ればよろしいですか」
和「ありがとう。当面はこれでよろしかろう。だが墨はあればあるほどよい。続けてくだされ」
駄「買ってきましたぜ。こんなでいいですか」
和「ありがとう。これでいい」
和尚は板に刷毛で墨を塗り、紙をかぶせて馬連でなぜてはがします。
(この項つづく)

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