🍉しいたげられたしいたけ

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うちのブログにおける表記のゆれについて

読んでいただいている方にはあまり関係ないことですが、長らくブログを書いていると、自分の文章の表記ゆれが気になることがあります。今回の拙記事は、その言い訳集になります。これも他人には意味薄いことですが、過去記事がけっこうな数になるので今さら修正し統一を図るのも面倒なので、自分自身への弁解として。

 

外来語の長音記号はつけるようになった

「コンピュータ」ではなく「コンピューター」と書くように変化した。

少し古いが、この記事がよくまとまっていると感じたのでブログカードを貼る。

ging.co.jp

 

英語の接尾辞 "-er" "-or" などの発音は短母音だから、長音符号はつけないほうが原音に近いと思っていた。だがそうするとJISガイドラインの例外にあるように "key" を「×キ」、"color" を「×カラ」と書いたら不自然だ。だからJISの「2音の用語は長音符号を付け、3音以上の用語の場合は長音符号を省く」というルールは、それなりによくできていると思った。

しかし、理系作家として名高い森博嗣氏の作品を何冊か読んだことがあって、同氏の表記がこのルールを厳守しているのを見ると、それもちょっと息苦しくてなんだかなと感じた。あくまで個人の感想です。

そうこうするうちwindowsのいつのバージョンからだったか日本語メッセージに長音符号がつくように変化した。

文化庁のガイドラインに当たったわけではないが、なんとなくそのほうが自分としては自然に感じられたので、弊ブログの表記も長音符号をつける方に変わった。だから過去記事を検索すると、両方の記法が混在しているはずである。

しかし迷いは生じるもので、例えば「データ」を「×データー」と書くべきかとしばし迷ったりする。データの綴りは "data" で語末は短母音なのだから「データ」でいいのだが、そこまで確認しなきゃならないのが面倒くさい。

 

動植物の種名カタカナ表記の例外

生物学では動植物の種名はカタカナ表記というルールがあるので、原則的にはそれに従っている。大多数の人が「薔薇」を「バラ」と、「檸檬」を「レモン」と読めたとしても、それらを苦労せずに書ける人は多くあるまい。

例外は「柿」である。「カキ」と書くと「牡蠣」の可能性もあるので。とは言えどうちのブログで貝のカキに言及する可能性は「カキフライ」くらいしかないけど。

同音異義語でよく出てきそうなもの、他にあったかな?

 

いらんことを言うと、地名などの固有名詞で漢字の動植物名がついているところは多数存在する。漢字表記はそっちに譲るとすれば、区別になるかなという気がする。ならないか。

こちらは桜駅。名鉄名古屋本線。

 

それを言い出したら三重県三重郡朝日町には「柿」という字名が実在するが、さすがに果物のカキと混乱することはあるまい。

www.navitime.co.jp

 

いらんこと言いついでに、弊ブログでは しいたけ は常にひらがな表記にしているのも例外である。ブログタイトルおよびブログに連携しているSNSハンドルを踏まえている。

追記:

竹も漢字だった。シイタケマツタケエノキダケの「茸」と重なるので。

そうするとマツタケウメ、ショウチクバイと書きたいときに「マツ竹ウメ」「ショウ竹バイ」と書くわけにいかないから、やはり「松竹梅」と書かざるをえない。例外はどんどん広がるから、やっかいだ。

ところで bamboo のタケとキノコのタケが同音であることが、今更ながら気になった。語源的なつながりはあるのだろうか?

追記おわり

 

故人への敬称

守るとしたらもっと難しいだろう思われるのが、新聞記事などで用いられる「生存者には敬称をつけ、故人への敬称は省略する」というルールである。明快ではあるが、生きている人と亡くなった人が混じっているとき、このルールを厳守しようとすると、どうしてもぎこちなくなってしまう。

具体例として、去年『高畑勲展』というのを見に行った時、高畑が大塚康生、宮崎駿、小田部羊一らと「Aスタジオ」を設立した、という説明書きを読んだ。この説明書きに地の文から言及するとしたら、前2者は故人であり後2者はこのエントリー執筆時点では生きているから「高畑、大塚、宮崎氏、小田部氏」と書くべきだろうか? おかしいよね。

だからざっくり「敬称略で失礼します」と断って書くことが多いが、それも寂しく感じることもある。「故」を頭につけると故人を生き返らせることになる、という独自研究的ルールを採用して「故高畑勲さん」のように表記したい気がするが、他人に通じるだろうか?

 

ところで物故者つか歴史上の人物専用の敬称として「公」というのがある。藤原道長公とか、伊藤博文公とか。いわれをちょっとぐぐったら、意外と興味深かった。曰く、本来は大臣以上の敬称が公であり、三位以上の敬称が卿であるとのこと。まとめて「公卿」という単語もあると書いてあったが、私は公・卿と公卿を結び付けて考えたことなかったから「へぇ」となった。あと「忠犬ハチ公」への言及が、たいていの解説サイトにあることも面白かった。

ja.wikipedia.org

「公」付きで呼ばれることの多い人で、もっとも古いのは菅公すなわち菅原道真だろうか? 新しい方では近衛文麿がヒットする。律令制が廃止された維新後の生まれだったはずと思ったら、公爵の爵位を受けていたのね。ちなみに大隈重信は侯爵だったから、大隈公ではなく大隈侯と表記するサイトのほうが上位にヒットする。律儀なことだ。

ただし神社の由緒書きにあるのを引用する場合などは別として、うちのブログで「公」を積極的につけることは、あまりないだろう。時代に合わないし、女性に対する同等の敬称ないよね。

 

「アメリカ合州国」

"The United States of America" を「アメリカ」と呼称するのは適切でないと、しばしば言われる。アメリカ大陸には多数の国家が存在するからだ。

日本語の正式名称は「アメリカ合衆国」であり、同国が日本語で自身を呼ぶときの名称でもある。

だが "The United States of America" を直訳すると「アメリカ合州国」となる。

私が過去の一時期読みふけった人には、あえてこの呼称を用いた人が意外に多かった。本多勝一、井上ひさし、小田実、鶴見俊輔…

第二次大戦における日本への過酷な仕打ちや、ベトナム戦争、公民権運動、イラク・アフガン両戦争を経て、現代においてもイスラエルへの過剰な肩入れなど、同国の圧倒的な暴力への異議申し立てを忘れないよう、あえて標準的な表記からずらすという意図である。

それでも客観的に見て、帝国主義時代のイギリスや現代の中国など歴代の超大国たちに比べて、あるいは過去および現代の日本と比べても、同国がずっとマシな国であるという印象は確かにある。札付きの暴力男に殴られても、多少は温和な暴力男に殴られても、痛いことに違いはないにせよ。

自ブログ過去記事を検索すると、書籍など言及元がある場合はそちらに合わせて「アメリカ合衆国」または「アメリカ」を使用するか、米国と表記していることが多い。米国がいちばん多いかな。

最後にまたいらんことを言う。新聞見出しは文字数節約のため国の米国を「米」と書き、区別するため植物の「コメ」はカタカナ表記が多いようだが、例外も見受けられる。

本多勝一集 12

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