🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

実家近辺のありふれた神社二社に初詣

初詣の代わりに幸先詣でに行っているのはコロナ禍の時期に三密を避けようとしたことがきっかけで、三密にならなければ初詣に行かない理由はない。もっともコロナ禍は決して過去のものではなく、またこの冬はインフルエンザはじめ他の感染症の流行も深刻なので、警戒を怠るわけにはいくまいが。

 

今年の三が日は好天に恵まれ風も強くなかったため、近所の神社くらいならご挨拶のお参りに行っておこうという気になった。実家にいたので実家近辺のありふれた神社二社に行った。

いちおう高齢の身内にも声をかけたが、常々「信仰心ない」と言っている人のこと、関心を示さなかった。そのわりに「ご近所の手前」というやつで、今回お参りに行ったうちの一社である野々宮神社というところの氏子になっており、会費だか冥加金だかを払って毎年お札を受け取っている。誰だったか日本人は「日本教」という宗教の信仰者だと言ったのは、言い得て妙だと思う。

 

ここで、いらんこと言いの悪癖発揮。「日本教」の提唱者が「イザヤ・ベンダサン」という外国人名を名乗った故・山本七平氏だということは覚えている。だが本多勝一氏との論争や浅見定雄氏による批判書に目を通した結果、山本氏はとんでもない食わせ物だという結論に達しているため、同氏に対してはなんらかの但し書きなしに言及する気には、どうしてもなれない。

言い出しといてなんだが「日本教」というのも話半分に聞いてください。

 

話を戻して、その古いお札の処分を言いつかった話は 12月31日付拙記事 に書いた。

例年はどうしているか、調べておこうと思った。

町内の掲示板に、野々宮神社の左義長が1月12日にあるという掲示が出ていた。

やはり、持っていけばいいだけだったのだな。

 

ということで、もうお札はないけど野々宮神社。

 

あとで気づいたけど、去年もそっくりなアングルでスマホ写真を撮っていた。

watto.hatenablog.com

 

去年との違いは、録音だろうけど境内に雅楽が流れていたことだ。三が日の最中だったから?

おそらく宮司さんだか神職さんだかが代わったからであろう、これまでやらなかった花手水だとか茅の輪くぐりだとかをやるようになったと書いたことがある。

花手水は、今年もやっていた。

あとで身内に聞いたところによると、今の神職さんは若い女性なんだそうだ。私が知らないだけで、実家と神社は思ったより関わっていそうな雰囲気。巻き込まれたくないので知らないふりを続ける予定だが。

 

やはり三が日の最中だからか、境内の焚き火の火を絶やさないように、神社の法被をまとった神職さんだか氏子代表さんだかがつきっきりになっていた。年配の男性だったけど。

 

拝殿。ちゃんとお参りしました。

「お守り」という幟の真後ろあたりに、お札や縁起物を入れる箱が用意されていた。

そこに入れればよさそうだ。もし来年も頼まれたら、だけど。

 

開け放たれた拝殿の中は、お守りなど縁起物売り場になっていた。神職さんだかの関係者が内部にいた。これも三が日だからだろう。

拝殿で物品販売というのは珍しい気がするが、ここの社務所はもの売りに適した構造になっていないための苦肉の策だろうか。

 

境内右手奥にある地蔵堂。由緒書きは、去年の記事中に文字起こししている。ここにもお参りしました。

弊ブログはアフィリエイト広告を利用しています

 

 

もう一社、水除神社というところにも参拝した。やはり実家の近くにある。

やはり地蔵堂が隣接している。地蔵堂の向こうの平屋建てが、社務所である。

ちゃんと合掌礼拝しました。

 

正面鳥居。そゆえばここ、うちのブログのネタにするのは初めてかな。通りがかるたびにお参りはしてるんだけど。

 

鳥居右側に芭蕉の句碑が立っており、説明書きがある。

 

ええっ、Googleレンズの文字認識機能なくなってる?

著作権で問題になったのか? それとも有料メニューに移行したのか?

検索したら、見つけにくくなっただけで、機能そのものが利用できなくなったわけではないようだ。

Googleレンズの文字認識タブが出ない - Google 検索 コミュニティ

 

ただし、以下に貼るのは手起こししたものである。

 羽島市指定文化財
  芭蕉の句碑
 昔、この句碑が所在した堤地区は名古屋街道の道筋であった。旅人の中には文人墨客が多く、これらの人々によって当時の文化がこの近在に浸透した。その中でも、俳句は民衆文学として同行者が多く現れ、これらの人々によってこの碑が建てられた。
 当初は逆川堤防上にあった茶所の前に立っていたが、茶所を取りこわした時、台石だけを残して句碑を福安寺へ移した。
 昭和二十九年堤防撤去の折、台石を水除神社に移し、昭和三十二年句碑をその上に移して現在に至る。
  碑文には、
 表面 市人にいで是うらん雪の笠
 裏面 嘉永元戊申年 初建立
とあり、台石には、
 エギラ 可楽 亀三 白露 翠江 江蛙
 浅平 楳古 ヲキ 紫藍
と記されている。
 平成二十六年六月再建
  羽島市教育委員会

どっちかというと、神社自体の由緒書きがほしいところなんだよなぁ。

「水除神社」という名前からして水害よけを祈念していることが明らかに窺われるし、旧輪中堤防上に立地しているし。

 

本殿。左側に摂社末社が一柱ある。

写真からはわかりにくいけど、しめ縄が新しくて鏡餅が供えてあった。神社はやっぱり新年だよなぁ。どう「やっぱり」なのか、よくわからないけど。

ちゃんとお参りしました。

弊ブログはアフィリエイト広告を利用しています