暫定目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示
(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)
(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)
(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)
(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4: 本稿)
(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(その1)
新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。これからショッキングな場面がしばしば出てきますので、閲覧注意です。前回はこちら。
(主人公「ボク」による語り)
白昼、不思議な光景を見た。
ある程度自由な行動が許されるようになったので、ここがどんなところか、あちこち歩いて見て回っていたときのことだ。
高田の里を流れる大きな川の、今でいう関川だろうか、上流の人気〔ひとけ〕のないあたりで、全裸の小柄な老人が、やはり全裸の幼子を胸に抱いて、川に入ろうとするところを偶然目撃した。
ボクは川の同じ側の岸にいて、少し下流の葦の間から見ていた。
老人は、頭にわずかな髪の毛を残し短い髭をたくわえているが、どちらも真っ白だ。
老人に抱かれた子どもは、ほとんど赤ん坊のようだったが、全身の肌の色は青ざめていた。生きていないんだ、と思った。
子どものなきがらを、川に流そうとしているのだ。
衣服をまとっていないのは、この時代は布は貴重品だからだろう。
ふと自分の着ている衣に目をやった。機械織りの繊維とは似ても似つかぬ、ゴツゴツと太い糸が不ぞろいに織られたものだった。いや機械織りも手織りも、どちらも必要で貴重と考えるべきなのだ。
怖くはなかった。嫌悪感もなかった。
ただ、悲しみがボクの胸に湧いた。この時代の、いや、つい近世までの、乳児死亡率の高さを想起した。自分の子どもたち、聡己と結衣が赤ちゃんだったとき、予防接種に何度も病院に通ったことも思い出した。
ふところに『阿弥陀経』の写しを入れていたことを思い出した。このとき、なんでそんなものを持っていたのかは、自分でもよくわからなかった。
旅の荷物を一切がっさい盗まれたとき、唯一残されたものだ。
ボクには自分が坊さんだという自覚はほとんどないし、坊さんらしい恰好もしていないが、初対面の相手に「いちおう坊さんみたいなものですよ」というアイデンティティを示すため、ときどき持ち歩いていた。
それを、ここで読み上げようと思った。供養になるかならないかわからないが、それでも何かしたいと思ったのだ。
ボク「
読み方は、秘書インコに少しずつ教わって覚えた。
川の深さは、そんなでもないようだった。老人は流れのまん中まで進むと、しゃがんで、赤ん坊のなきがらを手放した。
赤ん坊の体はいっしゅん波間に見えたが、すぐに見えなくなった。流れに乗ったのだろう。
老人は、白い布で編んだ綱をタスキのようにかけていた。
背中のタスキの結び目から、綱が長く伸びているのが見えた。
命綱だったのだ。
そして、それまで気づかなかったのだが、老人の後ろには4、5人の男たちが、綱の端を握って立っていた。
先日、経験したばかりだが、本流の川底は、お椀のようにえぐれている。死体を川に流すには、こうした安全対策が必要なのだと思った。本流に乗せるのは、死体が川岸に打ち寄せられずに海まで届かせるためだろうと想像した。
老人は命綱を両手でつかみながら、川岸に上がった。
男たちが布を、そして白い着物を差し出した。老人は、布でゆっくり体を拭った。
このグループの中では、この老人がいちばん目上の人物のようだ。
ちょうどボクの『阿弥陀経』も終わるところだった。『阿弥陀経』は短いお経だ。
ボク「
白い着物を羽織った老人が、ボクに気づいた。思ったより距離が近かった。
老人が会釈して、言った「供養してくださったのか。ありがとう」
ボク「いえ、かえって失礼なことをしていなければ幸いです」
ボクは老人の方を見、ついで老人をとりまく男たちの方にも目をやった。
その中に、見知った顔があった!
「捨六さん! 欠七さん!」
(この項つづく)
追記:
続きです。
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