しいたげられたしいたけ

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渡辺将人『見えないアメリカ』(講談社現代新書)

見えないアメリカ (講談社現代新書)

見えないアメリカ (講談社現代新書)

現代アメリカ社会には人を「保守」と「リベラル」に二分しようとする傾向があるんだそうだ。本書のマクラは、スターバックスがリベラルな人に好まれ、クアーズビールは保守的な人が好んで飲む(少なくとも「政治的文脈」ではそうなっている)という話である。理由を説明されると、なんとなく理解できないでもないが、「空気を読め」という圧力の強い国の住人にとっては、やれやれと息苦しそうな話に感じられる。
しかし「保守」と言っても決して一枚岩ではなく、例えば第4章には、同性愛を激しく排斥する原理主義教会が、同性愛者のイラク戦争戦死者の葬儀に「同性愛の兵隊は死んで当然」というデモを打ち、愛国的保守派の中で同性愛者への穏健な擁護が広がる様子が語られる。
当然ながら同様に「リベラル」も一つではない。ほんの一例だが、中西部の非都市部には黒人がほとんど存在しないそうで、この地域の「利害関係をともなう人種対立をもたないことによる」「無垢な」リベラルさには、西海岸や東海岸で、多様性のコストと向き合ってきた大都市のリベラル派から「非白人移民が増えれば絶対にとつぜん保守的になる」と猜疑心が向けられているそうだ(p160)。
そして「保守」「リベラル」とも、日本における語感と、似ている点もあるが異なる点は激しく異なっている。恥ずかしながら私は知らなかったのだが、著者がかつて身を置いたシカゴ大学大学院においては、「リベラル」はアフリカやユーゴ内戦に「人道的」武力介入を主張していたという(p34)。いっぽうの「保守」は、派兵のコストにこだわる非介入主義の「リアリスト」と派兵を主張する「ネオコン」に分かれていたそうだが。これが日本だと、どんな理由であれ派兵を主張する論者に「リベラル」という肩書きはつきにくいよね?
著者は、もともと明確に線引きができる「保守」「リベラル」があるわけではなく、個々のイシュー(議題)ごとに「二項対立」があるのだと分析する(こうまとめてしまうとうまく伝わらないが、分析の手腕は実に鮮やかだ)。そしてそれを「保守」と「リベラル」の二極に収斂させる装置として、テレビをはじめとするメデイアの存在を指摘する(と書くとネットに氾濫する根拠のない「マスコミ陰謀論」みたいなものと誤解しないでほしい。日本ではあまりなじみのないアメリカ独特の形式のニュースショーが紹介され、その役割が論じられる)。
これは、そんなことがあるかどうかはわからないが、もし我々が日本国内でも「保守かリベラルか」みたいな立場を明確にすることを迫られることがあったら、その対応に役に立ちそうな気がする。もともと「保守」とか「リベラル」があるわけではなく、個々のイシューごとに自分の意見がある。それを逆立ちして、自分は「保守」だとか「リベラル」だとか先に自己規定をしてからそれに基づいて個々のイシューについて自己の意見を決めるというのは、本末転倒であり、合理的な判断をさまたげる可能性があるではないかと反論すればよい。