しいたげられたしいたけ

空気を読まない、他人に空気を読むことを求めない

井上靖『風林火山』(新潮文庫)

風林火山 (新潮文庫)

風林火山 (新潮文庫)

言わずと知れた去年の大河ドラマの原作なのだが、大河は最近ほとんどスルーなのだ。『新撰組!』だけはちょっと観たかな?マイペースつか気まぐれで、読みたいときに読んでいるだけである。
主人公の山本勘助は「神算鬼謀の軍師」というイメージがあるが、本書で語られる勘助が、奇抜な軍略を編み出す場面は意外なほど少ない。武田信玄は諏訪氏・村上氏・木曾氏など近隣の豪族を次々と討って勢力を拡大するが、諏訪氏の遺児・由布姫を信玄の側室に入れ男児(後の勝頼)を産ませ、征服した地元勢力との融和に腐心する様が多く描かれる。あるいは信玄の長女を北条氏に嫁がせ、嫡子・義信の正室に今川氏の娘を迎え、さらに北条家と今川家の間にも縁戚を結ばせて三国同盟を成立させる、攻略した木曾氏に信玄の娘を与えて慰撫を計るなど、外交家・戦略設計家としての活躍こそが彼の本領であったようだ。
そう言えば「神算鬼謀の軍師」の元祖みたいな諸葛孔明も、宮崎市定や陳舜臣を読むと、実は外交官としての役割こそが活躍の主舞台だったらしい。考えてみれば、草船借箭なんて言っちゃ悪いが誰でも思いつきそうだし、空城の計は敵が空気の読めない奴だったら一気に破綻する。
山本勘助に話を戻すと、彼が本書でほとんど唯一、実戦において戦術を献策するシーンが、ラストの川中島の戦いである。高名な啄木鳥の戦術であるが、本書には「啄木鳥の戦術」という表現は出てこない。川中島を挟んで、妻木山に陣取った上杉軍の兵力は一万二千。一方、海津城に集結した武田の軍勢は二万弱。装備に差がない場合、戦争は単純に人数の多いほうが有利なのだそうだ。まあそりゃそうだろう。しかし人数が多い側が、できるだけ味方の犠牲を少なくして勝利を得るために、軍勢を二つに分けて敵に挟み撃ちで当たろうとするのも、兵法では常套手段らしい。だが人数の少ない側からすれば、機会は薄いが相手を各個に撃破するチャンスを与えられることにもなる。このような戦術が採用された戦闘は、ちょっと考えただけでも、少し後の時代の小牧長久手の戦い、関が原の戦い、それにワーテルローの戦いがすぐに想起できる。改めて考えると、結末がバラバラなのが興味深いが(念のために書いておくと、小牧長久手では、兵力に勝る秀吉軍が派遣した別働隊を家康軍が撃破。関が原では、分隊を率いた秀忠が遅参という大失態を犯すが小早川秀秋の裏切りという別の要因で東軍が勝利。ワーテルローでは、仏軍・欧州連合軍とも兵の分割という戦術を取ったが戦力の再集結に成功した欧州連合軍が勝利。川中島は、まあ常識の範疇だからネタバレではなかろう。痛み分け)。
要約すると、勘助は、戦略家ではあったろうが、戦術家だったかどうかはわからないということです。