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猪木正道『ロシア革命史―社会思想史的研究』(中公文庫)

ロシア革命史―社会思想史的研究 (中公文庫)

ロシア革命史―社会思想史的研究 (中公文庫)

ロシア革命について、もうちょっと知りたいと思った。
ここのところ、小倉清子さんのブログで伝えられるネパールの「革命」から目が離せなくなっていたり、中南米で次々と起きる選挙による政権交代(最近では4月のパラグアイとか)に驚かされたりしている。話は変わるが、小倉さんのようなブロガーが中南米にはいないものか?日本のマスコミでは、意外なことに『しんぶん赤旗』の情報が一番詳しいのだが、それでもまだまだ質・量ともに不満なのだ。
著者は元防衛大学校長で、いわゆる右派文化人に分類される人だが、実は私のマルクスや共産主義に関する知識は、学生時代に読んだこの人の『共産主義の系譜―マルクスから現代まで』(角川文庫)に負うところが大きい。もちろん批判的なスタンスで書かれた本です。しかし私の目下の個人的心情は、ネパールに関しては(多分、小倉さん同様)その誤りを看過するつもりはないがマオイストに対して最もシンパシーを抱き、中南米に関しては選挙で成立した左派あるいは中道左派政権の応援団である。
著者によると、「原始マルクス主義」すなわちマルクスやエンゲルスが最初に目指したものは、遅れたドイツの民主化だったのだそうだ。若きマルクスやエンゲルスは、まずフランス大革命のようなブルジョア革命がドイツにも起きることを期待した。ところがドイツのブルジョアジーは早くから保守化し、革命の担い手となる気概は一切感じられなかったという。だからこそマルクスとエンゲルスは「プロレタリア革命」という概念に到達したのだという。
ロシアはさらに遅れていた。イギリスとの植民地獲得競争の結果全陸地の1/6という広大な領土を獲得してはいたが、上には非合理かつ非効率きわまるツァーリ(皇帝)の専制を戴き、鉄鋼・石炭・綿花など主要産業部門の生産量は帝国主義のライバル=イギリスの20分の一という体たらく、下には中世以来の農奴制という、いわば八方ふさがりの状態であった。著者はロシアの後進性を「文芸復興と宗教改革を経験しなかった」時点から説明する。
そのロシアが日露戦争の挫折を経て第一次世界大戦へ参戦するに至って、内部に蓄積された矛盾が革命の発火点に達するのは、月並みな言葉であるが歴史の必然以外の何ものでもなかったようだ。
しかし10月革命に至って、ボリシェビキが暴力を持って選挙結果を否定し政権を奪取したことが、ロシア革命のいわば「原罪」となってその後のソ連邦の歴史全体に影を落としたことは、今日の目から見ると歴然であろう。本書にはボリシェビキ自身による実力行使の正当化の説明も記されている。しかし人間は過ちをおかす動物であり、はなはだ不完全とはいえその過ちを担保すべく考案されたシステムが、選挙であり、また(本書では言及が多いとは言えないが)市場経済なのだと思う。
振り返ってみるに、ではその選挙と市場経済を確かに備えているアメリカや日本が、今日それぞれに明らかに行き詰まりに直面しているように見えることを、どう考えたらいいのだろうか?「行き詰まっていない!」と言う人も必ずいるだろうが、私にはそうは思えない。選挙と市場経済のほかに、人間の過ちを担保する全く別の新しいシステムが必要だということなのだろうか?
あるいは、選挙による政権交代を実現し、市場経済を全面否定するものではないネパールや中南米諸国の「革命」に、我々はロシア革命とはまた違ったなんらかの新しい可能性を期待してもいいものだろうか?そこに「人間の過ちを担保する新しいシステム」が見出されるといったような…
ロシアに関して言えば、ロシア革命後、夥しい悲劇を生じながら、五ヵ年計画を繰り返したソ連邦の経済は確かに飛躍的な発展を遂げ、またソ連邦崩壊後のロシア経済も、数々の問題点を指摘されながらも好調を伝えられる。古いシステムの解体と国の発展が一体不可分であるという歴史の経験則を説明するには、西欧の市民革命と産業革命、あるいは日本の明治維新や敗戦後を持ち出しすまでもないであろう。ロシアは「文芸復興と宗教改革」の代わりに「ロシア革命とソ連邦崩壊」を持ったと表現していいものだろうか?そこに「人間の過ちを担保する新しいシステム」が発見される可能性は期待できるだろうか…