未読の本が減ればいいのだが、一冊読んで面白いと類書や同じ著者の本を何冊も買い込む悪癖のため、結局つん読本を増やす結果になっているのはいつも述べている通り。
仕事のほうは、元々利益率がたいしてよくないため、暇なら暇でなんとかなってしまっている。つかこれは昔のブログで忙しがっていた頃にも、実は全然儲かっていなかったという事実の証明に他ならない。
どっちも情けね〜_| ̄|○
水上勉『金閣炎上』(新潮文庫)

- 作者: 水上勉
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1986/02/27
- メディア: 文庫
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私は三島本のほうは高校時代に読んで、かなり精神的に悪影響を受けた。橋本治の名著『「三島由紀夫」とはなにものだったか』による、「よ〜するに三島文学とはただのいぢわる」という明快この上ない指摘により洗脳が解けるまで、三島の書くものには何か自分の理解を超えた高踏的なものがあるというような幻想に囚われていた。
本書によると、金閣寺放火犯の林養賢は、犯行直後に睡眠薬自殺を図っている。また林の母は投身自殺している。これらの事実は三島本ではわからない。三島本は事実からの取材は必要最小限で、もっぱら三島自身の解釈と想像で物語を膨らませたものといった感じである。別にそれはそれで悪くないが。
一方本書は、「あとがき」に「この作品は、二十年越しに成ったものである」とあるように、ドキュメント的な手法により事実に迫ろうとしたものである。それだけに綿密な取材を積み重ねたことが察せられ、意外な事実が次々と示される。例えば終戦の直後、林が金閣に入山する直前に、日本政府の意を受けて、日本に亡命した南京の傀儡政府の元主席=陳公博らの一行が一時期山内に滞在していたこととか(へぇ!)。
そうすると意外なことに、事件のバックグラウンドとして、終戦直後という世相、とりわけ世間一般の貧窮と、にもかかわらず観光収入で莫大な利益を上げる金満寺院というコントラストが色濃く浮かび上がってくる。三島の描いたような、耽美的、形而上的な動機ばかりによる犯行ではないのだ。むろん本当のところは林養賢当人にしかわからない(ことによると当人にもわからない?)であろうが。
結局私も三島本との対比ばかりで語ってしまった。

- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/05
- メディア: 文庫
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