しいたげられたしいたけ

空気を読まない、他人に空気を読むことを要求しない

漱石、三島、筒井三部作/四部作の最終作に宗教臭が強いという共通点は「これは虚構だ」と示すため?(その4)

続きをやります!

つか書いているうちに、本当に書き始める前には予期していなかった考えが浮かんだので、それを文字にしてしまう。『天人五衰』と「エヴァンゲリオン」シリーズの比較論考である。

三島由紀夫の作品は構成がほぼ完璧で破綻が少ないものばかりと書いたばかりだが、『天人五衰』に限っては、謎が多いように感じる。特に物語の終盤において。

主人公の本多透は物語後半で、養父にして「豊饒の海」シリーズ全編の狂言回し役の本多繁邦に対し、虐待を繰り返すようになる。それを見かねた繁邦の友人の久松慶子という老貴婦人が下した決断は、透に対して、「豊饒の海」シリーズ主人公たちの転生の秘密を明かすというものだった。

えっ、何で? それで虐待が止まると思ったの?

慶子の話を聞いた透は、最初、当然それを信じない。そして証拠を要求する。慶子は、第一部『春の雪』主人公の松枝清顕が残した夢日記の存在を示す。

何でそれが証拠になるの? 透の側からしたら「誰それ? 俺と何の関係が?」で押し切って、何か問題があったの?

透は夢日記を読む。読み終えた透は、メタノールを呑んで自殺を図る。だが果たせず、結果として失明する。

なんで自殺するほどのことがあったの?

意識を取り戻した透は、夢日記をどうしたかと尋ねられて、自殺を図る前に燃やしてしまったと答える。燃やした理由を問われた透の返答は、こうだった。

「僕は夢を見たことがなかったからです」

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)』P268

それって理由になるの? 

透に転生の秘密を明かしたのが慶子だったことを知ると、繁邦はただちに慶子と絶交する。

これは疑義なし。こいつ嫌いやねん(ぉぃ

『天人』の主要登場人物は、気に入らない奴ばっかりだけど(ぉぃぉぃ

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

 

しかし、これらの疑問は、あとから思い返して抱くものであって、読んでいる間は、あまりの急展開に圧倒されて、疑問に感じる暇がない。そしてタイトル「天人五衰」の種明かしと、あの印象的な終幕へと至るのである。謎と言えば、物語の幕引きとなる月修寺門跡・綾倉聡子の言葉も謎だよね。

これが「エヴァンゲリオン」シリーズとどうつながるかと言うと、新劇場版シリーズあたりで人口に膾炙するようになった、あの「謎謎詐欺」という辛辣な悪口を思い出したのである。シリーズ中で提示された数々の謎に関しては、スタッフの誰も正解を知らないだろうということは、視聴者に知れ渡ってしまっているよね。もはや収拾のつけようがない。だからあんたはガキだって言うのよ!

しかし物語作法において、「説明のない謎」「作者も正解を知らない謎」というのは、大いにアリなのである。サルの手の最初の持ち主は、どうなったのでしょう? ただしそれはあくまでスパイスであって、腹の足しにはならない。またスパイスをまぶしすぎたら、食欲を失くしてしまう。

「豊饒の海」シリーズの第三部以前や、三島の他の作品において、「作者も正解を知らない謎」と思しきものが登場したためしは思いつかない。全然ないということはないかも知れないが、私は具体例が思い出せない(追記:あとで思い返したら、そんなことはないか。『金閣寺』に出てくる「南泉斬猫」の公案とか)。

三島由紀夫は意地悪である。

遺作『天人五衰』において、読者への意地悪として、それまで禁じ手としてきた「作者も正解を知らない謎」を遺していったと解釈すると、それが一つの回答にならないだろうか?

念のため付け足すと、意地悪と、読者に対するサービス精神は、やすやすと両立する。否、彼を愛しまた彼が愛したであろう読者に対して、意地悪を仕掛けないで、何で終われようや! 「豊穣の海」という謎に満ちた四部作は、作者から読者への、極めつけの意地悪であったのだ!

 

物語作法というのは有限である。物語の可能性はとうに出尽くしているという説は、繰り返し言われている。しかし、使える球種は多ければ多いほどいいのだ。読者に「ここでその技を使うかぁ~っ!?」と思わせたら、作者としてはしてやったりだろうし、読者もまた望むところだと思うのですが、どうでしょう?

逆の極端を考えよう。「〇〇ポルノ」という悪口がある。「感動ポルノ」とか「愛国ポルノ」などが用例である。そもそもポルノがなぜ軽んじられるかと言うと、作者が誰だって裸を出せば一定の読者・視聴者の興味を引くことができるし、またそれだけではすぐに飽きられてしまう。つまり安易だということだ。

前回のエントリーで、エロスとタナトスは繰り返し使われるテーマだと書いた。だが、性愛と死を作品中に描いたからといって、それだけで名作になるはずはない。そのような作品は、あらゆるジャンルに溢れているのだ。

「エヴァンゲリオン」シリーズは、ある時期までは間違いなく名作だったと思う。しかし、私なりの悪口の言い方をすると、どこからか「謎ポルノ」に堕したのではないか? かなり早い時期からその傾向は見られたにせよ。 

話を広げすぎると収拾がつかなくなるが、さらに別の例を思いついた。宮崎駿の劇場アニメは、2001年の『千と千尋の神隠し』あたりを境に、変質したのではないかと言われる。1997年公開の『もののけ姫』以前では、「説明のない謎」は、あったとしても目立たなかったと思う。カオナシの正体は何だったんだろう? ソフィーはいつなんで娘に戻れたの? ポニョって結局何者だったのだ? つまり宮崎も「謎ポルノ」面に落ちた、という言い方はできないかってことで。

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