2日目の活動は午前中のみ。出航が14:30と早いから。作業は被災したホテル敷地内の泥出しで、参加ボランティア総勢200人ぐらいの大人数だった。なにせ敷地の広いところだったから。作業地は、泊まったホテルから通りを何本かほどしか隔てていない。自然災害の常で、被害が甚大だった地域と(少なくとも外見上は)被害がさほでではない地域は、いつも隣り合わせなのだ(東日本大震災だけは例外で、あの被災地の広さばかりは、ちょっと説明する言葉が簡単には見つからない)。
携帯を持って出なかったので写真はありません。あとで気づいたのだが、船の写真ばかり撮っていた。個人的に船旅が珍しかったからだと思う。今にして思えば、ホテルの食事なんかも撮っておけばよかった。海の幸が満載だった。アシタバと言うんだったっけ、伊豆大島特産の葉っぱもの野菜も目新しかったし。でも、同じツアーに参加した初対面の人たちの前で、食事中に写真を撮るためにケータイをいじるのはマナー的に問題があったか?ホテルでお弁当に用意してくれたおにぎりと、ボランティアセンターで振舞われたトン汁くらいは撮っておいてもよかったかも知れない。美味しかった!
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というわけで帰路の写真のみアップ。出帆港(と言うのだそうだ)は、今度も岡田港。当日の朝、役場が防災無線で放送していた。ホテルのフロントにも掲示が出ていた。たぶん元町港と岡田港で条件のいい方を使うのだろう。つかこれが島の日常なのだなきっと。
写真ではわかりづらいけど、正面に富士山が見えていました。
岡田港前の土産物店。なぜか既視感が…寅さんは伊豆大島に来てたっけ?連絡船では釣り客を多く見かけたから、釣りバカコンビは来てるかも知れないが、私は釣りはやらないからあっちのシリーズはあんまり観てないはずだが…
連絡船には、なぜかカラフルなのが多い。
もう一丁。
今回も「かめりあ丸」のお世話になった。camelliaというのは英語でツバキの意とか。
でかい…
さらば伊豆大島。また来たいな。今度は観光客としてとか。
三浦半島に富士山のシルエット。船内では極力寝ていたが、それでも往復では持って行った未読のミステリ文庫本を2冊読んで足りなくて、島の書店で一冊買い足した。
横浜港大桟橋18:00着、東京竹芝桟橋19:45着。往路の時間に比べると、かなり短い。夜間航行はスピードを出せないからだろうか?船員さんに尋ねたら横浜下船は可とのことだったので、帰りの新幹線の時間が危なければ横浜で降りようかと思ったが、全然心配する必要はなかった。地図を見ると横浜港大桟橋から新横浜駅にたどり着くのはややこしいが、竹芝桟橋から浜松町-東京駅はすぐなのだ。
これは竹芝桟橋に着岸したところ。
さすがに船旅プラス鉄道は疲れた。新幹線の中では吐き気すら感じ、どうなることかと思ったが、何とか無事、帰宅できた。
愛知に戻ると天気が悪くて一気に肌寒くなっていた。お天気に恵まれたのは、ありがたいことです。
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