いつも刺激的なエントリーをアップされる 夜中たわし(id:tawashix)さんの最新の記事に、こんなブックマークコメントをつけさせていただきました。
歴史トンデモ考察小説『邪馬台国はどこですか?』オーディオブック版感想 - 夜中に前へ
いやこれ疑似科学または科学哲学の本気の研究課題で、近代初期における天動説と地動説の論争は、後者が前者を論破し決着したのではなく、前者の論客が生物学的に死にかつ継承者がないので決着したとの由。てことは…
2017/01/06 00:53
夜中たわし さんの記事は、鯨統一郎『邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫)』のオーディオブック版への書評です。同書は私は未読ですが、記事によると「ブッダは悟りを開いていなかった説」「邪馬台国、岩手にあった説」「聖徳太子、推古天皇と同一人物説」等々といったトンデモ歴史学説を大真面目に主張する登場人物に対して、別の作中人物が反論を試みるもいつもうまくかわされるか時に説得されそうになる、といったもののようです。
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同書未読とはいえ、このような趣向は以前から存在する。すぐに思いついたのは清水義範の『序文』という短編だ(『蕎麦ときしめん (講談社文庫)』所収)。「英語日本語起源説」(英語の語源は日本語だ)というあからさまに怪しい学説を熱心に主張する学者がいて、誰もが反論を試みるがなかなかうまくいかず、結果としてあやうくそのトンデモ学説が学会の主流になりかかるという物語である。ただし私は「英語日本語起源説はコンピュータによる分析で完全に否定されている」というオチが、いたく気に入らなかった。人間が反論しても納得しない相手であれば、コンピュータの反論も受け付けないに決まってるじゃないかというわけである(一応ネタバレなので、フォントカラーを白にしています。ネタバレしてもいいという方は、選択して反転させてお読みください)。
それはともかく、トンデモな理論に固執する人間は、フィクションの中だけでなく現実にいくらでも存在するものである。彼らにどのように反論すべきであろう? 反論、説得は、相手にそれを受け入れる素地がなければ、ほとんど不可能に近い困難なのだ。
それどころか、科学史をたどると、学術的論争は数限りなく発生しており、それらは「誤った論」の論者が「正しい論」の論者によって説得されて決着するのではなく、前者の生物学的な死と後継者の不在によって決着するケースがほとんどなのだそうだ(私はカッコを多用する傾向があるけど、今回「誤った論」「正しい論」をカッコに入れたことは、読者の方々には特に注意を払っていただけると幸いです)。
その出典はどこだったかと書架をあさったら、幸いあっさり出てきてくれた。サイモン・シン『宇宙創成(上)(新潮文庫)』だった。
当該部を引用する。
太陽系中心モデルは、十八世紀が進むにつれて天文学者に広く受け入れられていった。そうなった理由のひとつは、望遠鏡の精度が高くなるにつれて観測上の証拠が増えたからだが、もうひとつの理由は、モデルの背後にある物理現象を説明するための、理論上の進展があったからである。また、それとは別の大きな要因として、上の世代の天文学者たちが死んでいったことが挙げられる。死は、科学が進歩する大きな要因の一つなのだ。なぜなら死は、古くて間違った理論を捨てて、新しい正確な理論を取ることをしぶる保守的な科学者たちを片づけてくれるからだ。彼らが頑固になるのも無理はない。生涯をかけて一つのモデルの上に仕事を積み重ねてきたというのに、新しいモデルのせいでそれを捨てなければならないという恐れが出てきたのだから。二十世紀最大の物理学者の一人であるマックス・プランクはこう述べた。「重要な科学上の革新が、対立する陣営の意見を変えさせることで徐々に達成されるのは稀〔まれ〕である。サウロがパウロになる(訳注 キリスト教徒迫害者サウロは奇跡的回心を遂げ、使途パウロとなった)ようなことがそうそうあるわけではないのだ。現実に起こることは、対立する人々がしだいに死に絶え、成長しつつある次の世代が初めから新しい考え方に習熟することである」
(上掲書P117)
書架からこの本を発見した後、かなり長い時間、読みふけってしまった。上記の引用部は、上下2巻全5章のうち第1章の終わり近くに掲げられた文章であるが、前近代から近代初期にかけてを語る第1章はプロローグにすぎず、あくまで本題は相対性理論、宇宙膨張説、ビッグバン説といった近現代宇宙学の爆発的発展とそれを彩る数々の論争であるのだが、第1章だけでも十分に面白い!
例えばコペルニクスが著書『回転について』で発表した時点における太陽中心説に基づく天体の軌道計算は、プトレマイオス以来1400年にわたる歴史を有し現代の言葉でいう4次の補正項まで有する地球中心説に基づく軌道計算に比べて、精度において圧倒的に劣っていたのだそうだ(P72)。へぇ。
また再読して発見したのだが、ガリレオがローマ教会から迫害を受けた時期は、かの30年戦争の期間と重なっているのだ。初読時には30年戦争の知識はほとんどなかったが、その後、一昨年夏の中欧パック旅行をきっかけにチェコ、オーストリアやハプスブルク関係の新書を10冊くらい乱読した。チェコで勃興するプロテスタント勢力に対し、カトリックの守護者を自任するハプスブルク家が、容赦ない弾圧に出たのがきっかけで中欧各地に暴動が広がったのだ。P111でプラハ名物窓から放り出し事件(第二次)の記述を見つけたときには、思わず「おおっ」と声を上げる程度には知識が増えたつもり。そんな物騒な名物いらんわ。だが日本での知名度は高いと言えないものの、チェコの歴史をちょっとでもかじった人は、つい反応してしまうエピソードである。
それはともかく、当時のローマ教会による地動説の弾圧は、政治が絡んで思ったよりメチャクチャ生臭さそうなんだよね。ハプスブルクの本音が「自家の勢力はカケラも侵害することは許さないぞ!」であったことは、外部の目から見たらあまりにも明らかだ。その証拠に30年戦争後期において、同じくカトリックの守護者を名乗るブルボン家のフランスと、直接干戈を交えている。私はハプスブルクが嫌いだ。再認識した。
ふと思ったが、この『宇宙創成』のような科学史の本では、30年戦争の背景となる政治史には深く立ち入ってないし、逆に私が読んだ30年戦争関係の歴史書には、天文学者たちの名前はほとんど出てこない。ティコ・プラーエとケプラーは、戦争勃発直前の1600年に、神聖ローマ帝国の帝都プラハに移住したとのことなのに!(P81) 両者に目配せをした本を書いたら、さぞかし面白いものが仕上がるのではなかろうか。私にそんな力がないのが残念だ。
本当はさらに「パラダイム」に論を持っていきたいところだ。パラダイムとは、その時代その時代の主流として受け入れられている学問、学説の枠組みのことだ。それらは一定不変のものではなく、時代によって大きく変化する。『宇宙創成〈下〉 (新潮文庫)』の第5章には「パラダイム・シフト」という章題が与えられている。現代において我々が「正しい」と信じていることも、後世において「誤り」として一刀両断される可能性は、常にありうる。近代以前において天動説を信奉していた学者たちは、当時の最優秀の頭脳の持ち主たちでもあり、誰も彼らを笑う権利は持ちえないのだ。だがパラダイムを論ずるにはあまりにも準備不足なので、別の機会に。
なお今日、ダンボー(id:masanori1989)さんの最新エントリーにこんなブコメを投入したのは、まさしくこのエントリーの準備中だったからです。
ブログのネタが思い浮かばないと思ってる人は騙されたと思って本屋に行け。本屋はまさにネタの宝庫だぞ!! - 近畿地方から送るゆる~いブログ
これは「自分の本棚をあされ。既読本はまさにネタの宝庫だぞ!!」と言い換えたい。検索能力はなはだ不完全とはいえインデックスが頭の中にあるから。「本屋の経営支援」というもう一つの主題には貢献できないけど。
2017/01/06 12:28
何度となく繰り返してることだけど、ブログの一記事の情報量は、書籍の情報量にはとうてい太刀打ちできない。上掲の引用部など、分量的には多いようだが、上下巻各約380ページのうち、たった1ページ分にしかすぎないのだから。また書籍の寿命は、ネット記事の寿命よりはるかに長い。『宇宙創成』の日本語版の初版は2007年だから10年も前である。『蕎麦ときしめん』文庫版初版は Amazon で調べると1989年とのこと。
『邪馬台国はどこですか?』に話を戻して、夜中たわし さんによると反論役には女性を割り当てて、ヒステリック気味に「そんなことを信じているなら本物のバカね!」などと人格攻撃的なことを言わせているとのことで、これはPC的に大変よろしくない。「へー、そう。ところであんたが死んだら、あんたの説は誰が受け継ぐの?」とでも言わせるのがいいんじゃないでしょうか?
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