先に断っておきますけど、ネタですからね。あと今回は敬称略とさせていただきます。
昨日、エンタメカテゴリのホッテントリに、こんなブコメを投入した。ネタとは言え、間違って本人が目にしたら、さぞかし「失礼な奴」と思うことであろう(念のために書いておくと、「追贈」というのは亡くなった人に対して行う)。
横審委員長、初V稀勢の横綱昇進を後押し 白鵬に負けても「よろしいのでは」 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
小錦と魁皇に横綱を追贈してからにしろ(氏んでない氏んでない
2017/01/21 21:29
その後で思いついた。大相撲というのは歴史あるジャンルだけに、先例というものには事欠かない。
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江戸時代に、雷電為衛門という名大関がいた。通算勝率が断トツで歴代最高など、数々の最強伝説を残した力士であるが、横綱にはなっていない。なぜ横綱にならなかったかというと、当時は横綱という地位が今と違って制度上確立されたものでなかったなど、諸説ある。
だが雷電の四股名は、東京江東区の富岡八幡宮の「横綱力士碑」に、「無類力士」という肩書きとともに刻印されているのだ。
もし今日の大相撲初場所千秋楽で、稀勢の里が白鵬に勝てば14勝1敗だが、負ければ直近三場所の成績は10-5、12-3、13-2となる。以下データ出典はすべてウィキぺです。
前述の通り、過去において同等の成績を挙げながら横綱昇進が見送られた力士に、小錦と魁皇がいる。小錦は1991(H3)年九州場所から92(H4)年春場所までが13-2、12-3、13-2、魁皇は2004(H16)年名古屋場所から九州場所までが11-4、13-2、12-3。調べれば他にもいるかも知れない。
若い相撲ファンでご存知ない人がすでにいるかも知れないので、両力士が横綱に昇進できなかった理由に雑に触れておくと、横綱双羽黒の廃業騒動というのがあったのだ。今から31年も前の1986(S61)年、千代の富士の一人横綱の時代が長く続いていたため、優勝経験がなかった大関北尾、後に改名して双羽黒を、二場所連続準優勝ということで横綱に昇進させたのだ。だが双羽黒は結局優勝できないまま、昇進からわずか2年後の87(S62)年に、トラブルを起こして廃業してしまった。
この事件以降、日本相撲協会は横綱昇進の基準を厳格に運用するようになり、90(H2)年昇進の旭富士から2012(H24)年昇進の日馬富士までの、8人の横綱はすべて連続優勝で昇進している。この慣例が破られるのは、事件から26年も経過した14(H26)年春場所後に、鶴竜が準優勝-優勝で昇進するまで待たなければならなかった。
基準を厳格に運用するのは仕方がないとして、割を食った小錦と魁皇が気の毒である。このさい雷電の先例に倣って「名誉横綱」という地位を新設し、両氏をそれに叙してはいかがだろうか?
彼らは、富岡八幡宮の横綱碑に、歴代の横綱代数からは除かれるものの「名誉横綱」として、その名を刻される。また、エキシビションとして土俵入りを行う権利を得る。その他、協会からの待遇は、元横綱と同等のものが受けられるものとする。コストは発生するだろうが、お披露目や巡業などでエキシビションの土俵入りを披露するなどのイベント収入により、軽くペイする収入増にはなるんじゃないだろうか。いや「一代年寄」の創設(1971(S46)年)や、「立呼出」の創設(1994(H5)年)に比べれば、コストは低く抑えられると思うぞ。知らんけど。
言いたいことは、もし稀勢の里を横綱に昇進させるのであれば、気持ちよく昇進させてあげて欲しいということだ。それに尽きる。
アイキャッチ画像として いらすとや さんの素材を使わせてもらいます。おや? いらすとや さんのところには「横綱」というのははないのか。不吉だな(余計なこと言うな>自分
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