ほんとうに直前になって、同僚から連絡があった。同年代の女性である。
名古屋の日本ガイシホールでやる、沢田研二のコンサートのチケットが二枚あるが、一緒に行く相手が都合で行けなくなったので行かないかとのことであった。
これが40年前くらい前だったら、いろんな意味でものすごいお誘いだったろうな、とのっけからいらんことを言う悪癖全開 (^▽^;
今は、本当に言葉通りに受け取りました。ちょうど都合は空いていたし、断る理由は何もなかったから、行くことにした。
しかし、どういう事情があったかあえて詳しくは聞かなかったが、えらく大物のチケットが手に入ったものだ。
ネットにはいろいろな情報が流れているが、私の閲覧範囲では 自由ネコ(id:gattolibero)さんのブログ記事が個人的に賛同率高かったので、勝手ながらリンク貼らせていただきます。
さいたまスーパーアリーナの公演をドタキャン!
「客が7千人しか入ってないから中止!」
って。
上掲ブログより。
7,000人って、ものすごい人数なんだよね。それがキャンセルとなると、払い戻しとか各所への補償とかで、軽く億単位の金が飛んでいくはずだ。それを突っ張り通すというのだから、すさまじいという他に言葉はないのである。
むしろ1970~80年代に青春期を過ごした世代にとっては、好むと好まざるとに関わらずジュリーの歌声は記憶にどっかりと腰を下ろしている。それが改めてライブで聴けるとなると、純粋に楽しみではあった。
いや、そう一筋縄ではいかない予感もまたあった。武田鉄矢だったか誰だったか、やはりその頃のスターが、「昔の思い出を楽しみにファンがコンサートに来てくれることは、それはそれで嬉しいが、自分たちとしては、今でも新しいことをやっているし、むしろそれを聴いてほしい」という意味のことを語っていたのを、どこかで読むか聞くかしたうろ覚えの記憶がある。そういうものだろうと思った。敬称略で失礼します。以下同じ。
これもうろ覚えだが、確かNHKスペシャルが、往年の吉本新喜劇の人気俳優だった岡八郎の、一夜限りの復活公演を追いかけたドキュメントを放送したことがあった。岡は、アルコール依存症と、酩酊が原因で起こした事故の後遺症による記憶障害のため、長らく舞台から遠ざかっていた。だがリハビリが一定の効果を上げたのち、よしもとから許された「なんばグランド花月」での一度きりの公演を成功させるべく、苦闘する様子をカメラが追ったものだった。
岡と、岡を支える娘の市岡裕子や弟子のオール巨人、そしてスタッフら関係者の努力の様子には、まさしく感動的以外の形容が浮かばなかった。だが反面、寂しさ、物足りなさを感じないでもいられなかった。上演される笑劇中のギャグは、往年の岡の定番どころをずらりと並べたものだった。しかし岡の最盛期の劇場中継をTVで観ていた頃は、「次は何をやるのだろう?」「今度はどんな新しいギャグを出すのだろう?」といったワクワク感が常にあったように記憶している。冷たいようだが、ノスタルジーだけではダメなのだ。
一方で、新しい曲が耳に馴染むには、何度も繰り返し聴かなければならない。この二律背反ともいうべき困難を、誰よりもよく知っているのは沢田本人はじめショービジネスに関わっている業界人たち自身であろう。ご縁あってのことだ、コンサートの中身がどんなであろうと、エールを送るつもりで観てやろう聴いてやろうと、内心偉そうなことを考えて、期日を待った。
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拙宅からだと、会場への最寄り駅は名古屋鉄道本線の本笠寺という駅になる。
名鉄本線の電車では、さすがの私も萌えないな。普通の人は電車で萌えないって!
会場の日本ガイシホールは、JR笠寺駅に隣接している。名鉄本笠寺駅からJR笠寺駅までは、徒歩で10分ほどかかる。
笠寺周辺の街の様子を、進行方向は逆光になるので、振り返りざまに撮ってみた。名古屋市内とはいえ、ちょっと外れである。市外の拙宅周辺に比べたら、よほど都会ではあるが。
JR笠寺駅。駅舎の上に日本ガイシホールの大屋根が見える。
同行者とは駅構内で落ち合った。
「一緒に行く予定の相手が都合が悪くなって、一人で行くのは寂しかったので何人かに声をかけたんですけどみんな断られて、そう言えば watto さんが、こっちの方角にお住まいだと思い出したので…」
はっきり言ってくれる。いやその方が気楽でありがたいんだけど (^▽^;
JR笠寺駅から日本ガイシホールへの連絡通路。
以降、会場内の撮影は遠慮したので写真はありません。
あとで日本ガイシホールのホームページで調べたところ、移動席を含めた最大席数は1万席とのことだった。ステージの後ろは空席にしてあったから定員1万ってことはなかろうにせよ、ほぼ満席だった。すごい!
予想通り、客の平均年齢は、やや高めだった。私らより一回りくらい上というところか。男性客が1~2割くらいで意外と多かった。意外というほどでもないか。奥さんをエスコートしてきた旦那さんとか。
貰ったパンフレットの表紙を複合機でスキャンした。
チケットの半券もスキャンした。
ネットに晒してまずいものは写ってないよね?(誰に訊く?
のっけから「お騒がせしました。ドタキャンはしません。私は元気です」のトークで、会場を爆笑させた。言っちまうのかい?(^▽^;
ただし全体として、MCって言うんだっけ、トークは少なめだった。曲自身に語らせるというスタンスかな?
伴奏は柴山和彦というギタリストのソロギター一本だった。だけど、それで不十分だとか寂しいとかいった印象は、全然受けなかった。残念ながらギターのテクニックに関して多くはわからないけど、すごい技術の持ち主なのだろう。沢田からの信頼が厚いことは、トークの中でしばしば繰り返していた。
いっぽう照明など効果は、さすがお金をかけてそう、という感じだった。
これは閉演後だったけど会場内で見つけたセットリスト。全18曲だった。
予想通りつか何つか、往年のヒット曲は少なめで、プロモートしたい曲が中心のようだった。パンフレットにジャケットが載っている今年3月11日リリースの最新CDに収録されている4曲は、全部演ったし(10~13曲目)。
オールディズ・ベストみたいな構成を期待していた観客(私もそうかな?)には「残念!」と声をかけるべきところかも知れない。しかし今の若い世代には通じにくいであろうが、あの世代はアルバムという媒体に馴染んでいる。1枚のアルバムにお気に入りの曲が2~3曲も入っていれば上出来というみたいなものだ。ちょっと違うか?
いや、素人の初耳にも「よく作りこんであるな」と思わせる曲は何曲もあって、そんな曲がCMなどメディアに乗って繰り返し大衆の耳に届いたら、今でもメガヒットになるんじゃないかと想像した。そんなふうにして「昔からのファン」「ずっとファン」という層を、がっちり掴んでいるからこそ、1万人近い会場を満席にできるのだろうけど。
1曲目が「カサブランカ・ダンディ」で、4曲目の「F.A.P.P.」がモロ反原発ソング。それを演った直後に往年のヒット曲の「あなただけでいい」を持ってくる構成は、巧いなと感じた。
原発に関しては、私も弊ブログにおいて、たびたび意見を表明している。これとか。はっきり言って反原発寄りの立場である。
だが、原発を論じるなら論じるで、独立にエントリーを起こしたほうがよさそうな気がしたので、今回は深くは立ち入らない。観客にはどんなふうに受け入れられているのだろうかとか、いろいろと興味のある論点はあるのだけど。
なおネットでたまに話題になるコンサート会場での反原発の署名集めというのは、少なくとも今回は見かけなかった。もし見かけていたら協力してもよかった。ただしチケットをくれた同行者は全くのノンポリタイプなので、どういう反応を示したかはわからない。
なぜか16曲目と17曲目の間でステージ衣装の着替えが入ったが、それ以外はずっとぶっ通しの歌いづめだった。それもステージの端っこから端っこまでを駆けまわりながらの!
70歳だよ、70歳!
パンフレットによると、今回のコンサートツアーは、7月に始まって、週3~4回のペースで全国を回り、最終日の来年(2019年)1月は日本武道館で3日連続公演が予定されているとのこと。
よく戯れに、「ロックンローラーは年をとってもロックンローラー、ヒッピーはいくつになってもヒッピー、オタクは氏ぬまでオタク」と言っている。だがロックンローラーがずっとロックンローラーでいるためには、かほどの努力が必要なのだろうか!?
してみると私なんぞは、中途半端なヲタやってないで、氏ぬ覚悟でヲタを続ける努力をせねばならないのだろうか? ヲタがヲタをやめたら、それこそなにものでもなくなってしまう。