しいたげられたしいたけ

道を間違えているのが明白なのに、「きっと他の道はもっと間違っている」と進み続けたら、どうなる?

お百度参りpolca支援編(40/100)

ありふれた近所の神社へ、勝手にやっているお百度参りのシリーズです。今回のシリーズでは、お母様が大腸ガン手術の準備中でご自身も目下障害年金の審査待ちである ヌル(id:Null3)さんの、支援 polca 拡散という意味合いも含めています。

ヌル さんの最新エントリーは、こちらです。

www.null3-blog.com

ネットにおいて拡散という行為は拡散者も元発信者と同等以上の責任を負い、拡散によって発生する全責任は私が引き受ける覚悟でやっていることは、しばしば明言している通りです。

 

責任って何だろう?

つらつら考えたことを備忘的に。政治家などが責任という言葉を軽々しく口にし、責任責任と言うのはいいが具体的に何をやっているのか一向に見えてこないなんて昨今でもあるので…というのは言わなくてもいいことを言う悪癖かな?

 

まず、当事者に代わって説明できなければならない、というのは明白だろう。英語では "responsibility" (責任) と "accountability" (説明責任) に違いがあることを日本に広めたのは、確かベストセラー『人間を幸福にしない日本というシステム』で知られるオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏じゃなかったかな? 実は私には両者がどう違うのか、説明できない。「自分の言葉で説明する」ことが責任の第一歩というのが、私の理解の仕方である。

 

それから他人を傷つけたり損害を与えたりしたとき、謝罪と賠償の義務が発生する。

裁判所の判断が確定している

google:保守速報裁判

google:余命三年時事日記懲戒請求騒動

には、たびたび言及している。

比較的最近のニュースでは、8月の常磐道あおり運転暴行事件に関連して、いわゆる「ガラケー女」デマ拡散に加担したとして、豊田市議会議員が辞任に追い込まれたというニュースがあった。

digital.asahi.com

ネットの拡散というのは、借金の連帯保証人と一緒で、元発信者より先に責任を問われても免れるすべはないことは、ネットをやっている者であればみな自覚しておくべきだと思う(比喩に用いた借金の連帯保証人の恐ろしさについても一言。連帯保証人は名義人に先だって全額返済を請求されても文句を言えない。連帯保証人になるくらいなら、最初からそれだけのカネをくれてやれ、とはしばしば言われることである)。

 

ヌル さんのブログに残した自分のスターを調べてみたところ、私は二年越しの読者であり、ヌル さんの事情に関してはブログに公開されている範囲でもう少し詳しく説明することができる。万が一にも詐欺のようなものではないと断言できる。だが架空の事例を想定して書くと、クラウドファンディングが詐欺だったと発覚した場合、拡散者が損害賠償を請求されるということがあるかも知れない。

 

これも書かなければ。もし正当性を信じて拡散した情報がいわれなき誹謗中傷に晒された場合、元発信者に代わって正当性を主張する義務が生じることも、責任の一つに数えられるであろう。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」に関する大村愛知県知事の態度が、それに近いかも知れない。

ネットでは polca を公開したり、あと例えば Amazon ほしい物リストを公開したりすると、匿名による誹謗中傷が集まることがあるという。

ヌル さんのケースで、私の耳目に届いている範囲でそういうことがあったかどうかは未確認である。だがこれも架空の批判を想定して書くわけだが、お母様の高額医療費制度にせよ、ヌルさんの障害年金にせよ、公的支援が開始されるまでのタイムラグが厳しいことは、我々の誰の身の上に降りかかってもおかしくない事態である。今回のようなケースで polca で支援を募ることは、私は全く正当な polca の使い方だと信じるし、このような使い方を批判することは、自分や家族の身に何かあった場合に自分で自分の首を絞めることにほかならないと、強く主張するものである。

 

ネット拡散の話題からは少しズレるが、改めて考えると高額医療費も障害年金も、日本国憲法25条に定められら生存権に基づく制度であるのだが、その日本国憲法が発効してからまだわずか72年あまり、世界史的に見ても、世界で初めて生存権を定めたワイマール憲法(1919年)からちょうど100年しか経っていないというのは、驚くべきことである!

それ以前はというと、直近に「はてな」で大変な人気になった、このエントリーと大同小異の世界であったわけだ。

locust0138.hatenablog.com

私自身、もしこうした時代に生まれていたら、末路は道端にうち捨てられた死体の一つであっただろうと思わざるを得ない。

人類が、かくも長い時間をかけてようやく手にしつつあるもろもろの社会制度に思いを馳せるいっぽう、それらはまだまだ不十分で改善の余地が大いにあり、またややもすると予算削減など時代を逆行させるようなベクトルがあることも意識せねばならない。例えば投票行動などを通じて、社会制度の拡充を求めること、予算削減に抵抗することなどは、ネット云々以前に現代社会に住む我々に課された「責任」と言えるのではないかと考える。

 

ということで、微力ながら polca のリンクを再掲します。

polca.jp

 

polca ID がなかったり何らかのトラブルでログインできなかったりすることがあるので、ほしい物リストへのリンクも貼ったほうがいいんじゃないかという意見をいただいたので、貼ってみます。

www.amazon.co.jp

 

目下のお参り先は、市内の坂部神明社という神社である。 

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毎度、同じような写真ばかりになりがちなので、今回は目先を変えて神社のすぐそばにあるワークマンで…

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防塵マスクを買ってから参拝を始めた。その写真も貼ってみる。

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マスクがあると、すごく楽ではあった。ただしマスクをするといつもメガネが曇るので、できるだけメガネが曇らなさそうなものをチョイスしたつもり。それでも曇った。人並み外れて鼻が低いのがいけないのだ。ほっとけや。 

お参りのときは、マスクは外しています。

 

それから普段、お釜帽をかぶっている。これは極端に目が悪くカエルのような度の強いメガネをかけているため、背面からの映り込みを低減するためである。お察しの通り、外見にコンプレックスがあるんですすみません。

お参りのときは、帽子も取っている。

 

それ以外に、スマホのブラウザに最新エントリーを表示させた状態で内ポケットにしまってお参りするというのが、代参のマイルールである。

 

神社参拝に関しては、ネットで検索するといっぱいルールが出てくる。特に「お百度参り」でぐぐると、それは様々なルールが出てくる。曰く、1度に100回お参りしなくちゃならない、曰く、裸足でお参りしなくちゃならない、曰く、深夜にお参りしなくちゃならない、曰く、お参りしているところを他人に見られちゃならない、曰く、ヴェノムかジョーカーかデッドプールのコスプレをしてお参りをしなくちゃならない、云々。最後のはウソですすみません。丑の刻参りと混同してるんじゃないかと思われるものが散見されたな。

 

あまりルールを定めすぎると窮屈になるだけだから、最低限にしようと思っているのだけど。

上に列挙したルールが最低限に該当するかどうかは知らない。私がそう思っているだけである。

 

前回と違って午前中に参拝を始めた。今日は朔日で日曜日だったからか、珍しく社務所の鍵が開いていて、数人の人の気配がした。氏子さんたちだろうか? 

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摂社末社の前に三方が供えられていた。三方の上には、小皿に乗った食塩と生米、それに大小の徳利が乗っていた。徳利の中身はおそらく水とお神酒だろうか。

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ただしお参りをしている間に、三方は片付けられ、社務所もふたたび鍵がかかってしまった。

 

午前中ということで光線の角度が前回と違ったので、お馴染みの光景を何枚か。

百度石代わりの消火栓。

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宮の杜を見上げたところ。

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門柱。「神明社」の文字がぎりぎり読めそう。

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赤い木の実は、たぶんマンリョウ(万両)。

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ぐぐって出てきたルシュールクミオ(id:bg4kids)さんの記事を参考にしました。

"万両は「実が万もあって重たいから下の方」というのが覚え方" とのことでした。

www.boardgamepark.com

 

今回も20回参拝で合計40回。続きはたぶん次の週末に。

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