🍉しいたげられたしいたけ

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聖火リレーは何のためにやるのかわからなくなってきた

たまにやるリンク集みたいな記事です。短期間に関連記事が大量に集まることがあるので、時代の記録として。

 

あくまで私の中でだが、あとから思い返すと発端はこの記事だったような気がする。

www.fnn.jp

一部、引用。ごく短い記事ではあるのだが。

1日目、福島県富岡町を走行中にトーチの火が消えるハプニングが…。

すぐにスタッフが駆け寄り、ランタンから再び火が灯され再開した。

このときはブコメに「絵がすごいね。まるで警察に守られたヘイトデモ。」などと書いたのだった。これはこれで我ながら不穏なことを言ってるけど。

 

そうしたらそれから、聖火のハプニングに関する記事が矢継ぎ早にホッテントリ入りした。

25日、福島県富岡町の記事。

mainichi.jp

26日、同飯館村の記事。

www3.nhk.or.jp

NHKの記事によると、26日飯館村のほうは火の受け渡しがうまく行かなかったらしい。

しかし…

東京オリンピックの聖火リレーでは、初日のきのう(25日)もランナー間の聖火の受け渡しの際や走行中にトーチの火が消えるアクシデントが2回あり、そのたびに予備の火で点火し直していました。

とも書いてあり、正確なところはよくわからない。

 

毎日の記事には "台風並みの風雨でも「絶対に消えない聖火」との触れ込みだった" と書いてあった。

検索すると、こんな記事があった。

www.news24.jp

中心部にプラチナ製の高温の触媒があり、実験室で再現した台風並みの豪雨や強風の下でも消えなかったという。

 

毎日やNHKのブコメを見ると「消えたんじゃない」という擁護論(?)がいくつか見つかるが、消えたんじゃなくて受け渡しがうまくいかなかったんだからセーフとはならないだろう。原発は原理的に絶対安全だが想定外の事態が発生したから原発事故が起きた、みたいな。

トーチと原発は危険度が比較にならないから、いいのか? でもそうすると「聖火リレーは何のためにやるのだろう?」という疑問が立ち上がる。

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米国におけるオリンピック放送権の所有者で IOC に最大の影響力を持つと言われるNBCが「聖火を消すべき」という記事を掲載したことも、ホッテントリ入りした。

www.nikkei.com

www.tokyo-sports.co.jp

日経の方の記事に「消えたけど、つけ直したそうです」というブコメを投入したら、はてなスターをいっぱい貰った。昨日(3/26)は他の記事でもスターたくさん貰ったけど。

お礼を言わなくちゃ。ありがとうございます。

 

東スポ記事のブコメで教えてもらったNBCの元記事。

www.nbcnews.com

Google機械翻訳文を引用。

これはナチスによって確立された伝統です。いくつかの伝統、特にナチスのプロパガンダに根ざしたものは、消滅させる必要があります。

日経記事も東スポ記事も紹介していないが「ナチスによって確立された」という文言はサブタイトルにも含まれている。

米欧においてナチスへの言及は、日本人が想像するよりはるかに本気度の高い深刻なものと言われる。米欧人はみな、何親等かたどれば必ずナチスの犠牲者や迫害被害者がいるからだそうだ。この記事がかなり強いメッセージを発信していることが、そのことからも察せられる。

日本の報道でナチスへの言及がオミットされていることも気になる。

 

現地で聖火リレーを見た人のツイート。以下いくつかツイートを引用しますが、いずれもFF外からです。失礼します。

このツイートがバズって私のタイムラインに流れてきたとき「コロナさえなければこれでもよかったんだろうけど…」とブコメした。だがさらに「復興」という名目と乖離していることに目をつぶれば、という但し書きも必要だったかも知れない。

 

ツイート主は東京新聞の方だそうで、この件は追って大手メディアからも報道された。記事の署名は上掲ツイートのツイート主さんだった。

www.tokyo-np.co.jp

平時であれば、営利目的の大規模イベントをとがめだてする理由はない。

記事についたブコメを見ると、営利目的としても失敗してないか?

 

以降に引用するツイートのツイート主は、記者さんやメディアに記事を発表している人が多いようだ。できれば大手メディアのどこか一社でも詳報してほしいと個人的には希望するが、さきのNBCのナチスへの言及の件も念頭にあり、どうなることだろう。

 

そして昨日(3/27)の晩になって入ってきた、このニュース。

www.nikkansports.com

人が集まってほしいのか集まってほしくないのか、どっちなんだという疑問が押さえられない。

「聖火リレーは何のためにやるのか?」という疑問が、ここでもリフレインされた。

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「何のため」という疑問の、いわば極めつけは、このニュースだった。

digital.asahi.com

何かが違う。この違和感を言語化することは、きわめて困難に感じるが、事件の被害者や遺族、関係者に、寄り添うように見せかけて、ぜんぜんその意志を尊重していないというか…

 

より詳しい記事がハフィントンポストから公開された。遺族の意向を確認していなかったそうだ。

www.huffingtonpost.jp

「聖火が消えた」だけであれば、まだ冷やかしたりおちゃらけたりが許されるように思えた。

だが復興という名目からの乖離や、やまゆり園の件からは、そんなことを言ってられない深刻なものを感じる。

個人的な意見だが、自然災害にせよ犯罪被害者にせよ、直接の当事者でない者が当事者に寄り添おうとすることは、とにかく難しいのだ。メチャメチャに難しいのだ。

個人の心象と国家的イベントでは、規模からなにから比較にならない。そりゃわかっている。

だが個々人の心象をおきざりにして進行する大規模イベントには、その意義に疑問が投げかけられることは当然あるだろう。

けっきょく聖火リレーは、何のためにやるのだろうか?

追記:

その後の関連ニュースから一件だけ。これがとりわけわけわからん。

news.yahoo.co.jp

岐阜県内で聖火リレーが通る旧中山道馬籠宿では、住人に自宅前や2階からの観覧が制限されるというニュースである。

非常事態宣言発出に当たっては「私権の制限」をめぐって面倒な議論が交わされた。詳細を追いきれてないから、あれはあれで個人的には整理の必要を感じるが、自宅の前や2階に行っちゃいけないとは「私権の制限ここに極まれり」ではないのか? なんでそういう要請が、さしたる議論があったようにも見られずスルっと出されちゃうの?

それより住人にも「見るな」というパレードって、どんなものなの? しばしばバニラカーに喩えられるスポンサー車列を、自宅前や自宅2階からさえ「見る」ことが制限されるのであれば、純粋に営利活動と見ても期待される効果は薄いのではないのか?

ランナーや観客の安全のためというなら、限定された観覧エリアを指定することこそ、コロナ感染予防としてかえって危険じゃないの? そもそも「県境を越えた移動は(感染拡大の危険が増すから)自粛するように」というのは、どうなった?

馬籠宿が岐阜県屈指の観光エリアであるにせよ、いやだからこそ、あたりまえに考えたら延期か、延期できないのならせめてルート変更をと思うのだが、主催者側は何を考えて聖火リレーを行おうとしているのだろう? とにもかくにも聖火リレーさえできればいいと自己目的化してないか?

「うっせぇわ!」と言われるかな?

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