🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

あまり自信ないまま言うのだが霊感商法への対抗方法として伝統宗教にある程度の力があるのではないか(その1)

前回の拙エントリー は、別の場所での発言をまとめただけにもかかわらず多くの閲覧、はてなスター、はてなブックマークコメントを頂き感謝しています。ありがとうございました。

前回拙記事の最後は「次回に続く」みたいなことを書いたが、書きあぐねている。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題と霊感商法問題に関しては、目下、大量の情報がメディアやネットに流れている。あえて私に言うべきことがあるだろうか?

 

時代の記録として、ほんのいくつかブログカードを貼る。

newsdig.tbs.co.jp

P3 より "判決は「合意書は無効」とされ、この元信者は勝訴することができた。"

ACジャパンあたりが「特殊詐欺は違法」並に「霊感商法は違法」CMを打たないなら、弁護士法人がサラ金CM並に「霊感商法のお金は取り返せます」とCMを流すことを期待するしかないのか?

 

rkb.jp

これは、本当に思い出したくもないニュースだ。だが決して忘れてはいけないとも強く感じる。他人をマインドコントロールすることは、特別なトレーニングを受けていない素人でも、なりゆきによっては可能なのだろうか?

 

anond.hatelabo.jp

自称だけど本物臭のする旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)信者による「はてな匿名ダイアリー」(通称:増田)。

なんで本物臭を感じたかというと、サタンという絶対悪を想定しているところが旧統一教会独特のドグマなのだ。誤ったドグマと断言すべきであろう。

 

聖書に登場する悪魔は、創世記やヨブ記それに福音書でイエスを誘惑する奴が有名だが、実はそれほど登場回数は多くなくまたいずれの場面でも神に完全屈服している。よく言われることだが、聖書で一番怖いのは神自身である。

 

仏典には悪魔、魔王はほとんど登場しない。辛うじて思い出せるのは『維摩経』に登場する魔王パーピーヤス(波旬)くらいで、この魔王は主人公の維摩居士に一万二千人の侍女を連れ去られてしまう(解脱させられてしまう)という、なんとも情けない役回りなのだ。

それからパーリ仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の岩波文庫の和訳下巻が『ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 』とタイトルされていたのだった。タイトルとはうらはらに、悪魔の出てくる章はごく一部である。そして悪魔は誘惑者として登場するあたり、聖書との偶然の一致を感じる(誘惑する者というより試す者と言った方がより正確かな)。

 

いずれにせよ絶対悪ではない。古~いTVの特撮番組やアニメに登場したような、宇宙を闇から支配するような存在ではないのだ。ガンダム以降そういう雑な敵の設定は「陳腐」ってことでアニメや特撮においてすら激減してるんじゃないかな? 知らんけど。

 

上掲増田は「もし文鮮明が本当にメシアだったらどうすんの?」など突っ込みどころが多すぎて(「もしイスラム教のアラーが本当に存在したらどうすんの?」とかいくらでも返せる)、関わり始めるとキリがなさそうに感じる。

だが、それこそが彼らの思う壺かも知れない。

前回拙エントリーの繰り返しになるが、こちらの精神が健全な時なら引っかからないペテンでも、心が弱っているときにはコロっと洗脳されてしまうかも知れないからだ。

全く想像で言うのだが、旧統一教会の信者たちは、もちろん彼ら自身も被害者であろうが、他人の精神があまりに安易にコントロールできることに味を占めてしまっているという加害者の側面もあるのかも知れない。

 

現実の世界で一番恐ろしいのが生きている人間であるという私説は、弊ブログにおいて何度となく開陳している。

www.kyoto-np.co.jp

二之湯智(前)国家公安委員長が8月5日の記者会見で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の霊感商法に関して2010年を最後に「被害届はない」と発言し、直後に「検挙がない」と訂正したという記事である。

多くのブコメが指摘しているように、それでは被害届が出ているにもかかわらず検挙がない、ということなのか? つまり被害届が握りつぶされているってこと?

それこそありもしないサタンなどより、はるかにはるかに恐ろしい現実なのではないか。

 

前置きとしてブログカードを貼りつつ書き始めたのだが、ブログタイトルに掲げた伝統宗教の力、どうなった?

いやこれでもまだ書き足りないことがあるのだ。改正消費者生活法に追加された霊感商法に関する条文であるとか、フランスの反セクト法(反カルト法)であるとか…マジ終わらんな。

前回拙記事に書いた通り、死んだ後のことは誰にもわからない。だが伝統宗教において描かれる死後の世界は、旧統一教会の「あなたの死んだ子どもが霊界で苦しんでいる」のような悪質なウソとは遥かにかけ離れた豊穣でバラエティに満ちた世界であり、かつ「言われてみればあれがああつながるのか」と我々の伝統社会や伝統文化と結びついているものなのだ。

 

10年ほど前に父親を亡くした前後に、どこから情報を入手したのか拝み屋とかわけのわからない連中が実家に近寄ってきたことをSNSのあちこちに何度か書いている。幸い実家の家族はそういう連中をきちんと追い払ってくれたのだが、そういう対応ができた理由の一つに、実家が代々浄土真宗の門徒という伝統宗教のバックグラウンドを持っていたことがあったかも知れない。違うかもだが。

 

そんなわけで、主に仏教の浄土教で語られる死後の世界について、少し書いてみようと思った。

もとより実証性、客観性、再現性など科学の条件と言われるものは何一つ満たさない。宗教なのだから。肝心なことは、その宗教を信じることによって、信じたものが救われるかかえってより不幸になるかだと考える。

(この項つづく)

追記:

続きです。

www.watto.nagoya

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