24日に海洋放出が始まった福島第一原発のALPS処理済み水に対して、日本の政府やマスメディアは「処理水」という語を用いているが、反対の立場の人は「汚染水」という語を使っていることが多いように見受けられる。
ツイッターに流れてきた記事を、ブラウザの日本語翻訳機能の助けを借りながら読むと…
使われているのは "contaminated water" (汚染水) あるいは "nuclear wastewater" (核排水) である。
しかし私の個人的意見であるが、処理水と汚染水では、処理水と書くほうが現実に対する解像度が高いのではないか?
すなわち…
デブリに接触した水(冷却水・地下水・雨水)が「汚染水」である。
「汚染水」は、「処理水」と「未処理水」に分類される。
だから処理水のほうが汚染水より、2分法で1段階だけ解像度が高い。
PowerPointのスマートアート機能を使って即興で図を作ってみた。
しかしこの分析は、我々が直面しているまごうことなき現実の過酷さを、直視することを迫っているようにも思える。
以下、拙稿では基本的に「処理水」の語を用いる。だが必要があれば、それ以外の語も使用する。
私は「自称中立」「どっちもどっち」の立場を避け、できるだけ旗幟鮮明を心掛けようと思っている。もし「海洋放出に賛成か反対か?」と問われたら、「賛成」と答えるであろう。しかしその問いは、いわゆる「誤った2分法」ではないかという疑いを強く抱く。「海洋放出には賛成せざるを得ないが、海洋放出賛成を声高に叫ぶ人たちに与したくはない」というのが正直なところである。
ざっくり賛成派は「処理水に含まれるトリチウムの量は、各国の原発から排出される量より少ない」と主張する。
反対派は「それはわかっているが、福島第一の特殊性はデブリに直接接触しトリチウム以外の核種も含まれていることだ」と反論する。
トリチウム以外の核種の含有量は国際原子力機関(IAEA)による検査が行われ、基準値を下回ると判断された処理水だけが海洋放出されるという。
その影響は未知数と言わざるを得ないが、私個人の意見としてはIAEAの基準と検査を信じるしかないと考える。この限りでは、私は「賛成派」の範疇であろう。
「誤った2分法」とブログタイトルしたのは、汚染水を処理水と未処理水に分類するだけでは不十分ではないかということも含意する。
本稿だけの仮の名称であるが、汚染水はまず「捕捉水」と「非捕捉水」あるいは「漏洩水」に分類する必要があるのではないか。
処理水と未処理水に分類できるのは、捕捉水のみである。
SmartArtの図を改造した。
そして漏洩水が存在することは、基準値を超える放射性物質が検出された魚が捕獲され続けていることにより、強く傍証づけられる。
言語化してみれば当たり前すぎるくらい当たり前のことだが、徹底的な対策が必要なのは漏洩水であり、根源的にはデブリ除去ではないのだろうか? その意味で「海洋放出賛成/反対」の議論に拘泥することは、本質を見誤らせかねない。
それでもあえて「海洋放出に賛成か反対か?」と問われれば(「回答保留」「ノーコメント」と答える可能性も高いが)「漏洩水は処理水に比べて明らかに危険性は高い」「政府と東電には漏洩水とデブリへの対応こそ急いでほしい。そのための負担軽減に少しでもつながるのであれば」という前提の下で「賛成」と答えるしかないだろう。
しかしそれでも、感情的には「賛成派」に分類されることに抵抗を感じる。
よく指摘されていることではあるが、2015年に政府と東電が「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と約束したことを岸田首相が食言したことは、いかにもまずかった。
上掲記事中より。
岸田首相
「約束は現時点で果たされていないが、破られたとは考えていない」
まさか「募ったが募集はしていない」論法の使い手が、この国のトップにふたたび現れるとは思わなかった。放出期日までに約束が果たされなければ、約束を破ったということだ。
私見だが、政府や東電に求められた態度は、関係者や周辺各国に「デブリ本体や漏洩水への対応を急ぐため、負担を少しでも軽減するために処理水の海洋放出を認めてほしい」と辞を低くして求めることではなかっただろうか?
報道をつぶさにチェックしてきたわけではないが、彼らの態度は、例えばこの大阪市の態度に近いような気がするのだが、私が勘違いしているのだろうか?
政府の頭ごなしの決定を力づくで押し付ける態度は、とりわけ近年、随所で目立つように思える。
菅義偉前首相の日本学術会議会員の候補者達への任命拒否は、岸田政権下でも撤回されないままである。
だがそのような頭ごなし&力づくの態度を(国内でもどうかと思うが)外国に対してまで取り続けるのは、自傷行為に近くなるのではないか。
中国や韓国とのトラブルは、気が重くなるのでブログカードを貼る気になれない。
海洋放出に対する抗議行動は、フィリピンや太平洋諸島フォーラム加盟国でも起きていると伝えられるが、SNSでは海外の反対派に対し敵意をむき出しにする言説が目立ち始めていることを、強く憂慮する。このような一部SNSユーザーの振舞いは、政府の態度に影響を受けている可能性が高い。日本人の国民性は政府に迎合的だとよく言われる。
やはり一例だが、景気回復のカギの一つと言われるインバウンド回復に、悪影響は出ないのか? もっと言えば、ただでさえ苦戦が伝えられる2025大阪・関西万博への影響は?
上掲記事より「6月の国・地域別訪日客数」グラフを引用。
「海洋放出問題では中国を国際的に孤立させる」という勇ましい意見も目にしたが、日本は世界的に見て外交官が少ない国でもある。
米国の約3万人は別格として、日本の約6000人は中国の約9000人、英仏の約8000人に及ばない。
外交官の数だけで外交力が決まるわけではないが、ここでも力負けしそうである。
もし力負けしたら、どうなる?
ただでさえ痛めつけられている福島の(だけではないが)漁業者を、さらに困窮させはしないか? 困窮するのは漁業者だけにとどまるだろうか?
繰返しになるが、情報発信するにせよ福島第一の場合日本に非があるのは明らかなのだから「最悪の中でも最善の選択として」「本質であるデブリ除去、漏洩水最小化に全力投入する負荷軽減のため」と低姿勢で理解を求めるべきではなかっただろうか? 決して頭ごなしに出て国民同士の対立を助長することではなかったのではないか?
ご覧の通り独自取材があるわけでない言葉の力だけを用いた分析だから、少し違和感あるが「言葉」カテゴリーも装着する。
追記:
連携機能でリンクを流したX旧ツイッターの方に「処理水の処分方法にも選択肢がある」という大意のリプをいただきました。実はその件も認識していましたが、また「海洋放出の是非のみを論点とするのは誤った2分法」というのなら触れておくべきとは思いましたが、網羅と長短比較が大変そうで触れられませんでした。引き続きの情報収集の課題にしたいと思います。
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