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坂部無縁墓地と国指定史跡阿野一里塚

昨日(8/28)付の神社参拝ネタ つながりで、ブログネタにする機会がなかったことをこの際書いてしまおう。

神社仏閣は、いや道端の祠や石仏も、誰かが供養していなければ、まず雑草に埋もれやがて朽ちてしまう。

それぞれの由緒も、守る人がいるからこそ残るのだと思ったことがある。

 

こんなことがあった。拙宅もよりの公民館は、どうした経緯か寺院の併設である。

投票所に使用されたり体育館として供用されたりしている公民館スペースの方が広く、小さめのお寺のお堂は入口の引き戸にいつも鍵が掛かっていて、入口に賽銭入れの小さな窓だけが開いている。住職が常駐しているわけではないのだ。

何年か前の夏の夜、たまたま通りかかったら珍しく引き戸が開け放たれ、中で宴会のようなことをやっていた。のみならずお堂の前にテントが張られ、模擬店かバザーのようなこともやっていた。お盆か何かの法要があったのだろう。

宴会やバザーには興味なかったが、仏像には興味があるので、本尊を一度まぢかで見たかった。気安く入れそうだったので、宴会をやっている人に声を掛け、拝ませてもらった。

本尊は善光寺系の一光三尊式で、身の丈より小さかったが金箔が押された見事なものだった。

左右に石仏など大小の仏像がいくつか並んでいたことも、目を引いた。

気のよさそうな男性がいて、いろいろ話しかけてくれた。

話の内容の大半は忘れてしまったが、石仏の一つを指さし、この由来を知らないかと質問されたことが、妙に印象に残っている。

「よそから移住してきた者なので」と答えるしかなかった。相手は「誰も知らない」と残念そうな表情を浮かべた。

酒を勧められたが、「下戸なので」と辞去した。

 

現住所に越してきて十何年にもなるが、生まれ育った土地ではないのでいつまで経っても知らないことだらけだ。

この夏になってから、拙宅アパートから至近に、こんな場所があることに気づいてびっくりした。これまで気づかなかったことにびっくりした、と言うべきか。

どのくらい近いかというと、弊ブログでよくネタにする黄色いショッピングセンターや駅前ショッピングセンターまでの距離の、半分以下である…って他人に通じねーよ>自分

 

説明書きに接近。

弊ブログ勝手に恒例、OCRによる文字起こし。改行位置、変更しています。ルビある場合は省略します。

 坂部無縁墓地
この墓地には身元不明の多くの人が葬られ、地元の人が花や線香を手向けて供養しています。
大きな碑には、
  南無妙法蓮華経
  本立院宗経是證
   享保十巳年八月十日
小さな碑には
  自證院妙徳□□不明
と刻まれていますが、この墓が何人たるかは定かではありません。
又昔よりこの墓地にお参りすると子供の夜泣き、寝小便に霊験あらたかと言伝えられています。
うら盆には区役員と有志の方々で、供養祭を行なっています。
  坂部区

こういうところも、人手が入っていないとあっという間に雑草に埋もれてしまうだろう。手向けてある花も新しかったし。区役員や有志の方々の労力には、自然と頭の下がる思いがする。

夜泣きや寝小便をしないよう、合掌礼拝しました。子どもか私は?

 

由緒書きに思わぬ感銘を受けることが、ときどきある。ぱっと思い出したところでは、これとか。

www.watto.nagoya

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拙宅至近つながりで、こちらの存在は以前から知っていたが、この機会にブログネタにする。

市内を貫く旧東海道ぞいに「国指定史跡 阿野一里塚」というのがあって、周辺には電柱広告まで巻かれている。

 

うちの市の国指定史跡の電柱広告は「戦人塚」というところにもあって、その由緒をネタにしたこともある。

www.watto.nagoya

 

東西に一対あり、これがその東側である。上の写真では右側である。

ついでに言うと現東海道と言うべき国道1号線が、さらにその東側を走っている。旧東海道とは言っても現東海道とあまり言わない謎。

 

西側(2枚上の写真の左側)。左右を建物に挟まれているので、全景は撮れなかった。


西側のほうから敷地内に入ってみた。

ご存知の通り、塚には目印の大木が植えられるのが常だ。

 

大木の根元の、句碑と説明書き。

春風や坂をのぼりに馬の鈴
  市 雪
東海道の阿野一里塚から「前後」に向かって坂を登りつめると、名医のほまれ高い三田邸があり「春風に馬の鈴が蘇えるようにひびき、道には山桜が点在して旅人の心を慰めてくれる。」の意である。
この句は愛知郡下之一色の森市雪の作で、嘉永元年(一八四八)刊の「名句小景」に載る。
  豊明市観光協会

三田家の子孫は、なんと現在も同じ場所で医院を開業中である。お世話になってます。

 

西側の敷地内から、東側一里塚を見たところ。

 

東側の大木。その奥が現東海道のR1。

 

こちらは説明書きと石碑が立っている。

国指定史跡
 阿野一里塚
  徳川家康は慶長九年(一六〇四)、すでに整備した東海道の宿駅・伝馬制に加えて、道の両川へ塚を築かせ、一里ごとの目印にした。
 県内の東海道には十八の一里塚があったが、現存するのは四か所。そのうち、道の左右とも残るのはこの塚と、知立市のみである。
 昭和十一年十二月に指定を受けた。
  豊明市教育委員会

あれれ、西側の説明書きの署名は観光協会で、この東側は教育委員会なのか。いいけど。

 

東側の敷地から、西側を見たところも撮ってみた。

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