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続『ゴジラ-1.0』の物語構造に関する愚考

本エントリーは『ゴジラ-1.0』ほか各作品のネタバレを含みます。

昨日(7/2)近所の中華料理店で昼食をとっているとき、店内のTVにカメラのキタムラのCMが流れた。

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なんだこれ? 字義通り噴飯しかけたじゃないか。よくある関西アホCMだが、とっさに大林信彦監督『転校生』ラストシーンのパロディだと思った。あとで確認のつもりで検索すると、『転校生』で主人公が乗っていたのはバスではなく引っ越しのトラックだったり「あれ、違ったかな?」と疑念が生じたけど、このCMが何かのパロディであることには間違いあるまい。もし『転校生』であれば、どハマリした年代が偉いさんになる頃ということでつじつまが合うのだが。逆に今の若い人たちが出世するころに世に出てくるパロディは、元ネタ皆目見当つかなくなっているであろう。

 

『転校生』は、序盤で理由のわからぬまま主人公ペアの男女が突然入れ替わる。彼らは周囲の人々からその秘密を守るためまた元に戻る方法を探すため、奇妙な日常を送りときに奇妙な冒険をするのだが、ラストでやはり理由のわからぬまま彼らの中身が突然元に戻るのである。

いらんこと言いの悪癖を発揮すると『転校生』は今日的価値観に照らすと観賞に耐えるものではなく、それゆえAmazon商品紹介を検索してもパンフレットくらいしかヒットしない。リメイクならあるのかな。

 

話を戻して、これが『ゴジラ-1.0』とどうつながるかと言うと、前回7月1日付拙エントリー で「『-1.0』には序盤で視聴者に主人公に共感させることにより "毒" を吹き込み、ラストでその "毒"をデトックスする、という構造があるのではないか?」という私説を述べた。毒の代わりに "呪い" という言葉を使おうかと迷ったが、毒を選択した。どちらでもいいと思っている。

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主人公(たち)に呪いをかけ、ラストで呪いを解くという構造は、実は多くの作品に共通しているのではないかと思った。ただし私なりの結論を先に書いてしまうと、『-1.0』や他に例示した森村誠一『人間の証明』などでは視聴者や読者が「呪いが解かれる」「解毒される」ことを期待していなかっただろうが、『転校生』や以下に例示する諸作品では視聴者や読者が、主要登場人物が序盤でかけられた「呪い」が最後に解かれることを確実に期待していることが相違点だと考える。

 

どんどん並べてしまえ。古い作品ばっかりしか出せないのが悔しいので、新しめのところで新海誠監督『すずめの戸締まり』(2022年)では、主要登場人物の宗像草太が壊れた椅子に姿を変えられてしまった。

 

スタジオジブリ宮崎駿監督作品には、この手の物語が実に多い。

『もののけ姫』アシタカは、タタリ神の「死の呪い」を受け、呪いを解くため旅に出る。

『千と千尋の神隠し』千尋は、異世界に迷い込んで両親をブタに変えられ自身は謎の湯屋で下働きをさせられる。

『ハウルの動く城』ソフィーは、「荒地の魔女」の呪いで90歳の老婆に変えられる。

『崖の上のポニョ』宗介の住む町は、「世界に大穴を開けた」大洪水により水浸しになる。

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また思いついたら追記します。どうやって呪いが解けたのか、すぐには思い出せないものが多いな。

「毒を吹き込む/解毒する」「呪いをかける/呪いを解く」というプロットに限って言えば、『-1.0』や『人間の証明』のようにあらかじめその予測がつかないパターンの方が、それを予測して読んだり視聴したりするパターンよりインパクト強いと考える。もちろん各作品の仕掛けは他にも盛りだくさん仕込まれているから、この1点のみで優劣を論じるべきでなく、またそのつもりもないが。

そゆえば『紅の豚』に限っては、主人公がラストで人間に戻るのはちょっと意外だったな。

 

逆に呪いが解かれない作品も存在する。カフカ『変身』は実存主義の嚆矢とされる。日本文学では中島敦『山月記』がよくそれに対置されるが、先日YouTubeチャンネル登録している枡太さんの「枡太の朗読空間」経由で芥川龍之介に『馬の脚』という短編があることを知った。知らんかった。救いのない物語である。有名なのかな? やはり実存主義と結びつけて論じられているのだろうか?

www.aozora.gr.jp

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芥川について、ちょっとだけ脱線させてください。芥川の作品はたくさん読んだつもりになっていたが、近年になって未読が多いことに気づいて愕然とした。

『竜』という小品がある。竜が出てくると言われた池から竜が出てくるだけの掌編で「なんだこれ?」と思ったが、芥川は近代日本文学の道なき道を切り開いた先駆者の一人だったのだなということが年を取るにつれ実感され、その過程で今日の目から見たら稚拙と思われる痕跡もいくつも残しているけれど、現代日本文学の恐るべき感性を持った若い作家たちは間違いなく芥川らの切り開いた道を通って世に出てきたのだと…文字にしかけて、なにを凡庸なことを言っているのだ私はと思ったので中断する。

 

弊ブログでたびたび繰り返している通り、私には創作の才能がない。才能がない奴が物語のパターン分類をいくら繰り返しても、オリジナル作品が作れるわけではない。おそらく才能のある人はそんなものに頼らなくても、いくらでもプロットが浮かぶのだろう。

しかしこの種のパターンで、たぶんまだ誰もやったことのないであろう以下のようなシナリオが書けないかと夢想したことがある。オリジナルアニメ劇場版くらいの尺で。

 

主人公は少年で、正体不明の災難に巻き込まれる。ある日とつぜん世界がそれまでと似て異なるものに変容し、学校がなくなってしまい級友や先生に会えなくなってしまう。両親は健在だが、なんだか別人のようになり、よそよそしい。元のように口うるさくなく、他人行儀である。

 

主人公は、自分をトラブルに巻き込んだか、少なくともトラブルの秘密を知っていそうな "敵役" と対話する。"敵役" は、主人公に奇妙な冒険に出てその内容を記録するよう命じる。

なんでそんなことをしなければならないのかと問い返す主人公に、"敵役" は報酬を提示する。

中空からコンテナのようなもののマボロシを見せて「個室の勉強部屋だ」

エアコン、テレビ、オーディオ、ゲーミングPC、通信回線を次々とコンテナの中に放り込んで「冷暖房完備、完全防音だ。欲しいか?」

主人公「欲しい!」

 

主人公には、3つの下僕が与えられる。小鳥のようなサイズで何でも質問に答えてくれるがイマイチ言うことに信用ならない "秘書"、カバンのような外見でビスケットを食べさせるといろいろ変身する "ビスケットバッグ"、2人乗りくらいで空を飛ぶ "みじかいりゅう(短い竜)"である。"秘書" と "ビスケットバッグ" は仲がいい。"みじかいりゅう" は独自の異空間を飛行し、そこには他の "みじかいりゅう" や別種の "ながいりゅう(長い竜)" も飛んでいる。

これらの下僕は、主人公の "元気" をエネルギーとして活動する。「使いすぎると、お前は倒れて動けなくなってしまうぞ!」

 

物語の中盤から、主人公に奇妙な "友達" が協力者として現れる。生意気な口を効き、ときに意地悪をするが、どうやら基本的に主人公の味方らしい。

主人公が疲れて動けなくなりかけたとき、"友達" は代わりに "みじかいりゅう" にエネルギーを提供してくれたりする。

終盤近くで "友達" が女の子であったことが露見する。ここのところに、ちょっとエッチな展開を盛り込みたいが、『転校生』の先例もあるし今どきどこまで許されるやら。男同士だと思って一緒にお風呂に入ったら「ええっ、女の子だったのか?」「何だと思ってたんだよ」「胸ぺったんこだし」「小学生なんだから仕方ないだろ」キャーっとお湯の掛け合いになって大はしゃぎになるのだが、主人公は内心「こんなことしていいんだろうか?」と気に病んだりする。

お風呂の外からの声だけ描写にしないと、ぜってー無理だな。

 

冒険のディテールが決められない。このへん私の才能のないところ。

物語のトリックから目を逸らすために、本来ここに思いっきり臭いレッド・ヘリング(燻製ニシン)を置いとかなきゃいけないのだけど。

今、思いついたのだが「謎の都市ナゾジャ」を探検させるなんて、どうだろうか? 巨大なノッペラボウの女性 "ナナシャクさま" に案内されて、"登山" と称してメチャクチャな食べ物を食べさせられたりする。 やっと食べたと思ったら "友達" が「これも食べて」と自分の皿を押しつけたりする。「こんなところに連れて来るのが悪いんだよ」「勝手について来たんだろ〜!」

なんでナゾジャ市かというと、"敵役" が「ナゾシャには目ぼしい流行歌がない! アニメも少ない」と、訳わからん主張をしたからで…

 

オチを書いてしまおう。"敵役" に、要求された成果物すなわち冒険の記録を差し出そうとする。"敵役" は、いろいろと難癖をつけてそれを受け取ろうとしない。

「いいよ、じゃ学校を元に戻して。先生とクラスメートに会わせて」「そんなことはできない」「なぜ?」「私にそんな力はない」「話が違うじゃないか!」主人公は大声をあげて目を覚ます。夢オチだったのだ。

隣に "友達" がいる「君は誰だ?」

問い返される「私は誰だ?」「僕の奥さんだ」「あなたは誰だ?」「僕は…作家だ」

"敵役" の正体はクライアント、"秘書" はスマホ、"ビスケットバッグ" はノートパソコン、"みじかいりゅう" は乗用車。

主人公は実は成人で、子どもに返った夢を見ていたというのがオチである。

 

主人公の書いたシナリオが映画になり、主人公夫婦が自分たちそっくりな子どもたちと一緒にそれを観賞するところをラストシーンにしたい。主人公「面白かった?」主人公にそっくりな男の子「まあまあかな」奥さんにそっくりな女の子「面白かった~!」

才能のある人、誰か書いてください。

ゴジラ-1.0

ゴジラ-1.0

  • 神木隆之介
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