ときどき「増田大喜利」に参加する。「はてな匿名ダイアリー」(以下「増田」)の投稿をお題として、ブックマークコメントで盛り上がろうという「はてな」の名物行事だ。
9月24日付の増田に、こんなのがあった。
私は新しいマンガはわからないので、こんなブコメを投入した。以下、敬称略で失礼します。
千年の時をかける漫画が読みたい。教えてください
松本零士『ミライザーバン』が「輪廻宇宙」を扱っているが単行本1977年初版と古く版元品切。驚くべきことに野崎昭弘『逆説論理学』にパロディの「ミライサーパン」が登場し、こちらはロングセラーで新刊が手に入る。
2018/09/25 02:45
憶えている人は少ないだろうと思ったが、予想より多くの「はてなスター」をいただいたので内心ちょっと嬉しかった。1970年代といえば『銀河鉄道999』や『キャプテンハーロック』で松本零士の人気が全盛だった頃だから、単行本で3巻、後に出版された文庫版で2巻という短い作品だが、知名度は私が思っている以上なのかも知れない。
『ミライザーバン』というのは、主人公が、自分の先祖や子孫の内面を使って、時間軸を自由自在に移動する能力を手に入れるという物語だ。
この作品の特徴は、中盤で作者の松本の宇宙観である「時の輪」または「輪廻宇宙」というのが出てくることである。一言で言えば、時間の始まりと時間の終わりはつながっていて永劫回帰している、という考えである。だからタイムスパンの長いマンガという意味では最長であろうという、ネタのつもりのブコメだった。こういうのは「いまのどこが面白かったか」という説明にほかなりませんねすみません。
ただし率直に感想を言うと、作品自体の完成度は、あまり高いとは思われなかった。作者が自分の宇宙観・世界観を開陳するのに忙しいという観があり、作品の初めの方で登場した敵役の悪の秘密結社(名前が思い出せなかったので検索したら「コスモナータ」という名前だったようだ)が、いつのまにかいなくなるといったアラも目についた。
ブコメに書いた通り、Amazon で検索すると単行本の新刊は各社とも版元品切れで、マーケットプレイスから購入するしかないようだ。
この『ミライザーバン』に関して個人的に記憶に残っているのが、ブコメ後半に書いた通り、数学者の野崎昭弘が著書の『逆説論理学』(中公新書)にパロディの「ミライサー・パン」というのを登場させたことである。1980年初版のこちらの方がロングセラーとなっており、現在も新刊が手に入るのだ。今からこの本を読む人は「ミライサー・パン」というのがなんのもじりなのか、わからない人が多いんじゃないだろうか?
ときに最初ブコメには『詭弁論理学』と書いてしまいましたが、記憶違いで続編の『逆説』のほうでした。ブコメは訂正しました。すみません。
* * *
ときどきやらかす私の悪癖の一つで、ここまでが長い前置きである。
著者の野崎がミライサー・パンを登場させたのは、未来にまつわる「ニューカムのパラドックス」というのを紹介するためである。同書より当該部を引用する。
宇宙の彼方から、超能力生物ミライサー・パンがやってきた。彼は人間の行動を、ひじょうに正確に予測することができる。その彼が、あなたに次のような提案をした。
「ここに箱がふたつあります。こちらのAの箱には必ず千円入っています。こちらのBの箱は、空っぽかもしれませんし、百万円入っているかもしれません。これをあなたにあげようと思うんですが、あなたはBの箱だけ取ってもいいし、AとBの両方を取ってもかまいません。ただ、私はあなたがBの箱だけ取ると予測したときにはそこに百万円入れておきます。またですね、あなたが両方の箱を取ると予測したときにはBを空にしておきます。ではお好きなように、お取り下さい。二千年たったらまたお会いしましょう。ではさようなら。」
あなたはどちらの取りかたを選ぶだろうか?
『逆説論理学』P37~8
「マンガと合ってるのは未来だけやんけ」という脳内突っ込みは黙っていよう。このパラドックスまたは思考実験の紹介が、今回の本題のつもりである。
クイズやパズルではなくパラドックスor思考実験なので、明快な正解というのは存在しない。一読して多くの人が「なんとなくモヤモヤして嫌な感じだな」という印象を受けるのではないだろうか。そのモヤモヤしたものの正体を見極めようという、いわば知的遊戯である。なおときどき書いているように弊ブログでいう「知的」とは「体を動かさない」という程の意味で、知能の優劣のような含意は一切ないつもりである。
もし我々がパンから上掲のような申し出を受けたとしたら、おそらく多くの人は最初に「じゃあBの箱だけを受け取ろう」と考えるだろう。
そこからが気持ちの悪いところである。
もしそれで首尾よくBの箱の中から百万円をゲットすることに成功したとしよう。そうすると我々は、次にどう考えるだろうか? パンはAの箱には必ず千円入っていると言ったのだから、Aの箱ももらって百万一千円ゲットしてしまえばいいじゃないかと考えないだろうか?
ここで時間を巻き戻して想像する。そうすると我々は、Aの箱も取ってしまったことになる。未来人のパンは、それを正確に予知しているはずだ。そうするとBの箱の中身は、カラッポに消え失せることにはならないか?
カラッポの箱を見た我々は「ああ、騙されたんだ」と考えるだろうか? Aの箱に入っていた千円だけでも入手できたことを喜ぶだろうか?
しかし百万円はいかにも惜しい。だったらやはりAの箱には手をつけるべきではなかったと後悔するかもしれない。そこで再び時間を撒き戻した想像が始まるのである。
かくして時間をめぐる堂々巡り、いわばスケールの小さい「永劫回帰」が発生するのだ。これがこの思考実験の気持ちの悪いところだと考える。あ、永劫回帰もマンガと合ってるのか?
著者の野崎は引用部に続く箇所で、自らの考えを開陳している。「はてな」ではパラドックス好きの 夜中たわし さんがエントリーを公開している。
前述の通り、こういう唯一解の存在しない思考実験には、十人十色の解釈が成り立つ。私も二つばかり自分なりの解釈を出してみたのだが、ちょっと長くなったので一旦稿を改める。
追記:
続き(中編)はこちら。