日記です。所用で津市の三重大学に行く機会があった。最寄駅は近鉄の江戸橋駅である。三重大に行くには、駅名の由来となった江戸橋を通る必要がある。
驚くべきことに、たまたま供用開始当日だったようだ!
思わず手持ちのスマホで写真を撮ってしまった。これは橋の東詰(国道23号線側)から撮ったもの。この時刻、車道はまだ開通していない。
歩道は少し前から通れるようになっていたようだが。
「えどばし2019」と刻された欄干の碑石。
遠回りをして、23号線にかかっている橋の南詰あたりから、全景を撮ってしまった。
川の名前は志登茂川というらしい。そゆえば交通量の多い23号線のほうの橋の名前は、何というのだろう? 実物を通ったとき橋名表示を探したが、見つけられなかった。あとでマップを見たけど、やはりわからなかった。
西詰(江戸橋駅側)。
西側の橋のたもとに「江戸橋常夜燈」という大きな石灯篭があった。
説明書きを接写。
弊ブログ勝手に恒例文字起こし。改行位置、変更しています。ルビ省略しています。
津市指定史跡
江戸橋常夜燈 1基江戸橋西詰めは伊勢街道(参宮街道)と伊勢別街道の分岐点にあたり、古くから交通の要衝であった。江戸時代には伊勢神宮への参詣が盛んで特にほぼ60年周期で爆発的に流行することがあったおかげ参りの時には、津の街道筋も参詣客であふれた。
この常夜燈は、伊勢参宮名所図絵の中では、江戸橋西詰めの追分のところに大きく描かれている。安永6年(1777)の銘があり、春日型の形式をしており総高5.4m、最下段の幅2.8mで基段最上段正面に、伊勢信仰の象徴である太一を示す○印が刻まれている。太一は本来中国では北極星の宇宙神のことで、それがいつの頃からか中国の天体思想と伊勢信仰が習合されて、伊勢神宮の天照大神を示す印となったと思われる。
このような伊勢神宮への献燈は県内各地に見られるが、これらは参宮道者の安全、また神宮への感謝や町内の安泰を祈るものであった。
この常夜燈は刻銘から嶋田氏という一人の寄進によるもので、沓脱半兵衛という石工によって造られた、津市内に現存する最古のものである。
近鉄江戸橋駅。帰途である。
テツ!
* * *
あとでGoogleストリートビューを確認した。東詰のほうは2013年4月の写真が出てきた。これが架け替え前の江戸橋なのか!?
https://goo.gl/maps/neCs1tfZRStZ1yiS7
1枚目や2枚目と同じ角度に相当するものだろう。新しい橋に比べて、かなり狭かったようだ。特に車が行き違いをするときに、歩道に人がいたら危ない。
ところがストビュ上で方向転換すると、西詰の架け替え工事中の写真に変わるのだ!
2017年3月撮影。こんなこともまた珍しいのではなかろうか?
https://goo.gl/maps/CdiZmzooaj7Ku8t1A
スポンサーリンク