🍉しいたげられたしいたけ

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営業再開した名古屋駅前のミニシアター「シネマスコーレ」で大林宣彦監督『転校生』を観てきた

ブコメやツイートで何度か書いていることだが、「GOTOキャンペーン」というのが大嫌いである。

「いくら中抜きされるかわかったもんじゃない」とか「政府から言われなくても新型コロナウイルスが終息したら行く」とか、もちろん政策自体に疑問符だらけだが、個人的感想としてはネーミングが大嫌いなのだ。

私の英語力は 2年ほど前に街の英会話スクールで受けた試験 によるとTOEIC換算895程度だそうだが、実態はまるでたいしたことなく、ネイティブにナチュラルスピードで話しかけられると、よほど条件がよくないと正直聞き取りに苦労するレベルである。

その程度の語学力でも、英語として「あ、こりゃアカン!」とわかるのだ。

英語で外食することを × "go to eat" なんて言わない。"eat out" だろう。旅行に行くことを × "go to travel" なんて言わない。動詞 "travel" 単独または "go on a trip(journey)" だろう。もちろんシチュエーションによって最適解は異なる。

「× "go to eat" でも × "go to travel" でも通じるだろう」という反論が予想されるが、それをやると「学校で習うけど大人相手に使っちゃいけない英語」の罠にはまるのではないか。"Go to bed." や ”Go to bathroom." であれば、現実に使用される普通の英語であろう。これらはどういうシチュエーションで使われるでしょうか?

もし「"go to ~" という形を合わせたいんだ」というのであれば、「”you had better ~" や "if I were you ~" で合わせた方が文法的に正確だ」くらい皮肉りたいところである。この2つも「学校で習うけど大人相手に使っちゃいけない英語」の代表格である。

つまり「日本人相手だからいいんだ」といった大衆蔑視の臭いが、強く反感を生じさせるのである。「お前ら日本国民は外国人相手に恥をかいてもいいんだ」と言っているのと同じだから。

つか、外国語をスローガンに使うのは、極力やめといたほうがいいと思う。知らない間に非ネイティブにわからないニュアンスが付加されていることが少なくないのだ…と言いつつ「スローガン」「ネイティブ」「ニュアンス」とカタカナ語を3つも使ってしまったじゃないか。

言いたかったことは、こういうことである。最近のホッテントリから。

digital.asahi.com

togetter.com

こういう記事やツイートを読むと、世界はほんとうに知らないことに満ちていると思う。未知なるものと対峙するとき、我々は「謙虚」以外に有効な武器を持たない。

ちょっとだけ知ってることを書く。英語の勉強に ESL-Podcast というのを、有料化してから聞かなくなっちゃったけど無料部分が多かった時期に、ずっと聞いていた。トピックとしてアメリカ合州国の歴代大統領を取り上げる回が定期的にあって、ソースは主にそこだが、エイブラハム・リンカーン 以前の(つまり当然 リンカーン を含む)16代の大統領は、批判的であれ妥協的であれ、みな奴隷制という政治課題に正面から向き合ってきたという。向き合わざるを得なかったのだ。そして リンカーン 以降の29代の大統領は、融和的であれ対立的であれ、みな人種問題という政治的マターに正面から向き合わざるを得なかった。使い古された冗談みたいだが、ようするに全員ということだ。

これはアメリカ合州国一国に留まらず、南北米州大陸のほぼすべての国の持つ歴史であり同時に現実であり、さらに言えばその広がりはヨーロッパ大陸とアフリカ大陸の大部分をカバーする。これもできの悪い冗談になってしまいそうだが、つまり歴史に深い根を持つ現在進行形のとんでもない規模の問題が、新型コロナウイルスをきっかけに表面化した観がある。

私自身、勉強がぜんぜん足りてなくて、これ以上のことは言えないが、それでもあえてもう一言するなら、ネットで散見されるような日本のウヨサヨを単純に投影して事足りるような問題では、絶対に、ない。

 

話が大きくなってしまった。もう一つ、少し古いツイートになるが、これも。FF外から引用失礼します。

 

ともあれ GOTO キャンペーンがあろうがなかろうが、終息したら行く。外食と旅行もどきは、終息しなくても行ってるかな?

シアターについては、タイムラインに FF さんのこんなツイートが流れてきた。

 

調べてみると、名古屋駅前のミニシアター「シネマスコーレ」は5月23日(土) より営業再開していたようだ。

 

そして6月6日(土) から、大林宣彦 監督の追悼特集が始まっていたようだ。

名古屋のミニシアターというと、今池のシネマテークや新栄の名演小劇場は行ったことがあるが、いちばん便利そうなシネマスコーレには、なぜか一度も行ったことがなかった。率直に言って、私はたいした映画好きではないのかも知れない。

だが名高い尾道三部作は未見だったし、特に『転校生』は諸般の事情というやつで、この機会を逃せば永遠に見る機会はないんじゃないかと思った。

それで、見に行くことにした。

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名古屋駅桜通口(東口)「金時計」。非常事態宣言発令中の人気のない写真が、私の観測範囲ではけっこう目についたが、今日はかなり人出が戻っていたのではないか。

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太閤通口(西口)「銀時計」。こっちはちょっと寂しいかな?

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名駅西口シネマスコーレ。ロビーがないので、前の道路が実質観客の待機場所になってしまっている。人気作品『カメラを止めるな』上映時なんか、すごいことになっていた(2018年8月26日付拙記事 参照。このときは結局ここでは見なかった)。

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ネット予約には対応してなくて、窓口で現金払いし整理番号札をもらうというアナログなシステムだった。チラシもいっぱいもらった。

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入館は番号順で、一旦入館してしまえば座席は自由ということだった。シート数は全48席で一つおきに座らなければならなかったから、25番では溢れてしまうのだが、補助椅子がいくつか用意されていたので座れた。つまりほぼ満席ということで、ご同慶の至り。

 

で、肝心の作品の感想なのだが、うーん、あくまで個人的意見なのだが、ダメだった。

尾道の風景など、映像は確かに美しいと思う。トロイメライなどクラシック主体のBGMも、洗練を感じた。

どこに引っかかったかというと、ズバリ、現在では児童ポルノ法の規制対象であることだ。

前述の「諸般の事情」というのが他ならぬこれで、すなわち鑑賞前から知っていたことではあったのだが、実際に見始めると終映まで、ずっと共感羞恥のような感情に苛まれ続けることになった。

「現代の価値観で過去をさかのぼって断罪する」ことに意味があるかは、しばしば議論になるところではあるが、主演女優の 小林聡美 氏に関しては、撮影で裸になることに抵抗を示したという新聞記事を読んだ記憶があり(検索したところ元記事は見つけられなかったが 転校生 (映画) - Wikipedia に記述があった)、#MeToo 運動や #フラワーデモ を男性ながら支援の側からウォッチし、性犯罪・性虐待被害者の体験談をそれなりの量読んできた記憶に照らすと、最後までずっと抵抗感を抱きつつ鑑賞せずにはいられなかった。

時代的な制約というもので仕方のないことではあるが、LGBTに対する扱いも「38年も前の作品なのだから、いや、38年で状況はこれほど変わるものなのだ」と自分で自分を説得する必要を感じた。

「思春期の性」は、フィクションのテーマとしては、かけがえのないものであるのだけど、いったいどうしたらいいんだろう?

 

そういえば、こんなニュースもあった。こちらはキャプションをつけて近く配信を再開するとのことではあるが。

digital.asahi.com

 

ところで帰宅後に見たニュースによると、6月14日の東京都新型コロナウイルスの新規感染者が47人とのことで、ひょっとしたら go to theater は時期尚早だったか…?

www3.nhk.or.jp

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