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愛知県知立公園花菖蒲園のハナショウブは盛りを少し過ぎていた

一、二週に一度、隣県にある実家の様子を見に行っているため、二拠点生活のような生活を送っている。

二拠点生活といえば「はてなブロガー」さんでは 妄想ワイフ(id:mousou-wife)さんが、鎌倉と軽井沢の二拠点生活をブログに綴っておられます。突然の言及失礼します。

mousou-wife.xyz

鎌倉と軽井沢はどちらもネームバリューがあるというかブランドというか、まことにうらやましいです。わが生活の二拠点は、いずれもそれぞれの県の県庁所在地に隣接しているものの、いずれも人口十万に満たずこれといった名所もないため、他の地方への知名度はなきに等しいのが悲しいところ。どちらも決して住みにくいところではないのだから、それでいいのだけど。

 

直近2度続けて実家に近いハナショウブ園をブログに書き、連携機能でリンクをツイッターに流した。そうしたらFFさんのお一人が「知立神社もそろそろ見頃か」という意味のツイートをされていた。私のツイートへの直接のリプではない。ツイッター語で言うところの「なんか見た」であろう。

それがきっかけで google:知立神社 ハナショウブ で検索してみた。神社に隣接する知立公園というところが「花しょうぶまつり」というのをやっていたが、今年の開催期間は5月15日~6月10日とのことですでにイベント終了という情報がヒットした。残念。

 

だがイベントの期間が過ぎていても、咲き残りの花はいくらか見られるかも知れない。幸い車を使えば勤務先から至近である。今は遠隔メインだがたまに出勤日もあって…とはここのところ毎回のように書いてますねすみません。

ハナショウブネタはもろに3回連続ですね。こちらもすみません。

 

知立神社には、広い参拝者用駐車場があることは知っていた。

 

コロナ禍が始まって最初の春に、どこでもいいからどっか行きたいとここへの参拝をネタにしたことがあったのだった。あれからもう2年か。感染者また増えたとかニュースで言ってるぞ。やれやれ。

www.watto.nagoya

 

鳥居をくぐったところから見た本社拝殿(左奥)と多宝塔(右手前)。夕刻で天気良くなかったから画面が暗いな。

 

多宝塔の手前に、知立公園東園への入口があり…

 

多宝塔を背にして境内左方を見ると、知立公園西園がある。

 

上の写真の左奥に写っている「知立神社と知立公園案内図」。

弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。改行位置、変更しています。ルビある場合は省略します。以下同じ。

知立神社と
 知立公園案内図
●知立神社(112年創建)
 東海道屈指の名社であり、霊験もあらたかである 文化財には、多宝塔、古額、舞楽面などがあり、保存されています。例祭(5月3日)には、山車文楽や山車からくりなどが奉納されます。
●花菖蒲園(はなしょうぶ園)
 明治神宮より特別下賜された数十種類の花菖蒲が6月上旬に美しく咲き誇ります。

創建がAD(?)112年とはどういうことだろうと思ったのだが、ヤマトタケルの父とされ実在した証拠がない景行天皇の時代とすれば、そんなものだろうか? それにしても wikipedia:景行天皇 には「実在したとすれば4世紀前期から中期」と書いてあるから、やはり数字が合わないのだが。

 

同写真右手前の案内板。

ユネスコ無形文化遺産
 知立の山車文楽とからくり
  国指定形重要文化財(無形民俗)平成二年三月二十九日指定
  ユネスコ無形文化遺産登録 平成二十八年十二月一日(日本時間)
 知立神社の祭礼(知立まつり)は毎年五月二日、三日に行われ、本祭りと間祭りが一年交互に開催されます。本祭りでは五台の山車が宮入りし、山町・中新町・本町・宝町の四町の山車で文楽(人形浄瑠璃)が、西町の山車でからくり人形芝居が上演されます。
 からくり人形が山車の上でただ動くだけでなく、浄瑠璃に合わせて物語を演じたり、山車の上で人形浄瑠璃が演じられることは、全国的にも珍しいものです。
 山車の奉納がいつ始まったか定かではありませんが、承応二年(一六五三)に行われたとの記録が残っています。江戸時代の中頃には山車の上でからくりや人形浄瑠璃が演じられるようになったと伝えられます。
 上演の技術の伝承はもちろん、人形や衣装の製作・修理にも多く町民の手が加わっており、地域の人々のまつりへの熱い思いが強くこもっています。
 平成二十八年十二月一日(日本時間)、「知立の山車文楽とからくり」を含む三十三件が「山鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

この案内板は、
  トヨタ車体株式会社・東海部品工業株式会社
         の寄付により建てられました。

よその街のお祭りには概して冷淡なものとはいえ、こんなに盛大そうなのに一度も見に来たことがないのはあんまりかな? 覚えてたら来てみよう。

 

同写真の中央奥にあったのは「知立市観光めぐり」。さすがにこちらの文字起こしはパス。

 

まずは西園から見て回ろうと思った。その前に本社拝殿にご挨拶の参拝。

 

神社境内を出たとっつきの入口。「池鯉鮒大明神」と刻された石碑があった。検索したら知立神社の旧称とのことだった。

 

入口の右方向。池と水路が廻らしてあって、あちこちに橋が渡されていた。

 

花に触れるくらい接写できた。もちろんホントに触ってないですよ。

 

公園名が刻まれた石碑。

 

しおれている花が目立った。イベント期間が過ぎていただけあって、盛りは少し過ぎていたかな。

 

敷地の南西隅にあった説明書き。

知立公園の花菖蒲について
当公園の花菖蒲は昭和三十年、仝三十二年、仝三十五年の三回に亘って明治神宮から特に御下賜いただいたものであって明治天皇並びに昭憲皇太后御遺愛の名品種約六十種類が年々其の妍を競い五月の八橋の杜若と共に当知立市に於ける名花の双璧と謳われて居る。
花の見頃は六月の五日から十八日頃までの間であって六月の花期には毎年花菖蒲祭りの期間を設けて茶会、宝物展、学童の写生会、写真の撮影会等諸行事が催され尚、花期間直前には「さつき展」も行われて居る

6月18日だったら間に合ってるやん。初めの方に書いたとおり今年は10日までとのことだったが。

 

説明書きの前から公園の奥=北方を見たところ。「明治神宮御分譲 知立花菖蒲苑」と刻まれた石碑がある。

奥に見える鳥居は「土御前社〔つちごぜんしゃ〕」という知立神社の摂社末社の一柱。

 

上の写真の右側に写っている四阿に少し近づいた。

 

同じ写真の左側、四阿と藤棚かな?

 

足元の花を接写。

 

藤棚ごしに土御前社の祠。ちゃんとお参りしています。

 

知立神社の境内に引き返しがてら、見栄えのよさそうな花を接写していった。

 

入口を園内から見たら、今はなかなか見られなくなった二宮尊徳像と、芭蕉の句碑があった。

芭蕉句碑
  市指定文化財(建造物)
  昭和四十年一月一日指定
不断堂川 池鯉鮒の宿農
  木綿市 芭蕉翁
 元禄五年(一六九二)秋九月、江戸深川で詠まれた松尾芭蕉の句である。
 池鯉鮒の馬市は歌川広重の浮世絵に描かれて有名であるが、それと並び木綿市も年間を通じて行われ、賑やかであったことがうかがわれる。
 池鯉鮒蕉門の俳人井村祖風が、寛政五年(一七九三)この句が作られて百年目にあったのを記念し、同好の士十五名に働きかけて建立されたもので、その名は碑陰に刻まれている。
  知立市教育委員会

「不断堂川 池鯉鮒の宿農」には「ふだんたつ ちりふのしゅくの」とルビが振ってあった。知立宿の木綿市が「普段立つ」すなわち常設だったということはわかったが、「堂川」を「たつ」とどうやって読むのだろう?

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知立神社の境内に戻った。まっ正面に多宝塔が見えた。

 

知立公園東園への入口。

 

入口手前の池の水草は、花をつけていなかった。知立市の市花であるカキツバタであろうか?

知立市とカキツバタの縁を述べ始めると長くなるのだ。そのうちネタにしてやろう。

 

明治天皇の歌碑。

かきつばた
 にほへる池は
かけわたす
 橋こそ花の
たえまなりけり

カキツバタが満開の池で花が途切れているのは橋がかかっているところだけ、という意味らしい。歌の後に記されているのは揮毫者の名前と肩書のようだが、私には読めない。検索したが、明治神宮の宮司らしいという以上のことは、わからなかった。

奥の方の池には、ハナショウブが多く咲き残っていた。カキツバタよりハナショウブのほうが時季が遅いのだ。

 

よく咲いた花を間近から接写。

 

奥の看板には「池の中に物をなげいれないで下さい 花菖蒲育成会」と書いてあった。

 

池のまわりを歩きながら、よく咲いた花を選んで撮った。

 

ここにも藤棚があった。他の季節にも来てみようかな、近いんだから。

 

よく咲いた花ばかりというのも何なので、わりあい目立っていた萎れた花も。

サクラのように散る花、ツバキのように落ちる花もあれば、このハナショウブのように萎れる花もある。盛りだけでなく、どの時季の花も愛でられる心を持てたらと思わないでもない。

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