気まぐれな実家の身内の要請である。「新緑が見たい」とのことだった。
実家のある県は「山国」と言われるが、実家の位置する市は濃尾平野のただ中で山から遠いのだ。「揖斐山地か養老山脈の近くで、どこか行ったことのないところへ行きたい」という要望だった。
これまで県名市名その他固有名かなりおおっぴらに出しておいて、いまさら伏せる意味あまりないけど。
それはともかく、やれやれと思いつつ検索すると、道の駅「夢さんさん谷汲」というところがヒットした。谷汲山華厳寺という名刹の近くである。たびたび書いているように身内は道の駅が大好きなので、うってつけであろう。車を出した。
公式HPこれかな? ブログカード貼っとこ。
GW期間中ということもあり、駐車場30台というのは足りない気がした。ぎりぎり1台分の空きがあったので助かったが、あきらめて出ていく車もあった。
印象的な建屋。左が食堂、右が物産館。
上の写真を撮ったときの背中側にあった情報交流館とトイレの建屋。こっちには入らなかった。
物産館の入口。
売り場はそんなに広くなかったが、身内はものすごい情熱で買い物をしていた。
そう言えば道の駅に来るのは何ヶ月かぶりだったっけ? 自ブログ検索すると、去年の11月に「月見の里南濃」というところに行って以来 だったか! 寒い間はあんまり遠出しなかったからなぁ。
入口すぐのところに並べてあったおにぎり。内心「こんなの売れるのかしらん」と思っていたら、直後に団体さんが人だかりを作っていた。売れるのかやっぱり。
菓子。田舎っぽいというと語弊があるが、昔ながらの素朴なものが並んでいた。
食堂は休みのようだったが、五平餅の売り場は開いていた。五平餅というのは、ダンゴ状にしたモチ米を平べったい木の棒(方言で「ホセ」と言う)に刺してクルミ味噌だれを塗って焼いた、これまた素朴な地元名産スナックである。
だがここのよかったところは、谷川にかかる橋ひとつ隔てたところにあった「谷汲緑地公園」だった。
ここも公式HPのブログカードを貼ろう。規模が大きくて、ちょっとすごかった。
よけいなことを言うと、緑地公園にも駐車場はあるので、ここを訪れる人は広いとは言えない道の駅の駐車場に停めるのではなく公園の駐車場に停めることをお勧めします。
とっつきにあった宿泊施設。ここをベースに、登山をしたり、すぐ後で出てくるバーベキュー施設でバーベキューをしたりするのだろうか。
「宿泊者専用エリア」と書かれた立て看板。
コテージ。新しかった!
宿泊施設の横をすり抜けたところにあった四阿。新緑が触れるくらい近くにあった。触らなかったけど。
四阿の横をさらにすり抜けると、広大な芝生広場に出た!
芝生広場を背にすると、小堀遠州の歌碑があった。
弊ブログ勝手に恒例、OCRによる文字起こし。改行位置、変更しています。以下同じ。
遠州流
此処に書かれた歌は、小堀遠州守後に宗甫と号せられる三代将軍家光公のお花お茶等のご師範としてそば近く仕え一万石を所領されて居りました。
この時期 書院花を再興し、遠州流としてそれ以来今日に至も左記直筆の歌軸と共に代々受け継がれて遠州流の花が行われて居リます。
碑文には次のように書かれて居リます。
世代渡り候初音の伽羅
細川三斎所持して白菊
たぐひありと誰かは言わむ寸時匂う
秋より後の白菊の花
三斎より二宗所持して初音
きく度にめずらしき親ほととぎす
いつも初音のここちこそあれ
即ち所持して
世の中のうきを身に
つむ紫舟のたかね
さきよりこがれ
ぬるかな 宗甫
芝生広場には、木製の遊具がいっぱいあった。
バーベキュー棟と、「揖斐すめらぎの森」と刻された金属碑。
説明書きを接写。
揖斐すめらぎの森  ̄’
すめらぎとは、天皇という意味があります。
ここ谷汲緑地公園北西の山麓には、昭和32年4月に開催された第8回植樹行事ならびに国土緑化大会において、昭和天皇、香淳皇后両陛下がスギをお手植えされた場所があります。
そして、昭和51年7月には、上皇、上皇后両陛下(当時皇太子同妃両殿下)が、同地をお訪ねになり枝打ち作業をご視察されました。
さらに、平成27年10月に第39回全国育樹祭が開催され、今上陛下(当時皇太子殿下)により、全国育樹祭では初めてとなる間伐の鋸入れを行っていただきました。
このように、皇室三代にわたり森林づくりが引き継がれてきた皇室ゆかりのスギのある周辺の森を、未来への宝とし、町民こぞって守り育てる決意を持って「揖斐すめらぎの森」と命名しました。
令和元年10月
公園や施設が何かテーマを持つのはよくあることと言え、「皇室」がテーマというのは珍しい気がする。
以前も書いたことがあるはずだが、私自身の皇室に対する感情は「敬して遠ざける」なのだけど。
金属碑の右隣にあった「さざれ石」。
さざれ石
さざれ石は学名を石灰質角礫岩といい、小さい石灰石が長い年月の間に雨水で溶け、そのとき生じた粘着力の強い乳状液によって石どうしがくっつき、巨石となったものです。
このさざれ石は国歌発祥の地との伝承もある揖斐川町春日の山中で取されたもので、石灰石の集積の過程と状況をよく示しています。
なお、揖斐川町春日笹又、さざれ石公園のさざれ石は横5.6m、幅2.7m、高さに3.0mという大きなもので、「笹又の石灰質角礫巨岩」の名称で岐阜県の天然記念物に指定されています。
ただし「さざれ石」が成長するのは地下にある間だけで、地上に取り出されたらその瞬間から風化する一方なんだけどね、と情緒のないことを言ってみる。
さらにその右手にあった「育樹の碑」。どっかの子どもが抱きついていた。
石碑右側の石板を拡大。
第三十九回 全国植樹祭
ここ揖斐川町谷汲において皇太子殿下ををお迎えし、全国育樹祭を開催しました。
お手入れ行事では、昭和天皇・香淳皇后両陛下がお手植えされ、今上天皇・皇后両陛下が枝打ちの様子を見守られたお手植え木のさらなる成長を促すため、全国育樹祭では初めてとなる『間伐』の鋸入れを皇太子殿下に行っていただきました。
この皇室三代にわたり育まれた森で開催した全国育樹祭を通じて、豊かな森林を世代をつないで守り育てることの大切さを、岐阜から全国に向けて発信しました。開催日 平成二十七年十月十一日
お手入れ会場 揖斐川町谷汲名礼地内
(第八回植樹行事並びに国土緑化大会開催地)
式典会場 谷汲緑地公園
平成二十八年十月九日
岐阜県知事 古田 肇
揖斐川町長 宗宮 孝生
いやはや保守県として全国的に名高いだけあってか、皇室の好きなこと…
石碑の左側には、ここにも「さざれ石」が。いくつもあると、ありがたみ減らない? と何度めかのよけいなことを言ってみる。
ということで駐車場に引き返した。身内の「新緑が見たい」という要望に応えられたことを望みつつ。
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帰途は寄り道して道の駅「織部の里もとす」を訪れた。
去年の11月以来の再訪である。
ここは、このあたりの道の駅の中ではいちばん規模が大きい。
国交省HP には、駐車場小型車134台、大型車8台…と書いてあった。
それでも停めるスペースに苦労した。GWは、思わぬ苦労をすることがある。
ゆるキャラ「もとまる」と「さすけ」の顔出し看板。約半年ぶりに、またお会いしましたね。
地場産野菜の即売所。
扱っているのは、岐阜県産だけではなさそうだった。
しいたけ。
上の写真の奥側にも、いっぱいあった。
漬物いろいろ。ちょっとピント合ってないな。スマホカメラなので一概にピントは甘いというものの。
隣の棟には「おみやげコーナー」なる看板が掲げられていた。
何があったかというと、まずはジビエ、鹿肉製品。
アユ甘露煮。
織部焼のコーナーがあった。
前回撮らなかった大念珠。「樹齢二千年」と書いてあるけど、そんな木を伐っちゃっていいの?
パンコーナー。顔をくり抜いてない「もとまる」と「さすけ」の写真も載せたかっただけである。
この手の拙記事いつもの締めで、身内が買ったものを並べた。
上段左からこうじ漬け、お菓子、しそきくらげ、下段は五平餅、昆布おにぎり、アユ甘露煮、キュウリ味噌漬け。
いつもより品数多めであった。
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