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【創作】転生したら親鸞だった?(14)第3景【鎌倉編】馬借・欠七(2/2)

暫定目次 各「その1」のみ クリックで詳細表示

(1) 第1景【現代編】猪飼家のマンションにて(1/6)

(7) 第2景【鎌倉編】車借・捨六(1/6)

(13) 第3景【鎌倉編】馬借・欠七(1/2)

(15) 第4景【現代編】個室病棟にて(1/2)

(17) 第5景【鎌倉編】ボクの無双(1/2)

(19) 第6景【鎌倉編】被差別集落(1/4)

(23) 第7景【鎌倉編】霊感商法(その1)

新着お目汚しを避けるため、日付をさかのぼって公開しています。体裁にこだわらず頭の中にあるものをダンブしている、という意味です。 あとからどんどん手を入れるつもりです。前回はこちら。

watto.hatenablog.com

 

(主人公「ボク」による語り)

欠七「出発の前に、朝食を済まそう」

今度はボクが無言で従った。

食堂というか、まかない部屋は、今度はかなりの客でごった返していた。朝食時のピークだったのだろう。

メニューは一つしかない。昨日と同じ雑穀粥をすするのに、そんなに時間はかからなかった。

欠七「支払いをしてくれ」

図々しい奴だと思ったが、逆らっていい相手かどうかわからない。言われるがままに、紐から銅銭を何枚か抜き取った。紐には銅銭はほとんど残らなかった。

ボクの内心を察したのか、弁解のようなことを口にした。

欠七「ここから目的地の高田の郡衙〔ぐんが〕までは、そんなに遠くない」

前にも述べた通り、郡衙とは郡の役所のことだ。

 

すぐそばの席で、トラブルが発生した。

まかない「お代を貰ってないぞ」

客「コメ袋をここに置いたじゃないか」

まかない「そんなものは、ない!」

欠七「さあ、急ごう」

欠七さんの衣の前が、不自然に膨らんでいた。手癖の悪い奴でもあるようだ。

 

欠七さんの言葉どおり、確かにその日のうちに高田の郡衙に着いた。

だが、ほぼ1日、歩きづめだった。

しかも糸魚川の駅家を発ってほどなく、ふたたび海岸と山塊に挟まれた細い道をえんえんと歩かされた。峻険さは親不知子不知ほどではないが、直線距離は親不知子不知より長いという。

あとで調べたところ糸魚川から高田までは約50km、休憩時間を含めて12時間以上も歩きっぱなしだったようだ。

病み上がりの体には、死ぬかと思うほど堪えた!

 

高田に着いたときには、日はすっかり西に傾いていた。

郡衙は何重にも土塀を巡らせた、珍しく瓦葺きの、堂々たる建物だった。それも京都奈良の伝統ある寺院に見られるような、丸瓦と平瓦を組み合わせた本瓦葺きである。今日見るような、一枚で丸瓦と平瓦の機能を備えた左右非対称の瓦は「桟瓦〔さんがわら〕」と言って、江戸時代に考案されたものだそうだ。

ja.wikipedia.org

 

欠七さんは建物のうちの一つの、周囲に巡らされた内塀の入口のところにボクを導いた。

欠七「荷物を置いて、中に呼ばれるまでここで待て。俺はここでお別れだ」

ボク「短い間でしたが、ありがとうございます」

せいせいしたが、一応お礼は言った。

ボクはその場に座り込み、クタクタになった背中を土塀にもたれさて、呼ばれるのを待った。

 

やがて役人から、内塀の中に入るように言われた。正面に建物の縁側があって、前庭があった。TVの時代劇で見る奉行所のお白洲のようだ。だがこの庭は、白砂が敷き詰められているわけではなく、ただ殺風景なむき出しの土があるだけだった。

そこに座って、さらに待つように言われた。

役人「郡司の後藤左官さまだ」

左官というのが諱なのか官名なのかは、わからなかった。

その後藤左官が、縁側の上に現れた。40代くらいの痩せ気味の男性で、横柄そうな印象だった。

時代劇と違って平伏を命じられはしなかったから、軽く頭を下げてそのまま座っていた。

後藤左官はボクのほうをちらりと見、手元の書き物と見比べた。おそらく人相書きが載っているのだろう。この時代の本人認証は、そんなものだろう。かといってハッキングの方法は思いつかなかったが。また思いついたからと言って、実行できるわけがないけど。

後藤左官「藤井 善信〔ふじい よしざね〕、元は坊主か。では紫雲寺の西明和尚にでも任せればよかろう」

それだけ言って奥に引っ込んだ。横柄そうじゃなく、じっさい横柄な奴だっだ。

 

さっきの役人がそばに来て、言った。

役人「紫雲寺に行く」

ええっ、また歩くの? 口には出さなかったけど。

役人「荷物は?」

ボク「塀の外に置くよう言われたんですけど」

役人「持って入ればよかったのに」

ボクはあわてて、荷物のところに行った。

笈がぺっちゃんこだ!

ボク「やられた!」

椀も箸も着替えも、カミソリも、少しだけ残った銅銭も、半分に割いた布までも、きれいさっぱり消えていた。なくなっていた。

わずかに阿弥陀経を書いた紙片だけが、ぺっちゃんこになった笈の底に残っていた。

欠七の野郎が持って行ったのか? そうに違いない。あの泥棒め!捨六が疫病神なら、あいつは貧乏神だ!

驚くほど軽くなった笈を手に持って、これからこの世界でどうやって生きていくのか、ボクはひたすら途方に暮れた。

(この項つづく)

追記:

続きです。

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