なんでお百度参りをやっているのかを、これまでのまとめ的に、あえて言語化してみる。
まず「その1」で述べた通り、お百度参りは医学的には効能はない。科学的には、お百度参りと病状には、なんの相関関係もないのだ。看病や看護には大変なエネルギーが必要なので、ご家族や関係者の方々には、体力の維持、回復こそを優先していただきたいと希望する。
次に「その2」に書いた通り、代参は他人がやってもOKなのだ。伊勢講はご近所づきあいだし、いくら次郎長と石松の盃は実の親子より重いと強弁しても、次郎長と石松に血縁関係がないことは動かない。
そして今回、新たに述べておきたいのは以下である。実際に看病、看護にあたる人々は、どうしたって後悔が生じる。「あれをやっておけばよかった」「こうしておけばよかった」という考えが後から出てくることは、避けられないのだ。
他人がお参り、願掛けを代行することによって、もしそうして生じる可能性のある後悔のうち、一つだけでも取り除くことができるのであれば、望外というものではないか。そう考えて、僭越ながらしゃしゃり出ている。
前回と前々回の拙記事にいただいたブックマークコメントや twitter のリプライで、「一緒に祈ります」というコメントをいくつかいただきました。ありがとうございます。考えてみれば、私が祈るだけでなく、他の方のお祈りを私が代行するということもあることは、考えが至りませんでした。力不足ながら、受け止めさせていただきます。
とは言いつつ、どうすればいいのだろう。代参のしるしのつもりでスマホをポケットに入れて参拝しているが、更新ページを表示させる前に、自分のところのブコメとスターの一覧を表示させてから参拝を始めればいいのだろうか。気持ちということで。
スマホアプリに代参アプリなんてないかと思ってちょっと検索したが、「あるかそんなもん」と表示された。ないなら自作しようかしらん。Android アプリの製作方法は、以前少しだけ調べたことがあるが、完成に至らず放り出している。
UIは木鞘の長脇差〔どす〕に紙封なんてどうだろう? 金比羅代参の直前に、次郎長親分が「おめえは喧嘩っ早くていけねえ」と封印を貼るのだ。兄弟分たちに笑われながら、石松は「ちぇっ」と拗ねるのだが、ちょっと考えると駿河から讃岐までの長旅に、重くて邪魔になるだけのモノをわざわざ持ち運ぶなんて、フィクションとしてもありえなくね?
機能はタップすると紙封が破れるというだけ。都鳥一家に殴り込みをかける直前に、親分手ずから封印を破るというのが定番シーンである。
…「こんなアホな奴に代参なんか頼みたくない」という人がいたら、他にもお参りしている人がいることを示すため、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。
— nekohanahime (@nekohanahime) 2018年1月14日
お馴染みとなった百度石代わりの消火栓と、タマゴの自販機。
タマゴの自販機をご存じない方がいらっしゃったようなので、中の写真を示します。コインロッカーみたいにお金を入れると扉のカギが開くのです。コイン精米機なんてのも、都会の人は知らないでしょ? 200万都市の近郊とはいえ、うちの近所は田舎以外の何物でもないのだ。そもそもその200万都市も「巨大な田舎」と言われている。
門柱。なぜかこれまで撮ったことなかった。
消火栓は境内のすぐ外にもあったのだった。ここを百度石に使っていれば、お百度はもっと短期間ですんだであろう。短期間で済ますことが目的ではないったら。
今回は0時台から始めたので、30回の参拝が終わったのは4時前だった。これでここは100回コンプリート。ただし今後もこれまで通り、散策のついでにお参りに来ます。
本殿向かって左のガラス戸を接写。市内に宮司が常駐しているのは、この張り紙にある諏訪神社と、もう一軒くらいだったはず。諏訪神社については 去年の4月 にエントリーにしたことがある。神社の系統には、今どきこだわっていられないんだろうと思う。
参拝先は近いところから選んだと書いたが、地図で調べると、この小高い丘の上にある八幡宮というところのほうが若干近いようだった。次の週末はこちらにお参りしよう、と伏線を埋めておく。
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