前回のエントリー に、今回お参りしている神社のある形のよい小高い丘には、名前がないらしい旨を書いた。あれから地元の知人二、三人に「丘の名前を知りませんか?」と尋ねてみたら、みな知らないとのことだった。
それでふと思いついた。ひょっとしたらこのあたりは、もとはなだらかに広い丘陵地で、そこが宅地として開発が進み、神社の周囲の杜だけが取り残されたため、結果としてここだけが丘のように見えるようになったのではないかという仮説を立ててみた。
上掲写真からも、なんかそんなふうに見えませんか?
またしても連想したのは、京都市の事情だった。前回の記事にも書いた通り、京都のバスには、行き先や経由地を示す地名が表示される。どこでもそうか。記憶に残っている行き先の一つに、「岩倉団地」というのがあった。一時期、バイト先に移動するために、この路線をよく使った。
あれれ、今、検索すると、京都のバスの行き先で「岩倉団地」というのはヒットしないぞ。代わりに「村松団地」というのがヒットした。いくらなんでも記憶違いってことはないはずだから、名称が変わったのだろうか? いらんことだが名鉄バスの「岩倉団地」*1もヒットしたけど、今回は無関係だ。
ちょうどライターの とみえみさと(id:mitan_555)さんの、この記事が人気エントリーに上がっていた。記事中に紹介があるアプリをインストールしたら、そのへんの事情がわからないだろうか?(無理
いつもの言わなくてもいいことを言う悪癖を発揮すると、とみえみさと さんの記事への言及は、前回の拙記事 からでも可能だった。だがあの文脈で言及したらセクハラジジイ以外の何者でもないので、自重した次第。ホントに言わんでもいいことだな。
またしても前置きが長くなった。今回の本題もしょうもないことです。仮に今は「岩倉団地」行きと呼称させてください。そのバスの車窓から、通称「モヒカン山」として全国に悪名を馳せた山の全容が、よく見えたことを思い出したのだ。
「モヒカン山」の正式名称は一条山〔いちじょうざん〕といい、山といいつつ標高60メートルほどの丘である。百人一首の時代から「岩倉五山」の一つとして知られた名勝だったが、1980年代に開発業者が宅地造成のためふもとを削り取ってしまい、山頂部だけに木が残されたモヒカン刈りのような姿になってしまったので、この異称で呼ばれるようになったのだ。
検索すると、多数の画像と記事が出てくる。世紀はまたいだものの、法的には決着したようだ。だが原状回復がなされたかどうかは、よくわからない。
京都のような歴史の古いところだと、下手な開発をしようものなら大騒ぎになるが、名古屋市郊外や周辺都市だと、言葉は悪いが「やりたい放題」のようなところがある。だいたいこのあたりは、丘陵地といってもこんもりとしたところは少なく、緩やかな凹凸が連続するところが多い。小高くなったところは、耕地には適さないが、水はけと日当たりがよければ宅地にはうってつけなので、都市部の人口増加に伴って容赦なく宅地開発が進んだのだ。
そう言えばうちの近所では、丘に名前がついているところはあまり思いつかない。ないことはないのだが。逆に多いのは「狭間」あるいは「廻間」とつく地名だ。いずれも「はざま」と読む。小高い丘に挟まれた、谷間のような地形のことだろう。「桶狭間」や「田楽狭間」は歴史好きで知らぬ人はあるまい。市内の「小廻間」という地名を「こまわりま」と誤読して、しかも付近に「山田」という地名もあることに気づいて、古いマンガ『がきデカ』のファンだったので少し嬉しく感じたという話を 5年前 に書いたことがある。
今回の参拝では、ついでにそのへんもちょっと気を付けてみようと考えた。
正面鳥居と昼行灯状態の常夜灯が左側に見える道路を、ちょっと引いて撮ってみた。
右側には公園と、造成中の宅地用区画がある。
公園の敷地が傾斜というか段差になっているのが、写真からはおわかりいただけますでしょうか?
段差の下から撮ってみた。上の写真では右奥に見える滑り台が、正面にある。
奥の杜は神社だ。
公園の隅に、「完工記念」の碑石があった。
碑石の背面に「完工のことば」なる碑文が刻まれていた。
一部を文字起こししてみた。
完工のことば
豊明高鴨土地区画整理組合の事業施行地区は 豊明市のほぼ中央に位置し 南方及び西方にかけては国道一号線と名鉄本線が並行し 東方は豊明中部土地区画整理の施工地区に 北は日本住宅公団施工の沓掛土地区画整理事業地区に接し おおむね南又は東に傾斜した起伏に富んだ丘陵地帯であって 居住環境としては極めて快適であるところから 近来この地域に移り住む人々が次第に増加の傾向を示し 不規則な市街化への様相を呈してまいりました
こうした情勢にかんがみ 地元有志は幾度となく協議を重ね この打開の方途として土地区画整理事業を施工することを決意し 関係者各位の同意を求め 昭和四十七年九月十八日愛知県知事の認可を受け 組合を設立したのであります
以来事業の進捗につとめ予想を越える困難にも遭遇しましたが これを組合員全員は 事業施工の意欲と協力の精神で克服し 六か年有余の歳月を費しここに待望の完成を迎えることができました この事業の完成にあたり その成果が豊明市将来の発展に幾分なりとも貢献することを希望するとともに 事業の推進に寄せられた 関係各位の温いご行為と ご理解あるご協力に対し心より感謝いたす次第であります
昭和五十三年五月吉日
(後略。改行位置変更しました)
そう言えば、国道一号線も名鉄本線も、名古屋市南部から隣接都市にかけては、丘陵地を容赦なく切り通しているところが多い。トンネルを掘るほどの標高がないのだ。
碑文一つでは傍証として弱いかも知れないが、少なくとも矛盾はあるまい。もともとなだらかな丘陵地だったのが、ピークに位置した神社周辺の杜だけを残して開発が進んだので、名前のない丘になったという仮説を主張してみよう。
名前がないなら名前をつけてもいいはずだ。さきの岩倉のように、名古屋周辺には京都に似た地名が多いので、「一条山」または「モヒカン山」あるいは「チンコ山」もいいかも…バチがあたるぞおい。
とまれ参拝。拝殿前の雪は消えていた。
前回はびっしり雪に覆われていた本殿裏も、ご覧の通り。
上の写真の右手に見える建物は、「老人憩いの家」だそうだ。ただしこの建物が利用されているところは、私はまだ見たことがない。
前回に比べて天気はあまりよろしくなかった。参拝回数は、今回はちょっと少なめで15回、合計60回。
正面鳥居の後ろの常夜灯も、昼間なのに点灯しているのを見つけた。前回もそうだったっけ?
ここを百度石の代わりにすれば、もっと回数を稼げたかも。いや早く済ますことが目的ではない…ってのは 1月15日の記事 にも書いたな。
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*1:愛知県にも岩倉市という地名があるのです