しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

『若おかみは小学生!』に対抗して「大人を泣かす」企画を立てるとしたら

今回も先に結論から書いてしまおう。山本有三『真実一路』をリメイクするのがいいと思う。

きっかけは、この記事である。

mainichi.jp

読んでいて気になったのは、“口コミでの称賛に「ジブリ映画のよう」という言葉があまりにも多用されているのではないか” という指摘である。

そうだったっけ?

そうなのかも知れない。私はリアルでアニメの話ができる環境なんかないから、情報はもっぱらネットに頼っているが、幸い私がレビューを拝読する機会のあった方々は、みな自分の言葉で表現する力を持った人ばかりだった。

その旨を上掲記事のブコメに書いた。通知が飛んだ方、すみません。

 

とは言うものの、思い当たることがないわけではない。20年くらい前の話になるが、中央公論社が経営危機に陥った時期に、藤子不二雄などのコミック本を販売したことがあった。小学館など他社刊行本の再版だった。

オリジナルと差別化するため、藤子不二雄本であれば『ウルトラB』『チンプイ』など新作を収録したり、また読者からの投書を掲載したりしていた。

その甲斐なく中央公論社は中央公論新社として読売新聞社の傘下に入ってしまったのだが、それは別の話として、読者からの投稿というのが、みごとに判を押したように…

「夢がある」

というものばっかりだったことを、強烈に覚えている。とにかく、氏名と一緒に表示されている性別、学年(職業)を問わず「夢がある」ばっかりだったのだ。

自分の言葉で、自分の感想を表現するためには、かなりの力量が必要なんだろうなと、しみじみと思った次第。

もっともその力量の持ち主として、kasumi19732004 さんや けいろー さんを引き合いに出すのは、おかしかったかも知れない。逆上がりのできる人の例として、体操のメダリストの名前を出すようなものかも。

 

「そう言うお前はなんぼのもんじゃい?」と言われるかも知れないが…言われない可能性の方が高いけど言われたことにして、言いたいことを言ってしまおう。要するに言いたかっただけである。

私なりの「自分の言葉」は、以前にエントリーにしたことがある。

www.watto.nagoya

 『若おかみは小学生!』が大人を泣かせる秘密は、身近な人を喪った記憶を呼び起こすからではないかと考察した記事である。一行で要約できちゃったよ! どうすんだこれ?

 とにかく大人になるにつれ、当然ながら身近な人を亡くす確率は増える。主人公の おっこ に重ねてその記憶が再生されるがゆえに、子どもより大人が多く泣くのではないかという、私の想像である。もちろん大人になる前に、そういう経験をする子どもも少なくはないのであるが。

話は逸れるけど、一言言及せざるを得ない。東名高速危険運転事件の報道は、見聞きするのが本当につらい。

 

悪癖の一つで、ここまでが長い長い前置き。それでさらに考えてみた。「子どもには見えなくて、大人には見えるもの」と言えば、他にもあるんじゃないかと。そうしたら『若おかみは小学生!』に対抗して「大人を泣かす」企画が立案できるんじゃないかと、いろいろと妄想したのである。言うまでもなく私に企画をプロデュースできるわけがない。

思いついたのが、山本有三『真実一路』のリメイクである。1935~6年発表の古い長編小説である。 

真実一路 (新潮文庫)

真実一路 (新潮文庫)

 

主人公は守川義夫という(旧制)小学四年の少年で、父と、成人しているが未婚の姉しず子の三人家族である。「唱歌と体操は甲だが」(新潮文庫版P24)成績はあまり良いほうではないらしい。物語は義夫少年が、学校で集めていた義援金の紛失をめぐって、あらぬ疑いをかけられたエピソードから始まる。

登場する学校関係者が「子どもを疑ってはならない、柔らかい心臓にトゲを立ててはならない」(P24)とか何とか言いながら、嫌な奴ばっかりなんだよね。義夫の同級生ともども、いわゆる「片親家庭」に対する偏見を隠さないし。でもって、生徒に対する支配欲という意味では戦前の学校も現代の学校も、あまり変わってないんじゃないかという気がする。またしても余計なことを言った。

続く章では、義夫としず子の母が実は生きていて、新宿の裏通りでカフェを経営していることが明かされる。いわゆる水商売である。それを知らないのは、家族では義夫だけだというのだ。主人公が交代したような形になって、姉のしず子がその母と会いに行くなど、物語がしず子視点で語られることが多くなる。進行中だった縁談が、突如、破談になったり。

 

つまり本作品は、露骨な描写は一切ないにせよ、実は性愛と不義・不倫をテーマとしていることが、じょじょに明らかになるのだ。

驚くにはあたらない。漱石以来、いや『源氏物語』以来、日本文学の一大テーマが性愛や不義・不倫であることは、容易に想起可能であろう。山本文学の特徴は、そこに子どもの視点を導入したことではないかと思っている。本作に先立つ『波』では、脇役とはいえ主人公の息子が重要な役割を果たしている。むしろ山本の代表作とされる『路傍の石』が(おそらく「日本版ビルドゥングス・ロマン(成長小説)」を標榜したがゆえに?)、性愛と不義・不倫がテーマから外れるのが異色と言えるくらいではないか。なお『波』に先立つ『女の一生』は、私は未読。氷室冴子の作品中に出てくるレビューなんぞ読むと、これまたすさまじい作品のようだ(読めよ>自分

すなわち本作において、ジュブナイル(少年少女向け)を装いながら「大人には見えて、子どもには見えないもの」というのは、性愛であり、不義・不倫であるのだ。アレンジのし甲斐があるとは思いませんか?

 

アレンジと言えば、原作のさまざまな舞台装置は、今日の目から見ると、少々古すぎて通じにくくなっているかも知れない。原作尊重でもいいけど、舞台を現代化するとしたら、例えば冒頭の義援金は災害被災地向けにするとか…そもそも今日の小学校で、義援金集めなんてことをやっているかどうかは知らない。

また後半で登場する母親の愛人は、蛍光の研究をしていたことになっている。蛍光灯の蛍光で、これも古すぎる気がする。挫折した研究と言えば、青色発光ダイオードであるとか、万能細胞であるとか、数学ミレニアム問題であるとか、いろいろ考えてみるだけでも面白い。

最終盤で義夫は大病を患うのだが、原作ではそれが虫垂炎というのも、代替案を考える必要があるだろう。

 

その最終盤において、再び物語の視点が義夫に戻ったとき、義夫は、すべてを失くしたとまでは言わないが、本当に多くのものを失っているのだ。

ところが義夫は、ようやく病が癒えて復帰した学校で、少なくとも現代の視点からしたら、とんでもないことを命じられる。今日の感覚からしたら「ありえない」のだが、ひょっとしたら学校の現場では、現代でも似たようなことはあるのかも知れない。

胸糞悪いから、せめて義夫が自分から言い出したくらいにはしたいな。

ラストシーンの、秋の澄み切った青空の下清冽な風の吹く場面は、ただ美しい。つい「再起」とか「再生」とか、あるいは「未来」「希望」といった言葉をあてはめたくなるが、そうした言葉は余計だとおもう。映像作家さんかアニメータさんに、ここぞ腕の振るいどころと、ただ美しい画像を作ってほしいと希望するところである。

 

と書いて、ウィキペってみたところ、『真実一路』の映像化は、映画こそ1954年版が最後と古いものの、TVでは何度も何度も繰返しドラマ化されており直近は2003年とわりと最近ではないか! そっちのチェックは怠っていた。不覚!

真実一路 (小説) - Wikipedia

 

だよね~。TVドラマとしては、こんなうってつけの原作はないような気がする。言われてみれば。言われたわけじゃないけど。ほんと不覚。

でもここまで書いてしまったのでもったいないから、例によって新着をわずらわせないよう日付をさかのぼって、こっそり公開しよう。どうせ個人のブログだし。

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