はてなブロガー 黄金頭(id:goldhead)さんの薄い本が出るというので、申し込みました。
本当は1月20日の京都文学フリマのブースにおじゃましようかなと思っていたのですが、ちょうどその頃、他の相互登録の はてなブロガー さんにおめでたやらトラブルやらが相次ぎ、お祝いとか励ましとかのつもりで電車賃を「ほしい物リスト」につぎ込んでしまいました。すみません。そゆえば奇しくも皆さん京都在住だった。なんなんだこの無意味な偶然??
そんなわけで通販のほうで申し込んでいたものが、本日(2/6)届きました。ありがとうございます。お礼ともども報告します。
また完売とのことで、お祝い申し上げます。おめでとうございます。
追記:
紙の本は完売ですが、電子書籍版が買えるそうです。
追記おわり
うちのブログ勝手に恒例、ブロガーさんが紙の本を出したときの、開封の儀を。
スマートレターで届きました。住所と送り主を消すと、ただの封筒だな。
裏側。スマホカメラのフォーカス悪くて読めないけど、手書きで「付箋在中」と書いてあります。
開封。薄い本と便箋、それにオリジナルの付箋が入っていました。
表紙。背景のテーブルが真っ黒なので便箋に乗せてます。
裏表紙。あのアイコンが!
付箋の写真はありませんが、「ラーメンが獣臭い」という文字と、このアイコンが印刷されていました。
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全24Pの小冊子なので、すぐに読めた。
開巻劈頭の「おれの空っぽさはすごい」は、著者紹介であろう。続いて評判の高い「小さな犬を救えなかった話」。カクヨムの「わいせつ石こうシリーズ」からは「第3話 わいせつ魚拓の村」が、あとがき的な「特別書下ろし」を除くと掉尾を飾るかたちで収録されている。
すなわち 黄金頭 さんの作風がコンパクトに一覧できるよう、考え抜かれた構成だということが読み取れた。
黄金頭 さんを世に出したいという情熱を持った人が、何人もいるのだ。
その情熱の理由は、私にも少しならわからないでもない。黄金頭 さんのブログの熱心な読者さんたちが口を揃えるのは、その文体に破綻のないことだ。
アンソロジーに収録されている「アルバイト・ガール&ヤンキーズ&メロン・ソーダ」より、ごく一部を引用する。
しかしまあよー、あー、やだねーって思ったね。なにって、接客業ってこういうの相手しなきゃいけねえもんな、おっかねえ。おれにはとてもじゃねえが無理だぜって。このうえヤクザとか来たらどうすんだよ、コノヤロー、バカヤローとか言われたりすんだぜ。いや、ヤクザはファミレスこねえか。来るでしょ。しっかし注文にすげえ時間かかってんな。え、ハンバーグの添え物のミックス・ベジタブルからグリーンピース抜きなんてできんのかよ。グリーンピース食えよ、おれも嫌いだけどよ。でも、残すよりはマシか。残すなよ。
http://goldhead.hatenablog.com/entry/20130505/p2
これだけナチュラルでくだけた口調であるにもかかわらず、文法的に怪しいところが一切ないというのは、恐るべきことだと思う。
自分を比較に出すのもおこがましいが、私はブログを書くたびに自分の文章を読み返し、あそこがおかしいここがおかしいと頭を掻きむしり、書き直してみては書き直さない方がマシだったと元に戻しを何度となく繰り返し、一旦公開してしまった後からも往生際悪く書き直し、それでも満足できないということが毎度である。
そういう自分をなぐさめるため、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」という村上春樹の有名な言葉を思い返したりしている。『風の歌を聴け』は未読だけど。
自分語りが多くなってすみません。私個人にとってもっと重大なことは、私には他人の文章の美しさや面白みを理解する力がどこか一部欠落しているのではないかという、昔からの疑問である。
こんなことがあった。私が夏目漱石『草枕』を通読したのは、かなり最近になってからである。あれは漱石本人が「絵画的小説」と呼んでいたそうだが、場面場面の描写を味わうべきものであって、性急に筋を追うような読み方をすべきではないのは明らかだ。
学生時代に読んだ時にも、例えば最初のほうで、山里の茶店で放し飼いのニワトリが駄菓子の箱にフンを落とす場面や、髭剃りが下手な床屋が「フケを落とす」と称して主人公の頭を猛烈にマッサージする場面は、それなりに大変面白いと感じた。
だが筋の展開があまりに緩やかすぎるため、けっきょく読破できずに放り出してしまった。通読したのはかなり年を取ってからになるが、筋自体は依然あまりよく覚えていない。つまり忍耐力のようなものは多少上がったかも知れないが、文章の受容力にどこか欠如があることには、やはり変わりはないのであろう。
こんなこともある。私は大江健三郎の文学が、理解できない。嫌いとか好きとかではなく、とにかくわからないのだ。
平井和正の代表作の一つ『狼の紋章【エンブレム】』のあとがきは、大江健三郎に向けて書き結局出さなかった手紙という体裁をとっている。大江の小説やエッセイをいくつも読み、感銘を受けたことを述べながらも「なにも人間同士がベタベタと愛し合わなくてもいいじゃないですか」などと訴えたものであった。
畑正則のエッセイ『ムツゴロウの結婚記』には、東大理II に進みながら秘かに文学を志していた畑が、面識はないが同級だった大江の学内誌に掲載された短編を読んで、その才能に打ちのめされ文学を断念することまで考えたことが書いてある。
井上ひさしは『週刊金曜日』の編集委員をやっていたときに大江のノーベル賞受賞ニュースに接し「じつに、じつに、じつにと何度繰り返しても足りないほど」と絶賛した。なお当時の同誌編集長の本多勝一は大江と犬猿の仲で、おそらくはこの一件を原因のひとつとして井上は編集委員を降りることになる。
筒井康隆は朝日新聞紙上の『聖痕』連載終了後の記事で、大江に毎日読んでいると言われたことを励みにしていたと述べていた。
平井、畑、井上、筒井いずれも私は軽く十冊以上読んでいる。ちゃんと数えたわけではないが、人によっては三十冊、四十冊を下らないと思う。
平井、畑、井上、筒井らの作品であれば、私にもわかるのだ。わかると思う。
平井、畑、井上、筒井らには、大江の作品がわかるのだ。だが私にはわからない。
繰り返すが、わかって嫌いとかだったら、まだいい。わからないのだ。
極めて残念ながら、黄金頭 さんを何が何でも世に出したい、黄金頭 さんの存在を何が何でも世に知らしめたい、という人たちの情熱の本当の理由が、たぶん私にはわからない。そしてそれは、私の文学的感性の欠落が原因であろう。このことは正直に告白するしかないのだ。
黄金頭 さんを世に知らしめようとしているチームにとって、どのような状態がゴールなのかはわかりません。また 黄金頭 さん自身にとって、どのような状態が成功と言えるのかはわかりません。
でも、きっとうまくいくと思いますよ。こんな私が言うのでよろしければ。
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