前回の記事では、福井駅前に引き返したところまで書いた。
その後、徒歩で福井城址周辺を散策した。この際にスマホ写真をいっぱい撮った。写真のアップと案内板や説明書きの文字起こしは、次回の独立したエントリーにする予定。欲張っていっぱい撮ってしまったので。
今回のエントリーは、福井城址を通り抜けて徒歩で市立図書館に向かうところから始める。
これは福井城址のすぐ北側の交差点だが、個人的に北陸らしいなと感じたので撮ってみた。
どこがどう北陸らしいかというと、まず信号機のランプが縦に並んでいる。豪雪地帯では雪の重みに耐えられるように、こういう配置にする。有名か。
また道路のセンターラインが白ペンキではなく、舗装の色が変わっている。コンクリート製だろう。
青信号のときに横断歩道で接写した。パイプが埋め込んであって、積雪時には金属ノズルから温水が噴き出すのだ。
いずれも日本の北半分では当たり前かもだが、温暖な名古屋から電車で1時間と40分ばかりで、こうも光景が変わるというのが印象深かったという次第。
ともあれ、市立図書館を目指して歩いた。
福井城址を通り過ぎてから田原町駅までが、歩くと遠かった。田原町駅というのは市立図書館の最寄り駅で、えちぜん鉄道線と福井鉄道が相互乗り入れする駅でもある。
三国芦原線と言うんだっけ、田原町駅のすぐ手前を走るえちぜん鉄道の電車。
田原町駅をバス停越しに。あまりいい写真が撮れなかった。
右側からえちぜん鉄道線が、左から福井鉄道線が合流している。ワクワクしませんか? 普通の人はしないか。
田原町駅からさらに少し歩く必要があるが、市立図書館にたどり着いた。
エントランス。
ここも寄贈はつつがなく完了しました。こちらでは書類を書きました。いつもの通り当方の住所氏名連絡先と、資料名(書名)、それに処分を図書館に一任すること、礼状はいらないこと。
送り状は、ここでも受け取ってもらえた。
図書館の隣の、公園というには少し狭い敷地に、よくわからないオブジェがあった。
向こう側は中学校なので、そちらの付属物かも知れない。
手前のブロンズの銘板には「育徳」と書いてあった。
横から見たところ。なんでこれが育徳なのだろう? オブジェはどれもそんなものだが。
市立図書館のそばに、県立美術館がある。
前回の記事に書いた通り、県立図書館のそばには、市立美術館がある。そしてペアどうしは、かなり離れているのが不思議だ。
あとでマップを見ると、このあたりには市立小学校、市立中学校、県立高校と私立高校、そして国立大学と、文教施設が集中している。その一部だと考えれば…やっぱり不思議だ。
門標。
全景。
展示室がいくつもあったが、多くは市民サークルの展示会場に使われているようだった。
こちらでは有料なのは2Fの企画展だけだった。有料と言っても市立美術館の常設展と同じ100円で、高い額ではなかったが。
企画展のチラシから、作家の作品がわかりそうな部分だけをトリミングして貼る。
「生誕100年 現代日本画の変革者 三上誠」は1ブース使用。もらった展示品一覧によると出品数43点。三上誠(1919-1971) は若くして亡くなったため生前はあまり評価されなかったが、近年評価が高まっている人なのだそうだ。
初期の1947「蓮と少女」などには具象的な人物が描かれているが、1960年代から抽象度の高い絵に転ずる。上のチラシに見られるように、顔と乳房と腰がまん丸の女性らしき像が、よく描かれるようになる。顔の部分に、目のような丸いものが横にではなく縦に2つ並んでいるのが印象的だ。そして色遣いは淡い暖色系が多い。
そして最晩年の1970年代の作品には、きわめてリアルな女性の顔や裸身の一部が、コラージュのように断片的に描かれるようになる。それらの作品はなぜかモノクロだ。
ピカソなど具象画から抽象画に転じた人は少なくないが、部分的とはいえ具象画に戻った人というのは珍しいな。他にもいたっけ?
「さらば平成! 土田ヒロミの写真で見る平成ニッポンの新時代」は2ブース使用。展示品一覧によると37点の出品だが、1作品が複数の写真から成るものも多かった。
展示されていたものは、おおまかに分類して次のとおり。
「パーティ『東京』」と題された一連のモノクロ写真。バブル期とおぼしきパーティ会場ではしゃぐ男女の写真だ。
「砂を数える」と題されたカラー写真。日本各地の観光地やイベントに集った人たちのモブ写真。
「フクシマ2011-2017」と題されたカラー写真集。被災地周辺の、定点観測による何年かを隔てた二枚ペアによる比較。
「ヒロシマ」をタイトルに含むモノクロ写真。時計やワンピースなど被爆者の遺品や、1970年代後半の広島の風景など。
土田ヒロミ 氏は1939年生まれの地元出身の写真家だそうだ。この人のことは知らなかったが、展示会場でやけに声高に話をしているグループがいるなと思ったら、本人だった! 取り巻きの2人ほどは記者かな? もともと知ってる人だったらサインくらいねだったかも知れないが、知らなかったのだから知らん顔していた。
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さて福井駅に戻るかと県立美術館を出たら、ちょうど目の前のバス停に「すまいるバス」が来るところだった!すまいるバスというのは福井市内を運行するコミュニティバスである。これは降りたときに撮った写真だが。
前回のエントリーに書いた通り、午前中に市立美術館から戻るときにもちょうどバスが来てくれたのだった。あれは道すがらだったが。しかし運行頻度は30分に1本とのことで、幸運であったことには違いない。
しかし路面電車に乗る機会は逸してしまった。なにまた来るか。一度来てみると、一日では回り切れなかった見どころが次々と見つかるものだから。
駅前の高層ビル「ハピリン」をもう一枚。
駅前通りの向かい側にあった立憲民主党の事務所。撮らんでよろしい>自分
駅前といえば、恐竜のモニュメントがいっぱいあった。
上の写真の左側には、ちびキャラもいた。写っていないが後ろ向きのお母さんの向こうに幼児がいて、キャラをガン見していた。
さらに左側に、またもリアルな恐竜のモニュメントが。やはり親子連れがいた。
なんで小さい子どもって、恐竜がこんなに好きなんだろう?
3枚上の大型恐竜の足元に写っている説明書きの左半分。
弊ブログ勝手に恒例の文字起こしを。
フクイティタン Fukuititan nipponensis
フクイティタンは、2007年夏、福井県勝山市で行われた第三次発掘調査の準備作業中に発見されました。2010年6月に論文が出版され、日本で最初に学名がつけられた竜脚類となりました。中手骨が長く橈骨の約48%で、座骨の先端がやや広がっていることなど、他の竜脚類と異なる特徴があります
同じく右半分。
福井の哺乳類 Mammal in Fukui
日本初となる恐竜時代の骨格化石が2014年に福井県において発見され、エオバータル類の多丘歯類と分かりました。岩石中の化石はX線CTによる調査で、頭の一部や肩、腕、手、首から腰にかけての背骨、肋骨が生きていた時のようにつながっていることが分かりました。多丘歯類は恐竜時代に最も繁栄した哺乳類で、その多くは植物食でした。
言われるまで気づかなかった! 足元に哺乳類もいたのだ!
もう一枚、説明書きを。
恐竜王国福井
DINOSAUR KINGDOM FUKUI
福井県は、まさに「恐竜王国」と呼ぶにふさわしく、国内随一の恐竜化石の産出地です。
福井県の恐竜化石発掘は、昭和57年に勝山市北谷町の杉山川河岸で、中生代白亜紀前期のワニ化石が発見されたことに始まります。昭和63年には、同じ場所で、福井県立博物館(当時)が恐竜化石の発掘を目指して予備調査を実施したところ、期待通りに肉食恐竜の歯などを発見しました。この調査を踏まえ、平成元年から5ヵ年計画で化石発掘調査に取り組み、肉食や草食恐竜をはじめとする多数の歯や骨、足跡等の化石を発見・採取することができました。その数は、日本で発掘された恐竜化石の大部分を占め、さらに、恐竜の連続歩行の足跡化石群や、肉食恐竜の「かぎづめ」が国内で初めて完全な形で発見されるなどその質としても非常に優れていました。こうしたことから、福井県は日本の恐竜研究の中心として注目を集めるようになったのです。
福井駅に着いた時、駅ソバを食べてしまったのでお腹は空かなかったが、時刻はそろそろ午後4時。昼食だか夕食だかわからない食事をどっかで済まそうと思って見回すと、駅前通りを隔てた反対側にこんな居酒屋があった。
カンバンを見ると、ランチをまだやっているとのことだった。しかもかなりお値打ちな額が示されていた! ここに入ってみよう。
「前編」に埋めた「海のものが食べられる適当な店は見つけられるか?」という伏線は、これで回収したつもり。
あとは帰るだけという気楽さから、ビールを頼んでみた。アルコール耐性強い方じゃないからグラスビールにしようかなと思ったら、店員さんが「今の時間だとランチタイムで中ジョッキ半額のほうが安いですよ」。そっちにした。
日替わりの焼き魚定食というのを頼んだ。カマだった。
歩き回ったためか、これだけでは物足りなかったので「海鮮塩焼そば」というのを追加した。これで合計1,795円(税別)は、驚きのお値打ちさだった!
しかし追加で頼んだ焼きそばが出てくるまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。ちょうど夕方の客が入ってくる時間にさしかかったためだろう。
帰りの特急の時間をスマホで調べていて、1時間に1本なので間に合うか内心ハラハラしたが、辛うじてぎりぎり間に合った。
「書籍寄贈の旅」シリーズでは、その日最後に訪れた図書館が閉館間際だったというパターンがなぜか多い。今回は市立図書館のほうを余裕を持って訪れていたので大丈夫と思ったが、まさかこんなオチがくるとは!
こういうことになるのは私の性格に原因があるのだから、仕方がない。
* * *
一旦オチらしきものをつけた後だが、備忘的にどうしてもメモしておきたいことがあった!
特急しらさぎは一時間に一本だが、名古屋直通と米原止まりが交互に出ている。つまり米原で新幹線に乗り換えるか、二時間に一本の名古屋直行を待つかどちらかだ。
ところで福井駅の自動券売機では、米原で新幹線乗り換えの自由席特急券が買えないのだ! 名古屋直行の特急券なら買えたのだが。
在来線の自由席特急券では、新幹線に乗ることはできない!
名古屋から福井に行くときの名古屋駅の自動券売機では、直通・米原乗り換えのどちらも買えたのに。
なんでこういう不便なことになるのだろう? 名古屋駅はJR東海管轄で、福井駅はJR西日本管轄だからだろうか? 東海道新幹線はJR東海管轄である。
乗ったしらさぎの車内改札で、車掌から指摘されて気づいた。乗った列車は米原止まりだったのだ。
車掌によると「一時間待って次の名古屋行きしらさぎに乗り換えてもらうしかありません」とのことだったが、米原で在来線特別快速に接続していたので、そちらに乗り換えて名古屋に帰った。米原―名古屋の特急券は権利放棄ということになるが、そのくらいはいたしかたない。
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