🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

有馬哲夫早大教授によると福島瑞穂氏は14歳かそれ以前に「慰安婦言説」なるものを作り出したらしい

古山高麗雄『二十三の戦争短編小説』(文春文庫) 所収『プレオー8の夜明け』より。

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上掲書 P54~55

OCRで文字起こししました。改行位置、変更しています。ルビ省略しています。文字起こし中の「(公)」は原文では○中に「公」ですが、私にはその意味がわかりません(→「追記:」へ)。

 慰安所は、三叉路から街道を東に一丁ほど行った竹藪の中にあって、兵隊たちは外出のたびに、そこへ行くのだった。外出が終わって点呼のとき、班長が二、三名に、お前いくつやったと訊く。それから敵娼の名を訊く。訊かれた者は、一つだの、二つだの、ラン子だの、みどりだのと答える。私も一度訊かれたことがある。「吉永、おまえ、いくつやった」私は、「はい、三つであります」と出鱈目を言って殴られた。班長は、私が慰安所に足を踏み入れないことを知っていて、わざと訊いたのだ。「なんで、にさ、兵隊らすくすねえんだ」と班長は言った。そんなことがあった後、私は、古年次兵に引き立てられるようにして慰安所に行った。兵隊らすくね。慰安所の部屋の配置は、この監獄に似ている。中庭があって、まわりを部屋が囲んでいる。中庭には、埋め込んだ丸太に板を打ちつけただけの簡単なベンチがあって、そこで休んでいた。そこへ春江が来た。春江は顔だちは悪くないのだが、なにせあまりに大き過ぎるので、繁盛していないのだ。混む女は、決まっていた。混む女はわざわざ客を引きに来たりはしないのだ。春江は私に、「なにぼんやりしているの」と言った。「(公)なら遊ぶよ」と私が言うと、「おいて、まけとくよ」と言った。
 私は蝉が大木にとまったような感じになった。また、宙にほうり上げられるゴムマリみたいな感じでもあったな。春江は、体が大きいだけでなく、心も大らかな女だった。
 「徴用たと言うんたよ。うち慶尚南道で田んぼにいたんたよ。そしたら徴用たと言て、連れて行くんたよ。汽車に乗て、船に乗たよ。うち、慰安婦になること知らなかたよ」
 悠揚迫らぬ、とはあのことだな。春江には、暗い陰がなかった。愉快そうに笑いながら彼女は続けた。
「運たよ。慰安婦なるのも運た。兵隊さん、弾に当たるのも運た。みんな運た。

追記:

「プレオー8の夜明け」に続いて収録されている短編「白い田園」に、やはり慰安所が出てきます。1回の値段は公式には定められているが、人気のある慰安婦は公式の値段表の何倍かを受け取っていたと記述されています(上掲書P97~98)。

(公) とはおそらく公式値段表のことだと推測されます。

「白い田園」に登場する慰安婦たちも朝鮮人で、彼女らも「拉致され」「徴用」されたと明記されています(P99)。

追記おわり

表紙見返しによると『プレオー8の夜明け』は1970年の第63回芥川賞受賞作、本文P92によると1970年「文藝」4月号発表とのこと。

福島瑞穂氏は1955年12月生まれだから同作発表時には14歳。有馬教授によると、福島氏は14歳かそれ以前に「従軍慰安婦言説」なるものを作り出し、当時49歳の敏腕編集者にして後の芥川賞作家がそれを信じ込むほどに広めたらしい。

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そんなことを言いたいがために上掲書を読んでいるのではない。

きっかけは、この記事を読んだことだった。

digital.asahi.com

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ロシアを代表すると言われる作家のミハイル・シーシキン氏は、寄稿記事中で多岐にわたるテーマを語っているが、記事の最後の方で「どんな戦争の後にも、常に戦争文学が生まれる」と言い、ロシア人、ウクライナ人を問わず多くの作家たちが、おそらくはロシア文学やウクライナ文学の様相を変えるような本を書くであろうことを予想している。

そうだった。アジア太平洋戦争が終わったとき、日本の作家たちも、いや、まだ作家でなかった人たちも、一斉に筆を執ったのだった。シーシキン氏の寄稿記事には、そうブックマークコメントした。

 

ならば、微力極まりなくても「戦争反対」「一刻も早い停戦を」と主張することは我々の義務だが、日本の作家たちがアジア太平洋戦争について書いたおびただしい作品を、それらは一生かかっても読み切れる分量ではないにせよ、少しずつ読み続けることもまた我々の義務ではないかと、遅まきながら思い出した。

私の書架には、恥ずかしながら未読の戦争文学が何冊もある。『二十三の戦争短編小説』は「はてなブログ」相互さんのエントリーを読んでAmazonで購入したものだったが、偶然それが最初に手に触れたに過ぎない。

 

我々に課された義務というなら「二度と戦争を起こさない」ことこそが、その最たるものに違いない。むろん私もそのために全力を尽くす覚悟はある。だがその義務を果たすことができるか、己が身の非力さを差し引いても、はなはだ心もとなく感じるのが今日このごろである。

戦争を起こす最大の原因は、愚かさであるから。

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