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海津市大榑川堤サトザクラ2023、黄砂、撮り直した平田公園のスマホ写真

花見はいつも岐阜県海津市の大榑川堤に行っているが、ここにはソメイヨシノの2割ほどの本数のヤエザクラが植えられていて、ソメイヨシノから2週間遅れで見頃を迎える。海津市のHP にはヤエザクラではなくサトザクラと記されているので、今年も以下そう書く。

www.city.kaizu.lg.jp

 

今年はソメイヨシノの開花が早かったせいで、過去記事の日付を調べると「こんなに早くて大丈夫か」と思わないでもなかったが、来てみるとちょうど見頃だったのでよかった。

 

一昨日(4/12)の天気予報は、どこも黄砂襲来予測を大きく報じていた。

この日(4/13)の空は薄曇り(花曇り?)という程だったが、遠景の養老山脈がまっ黄だったので驚いた。

スマホ写真では、そのあたりを再現し切れないが。

 

比較のため自ブログ過去記事を探して 2017年4月27日付記事 に同じ場所ではないが養老山脈が写っている写真を見つけたので、比較のため再掲する。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20170422/20170422135039.jpg

やっぱり写真からじゃ、よくわからないか。黄砂を見に行ったのではなくサクラを見に行ったのだから、まあいい。

 

さっき薄曇りと書いてしまったが、自分で撮ったスマホ写真をあとから眺めると、いい青空が写っていた。

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今年の大榑川堤にソメイヨシノを見に行ったときのスマホ写真は、保存先のmicroSDカード外付けメモリーが破損したため失われてしまったことを 3月31日付拙記事 に書いた。

毎年同じような写真ばかりになってしまうため今年は堤から近い平田公園というところにも行ってみたが、このときの写真も一緒に消えてしまった。

 

そのリベンジのつもりで、この日は平田公園も再訪し3月31日の撮影ポイントの写真を撮り直してきた。

 

グリーンドームと公園門標。グリーンドームは、この公園のシンボル的存在である。門標は右側に "【】" の " 】" みたいな形のものが対になっていたが、見切れてしまった。真っ赤な生垣はカナメモチというそうで、あとで説明書きが出てくる。

 

門標脇の無料駐車場から、グリーンドームをのぞき込むように撮ってみた。

内部にはバスケットボールのゴールがあった。

 

平田公園園内マップ。

 

マップの裏面に…

 

輪中の説明書きがあった。

OCRによる文字起こしを貼る。改行位置、変更しています。ルビ・欧文ある場合は省略します。以下同じ。

「輪中」
 このあたり一帯は木曽・長良・揖斐の木曽三川合流地域にあり、昔からたび重なる洪水によって運ばれた土砂がたい積しよく肥えた土地が作られました。
 江戸時代の始めから、米作りの増産をはかって新田の開発が進められましたが、この低湿地帯を洪水から守るため、人々は強固な堤防を築いてまわりを囲ったのが「輪中」で、この地域は「高須輪中」と呼ばれています。
 平田町は「高須輪中」の北部にあり、この公園の背後の は長良川と揖斐川をつないで流れていた大川の堤防が連な っています。
 洪水に苦しめられてきた、この地域の人々の水との戦いは並たいていのことではありませんでしたが、宝暦治水工事の「薩摩義士」・明治改修の「ヨハネス・デレーケ」等の大恩も忘れてはならないものです。

 

公園内部のプロムナード(遊歩道)。プロムナードとはどこにも書いてなかったけど。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20230413/20230413104522.jpg

 

上の写真右奥にある銅像。台座に「平田靱負翁像 島津修久書」の銘板が嵌め込まれている。

 

由来書きの石碑。

OCRにはかかりそうになかったので、手起こしした。

 水との闘い
  宝暦治水のあらまし
 日本の治水事業の中で最大の難工事と言われた宝暦治水は、幕府が薩摩藩の勢力を衰えさせるため命じたものであります。宝暦四年(一七五四年)一月、総奉行平田靱負をはじめとする九四七名の藩士を美濃に派遣し始められました。
 工事区域は、三川下流全域の一九三ヵ村におよび、その工事は幾多の悪条件のもと宝暦五年(一七五五年)五月に完了、工事総額は、四十万両という巨額にのぼり、又この工事で多くの藩士が命を落とす結果となり、平田靱負は全責任を負い割腹、
 住みなれし 里も今更 名残りにて
  立ちそ わすらふ 美濃の大牧
という辞世の句を残しました。
 薩摩義士の尊い偉業を讃えるとともに歴史的遺産を後世に伝えるため建立したものです。
 平成七年(一九九五)十一月三日
  平田靱負翁像建設委員会
    会長 横山善郎書

 

みなもと太郎 先生による『宝暦治水伝 波闘』が、マンガ図書館Z さんにて全巻無料読み放題になっています。よろしかったら読んでください。

いやぜひ読んでください!

www.mangaz.com

 

銅像のそばにカナメモチの説明板があった。

 カナメモチ
バラ科 カナメモチ属
分布=本州~九州,東~南アジア 春の赤い新葉が美しくよく生垣に用いられる

 

公園のいちばん奥あたりにあった「パターゴルフ場」。

 

入口と駐車場方向に引き返しつつ撮った管理事務所とトイレ。やはりドーム状の屋根だった。

 

「グリーンドーム」の大きな看板。

 

ローラー滑り台。でかい! 昇り口は堤防の上にある。

 

遊具。写真からはわかりにくいけど、遠景の堤防上にサトザクラの並木が写っている。

 

カナメモチの接写を貼って、今回の締めにしよう。記憶との比較だが、2週間前に比べて紅葉がより鮮やかだった。検索すると5月から6月頃に白い花をつけるそうだが、細かく写っているのはそのツボミだろうか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20230413/20230413104942.jpg

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