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船頭平河川公園〔せんどうひらかせんこうえん〕へ行って船頭平閘門〔せんどうひらこうもん〕を見てきた(前編:閘門)

6月22日付拙過去記事に、森川花はす田と「道の駅」立田ふれあいの里を見てきたことを書いた。

www.watto.nagoya

後日身内を同行するつもりだったが、前回実家に行ったときには日中大雨だったため行かなかった。ポスターのあった「蓮見の会」は7月8~9日とまだ先だし、かりにそれも逃したとしても来シーズン以降のあてにすればいい。

 

それより確認のため検索していて、気になる情報があった。「道の駅」立田ふれあいの里のHPに、近場の観光スポットとして木曽三川公園と花はす園と並んで「船頭平河川公園」というところを挙げていたところがあった。

「道の駅」立田ふれあいの里|愛知県 中部の「道の駅」

 

木曽三川公園はチューリップの名所ということで弊ブログでも何度かネタにしているが、船頭平河川公園は知らない。どんなところだろうと検索した。

船頭平河川公園 | 国営木曽三川公園 KISO SANSEN PARK

 

上記HPより

初夏にかけて、ハスやカキツバタ、キショウブ、スイレンなど多彩な水生植物を観察することができます。
ゆったりと園内散策はいかがでしょうか。

ここも初夏の花が見られるのか。例のごとく実家との往復のついでに、ちょっくら下見しておこうと思った。

 

結論を先に書く。ここのメインは明らかに隣接する「船頭平閘門〔せんどうひらこうもん〕」で、ハス田他はあるにはあったがいま一つだった。

よって自分の散策の記録としてエントリーに仕立てる。

 

「船頭平閘門」という門標のそばに、車を停めるスペースがあった。

 

上の写真から少し視線を左にずらしたところに「船頭平河川公園案内図」と「船頭平閘門について」という2枚の説明書きがあった。

 

右側の「船頭平河川公園案内図」

弊ブログ勝手に恒例OCRによる文字起こし。改行位置、変更しています。ルビある場合は省略しています。以下同じ。

(1) 船頭平閘門[重要文化財指定文部省平成12年5月]
明治時代の河川工事により木曽川と長良川を往来できるようにした閘門です。明治35年に完成し現在でも有効に機能しており、その土木技術は歴史的にも貴重なものです。
(2) デ・レーケ技師銅像
オランダ人の土木技術師ヨハネス・デ・レーケの指導により明治20年から45年にかけて木曽三川下流部の改修を行い、木曽三川分流がなされました。
(3) 旧閘門ゲート(明治の水門扉)
完成以来90年余り活躍し、長年の歴史に耐えてきた閘門は、平成6年に改築工事が行なわれ、開閉装置が手動から電動へ切り替わりました。
(4) 木曽川文庫
濃尾平野特有の洪水防御や低地の人々のくらし等の歴史を知るため、輪中、宝暦治水、明治改修等を重点に収集保存展示しています。

 

左側「船頭平閘門閘門について」。さらに左方にある小さめの看板は、小学生の描いた「河川愛護」のポスターだった。

むかし、木曽川、長良川、揖斐川は網の目のように流れ、そこを物資を積んだ、たくさんの舟や筏が行ききしていました。
しかし、このように便利な川も、洪水の度に大きな被害を受けました。
そこで木曽川、長良川、揖斐川の三川をそれぞれ独立した川にして、他の川の洪水の影響を受けないようにしました。
このような考え方は、宝暦治水(1755年薩摩藩士の御手伝普請)にもとり入れられ、更に明治改修(明治20年~45年)によって、この三川の分流が完成しました。
三川分流によって、支川が締切られたので、舟が木曽川から長良川、揖斐川に行くのには、いちいち河口へ廻らなくてはならない不便をなくするため、この船頭平閘門がつくられました。
閘門とは「水面の高さが異なる川、海などを舟が進むときに水門で水を調節して、水面の高さを一定に保つ働きをする施設」をいいます。
閘門は明治32年に工事にかかり、明治35年3月(1902年)に完成しました。

 重要文化財「船頭平閘門」
船頭平閘門は、平成12年3月17日の文化財審議会において、重要文化財に指定するよう文部大臣に答申、平成12年5月25日文部省告示第103号により官報告示されました。
 重要文化財に指定された理由
・わが国で数少ない明治期に建造され、現在も使用されている閘門である。
・複閉式閘門としてわが国最初期のものである。
・躯体、門扉共に近代的部材、工法で建設された閘門である。
上記のことから、「技術的に優秀なもの」および「歴史的価値の高いもの」として指定されました。

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園内に足を踏み入れると、まず(やや盛りを過ぎた観あったものの)アジサイはじめ色とりどりの花が出迎えてくれた。

 

この花はわからなかったのでGoogleレンズで検索したら、クサキョウチクトウ(フロックス)と表示された。

 

ほどなく長大な水路が視界に現れ…

 

「重要文化財「船頭平閘門」」なる説明書きが立っていた。

   重要文化財「船頭平閘門」
  文部省告示第103号 平成12年5月25日指定
 木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)は、明治時代の河川工事(明治20年~45年)によって三川を分流しました。
 当時は貨物や旅客の輸送のための舟運が盛んで、水面の高低差がある木曽川と長良川を往来できるように閘門が造られました。
 この閘門は複閉式で門扉が二重となっており、わが国で初めてのものです。
 平成6年に活用保全の方針で、老朽化対策工事が行われ、現在も有効に機能しており、その土木技術は歴史的に貴重なものです。

 

閘門上の橋のようになった部分を渡ることができた。すなわち足下は水門扉である。右側(東側)の、木曽川の方向を見ている。

 

左側(西側)の、長良川につながる水路。手前に電光掲示板。

 

歩を進め、水路がよく見えるところまで出た。釣り人がいる!

柵の向こうの看板には

閘門を通行する舟はベルを鳴らしてください
(通航時間は8時30分~17時迄です。)

と書いてあった。

 

ベルを鳴らすとはどういうことかというと、すぐそばに「閘門の操作方法」という図解があった。

1 閘門入口のベルで船が来たことを係員に知らせます。
2 係員がバルブを開き、閘門内の水位を船側の水位と問しにします。
3 バルブを閉めてから水門が開けられ、船がゆっくりと閘門内に入ります。
4 水門が閉められ、もう一方のバルブを鬨き、閘門内の水位を船の行先飼の川の水位に合わせます。
5 行先側の水門が開けられ船が出て行きます。

随所から見て取れる現役感。

 

順番は前後するが、かなり詳細な説明書きもあった。順番が前後するというのは、駐車場から閘門へと歩くと上の図解よりこの説明書きの方が先にあったという意味である。

左側。

三川分流により、木曽川と長良川を
往来できる船頭平閘門が必要になりました。
 それまでの木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)は、下流部で川が合流していたため、3つの川を自由に往来できました。その後、洪水被害の軽減を目的に、オランダ人技師ヨハニス・デ・レイケが計画立案し、明治20 (1887)年から始まった「明治改修」では、3つの川を完全に分離する「三川分流」が行われたことから、木曽川と長良川を結ぶ船頭平閘門が、建設されました。

木曽川と長良川を結ぶ船頭平閘門は、
100年以上前の明治時代に造られました。
 船頭平閘門は、明治32(1899)年10月着工され、明治35(1902)年3月完成しました。船などが進入する扉が付けられた閘頭部(16.20m)が木曽川と長良川のそれぞれにあり、その奥にある閘室が23.90mあることから、全長は56.30mとなります。幅は木曽川側で27.20mあり、この内、船舶が進入していく水路の幅は5.63mとなっています。

右側。

明治から平成へ、
船頭平閘門も変化を遂げています。
■管理体制の変化

  明治35年3月~昭和46年1月5日 昭和46年1月6日~現在
操作員 3~5人 2人
通航時間 日の出~日の入り 8:30~17:00

■通航状況の変遷
 通航状況は、明治36 (1903)年の舟の27,195艘、筏は大正7(1918)年の18,088枚が、それぞれ年間最高記録となっています。その後は、陸上交通の発達に伴って減少し、昭和27 (1952)年を最後に筏の通行も無くなりました。
 現在の通航状況は年間約1,200隻(平成29年度)で、漁船やプレジャーボートが大部分を占めています。

■平成の改築工事
 長年に渡って使われた船頭平閘門も、水密性の問題、閘室及び閘頭部周辺からの漏水が随所に見られるなど老朽化が著しく、平成5 (1993)年10月から約5億5千万円をかけて改築工事が実施されました。工事では明治時代の景観や構造を可能な限り残すことに配慮し、建設時と同型の円弧駆動ギアを採用することで当時と同様に機械類を地中に潜らせるなど、明治期そのままの端正な景観が維持され、平成6 (1994)年7月に完成しました。

 

順番前後ついでに閘門がよく見える写真を先に貼る。長くなりそうなのでエントリーを前後編に分け、ハス田その他は後編に貼ることにする。

釣り人のいるあたりまで下りて、閘門の水門扉方向を見たところ。

 

閘門の水門扉は木曽川側(東側)と長良川側(西側)に2枚1組ずつある。

上を渡れるようになっているのは、長良川側である。

木曽川側の水門扉のあたりに移動しようとしたら「重要文化財 船頭平閘門」と書かれた木柱があった。

 

別の面には「建第二三八三号 平成十二年五月二十五日文部省指定」と書かれていた。

材質が古びて見える割には、意外と新しくない?

しかし文科省(文部科学省)ではなく文部省と書いてある。文科省の発足いつだったかと検索したら2001(H13)と出た。ぎりぎりだったわけか。

 

こういうところで引っかかっているから長くなるのだ。

木曽川側の水門扉を見下ろせるスペースに移動した。

「関係者以外立入禁止」と書いてあった。

駐車スペースはこの向こうにある。

 

水門扉を見下ろしたところ。長良川側の橋の上からじゃ、こうは撮れなかった。

 

木曽川側の水路。

 

橋の向こうが木曽川である。

 

閘門内(長良川方向)を見下ろしたところ。何枚か前の説明書きによると、だいたい25mプールほどの大きさである。

橋の手すりに「徐行運転にご協力をお願いします」と書いてある。

 

そばで真っ白な木花が満開を迎えつつあった。ムクゲかな?

(この項続く)

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