なんとなくケンタッキーフライドチキンが食べたいと思った。
深い意味はない。最近も、タコ焼きが食べたくなったであるとかピザが食べたくなったであるとか、そういうエントリーを上げたことがある。
そう言えばクリスマスが近くなった。まだ12月になったばかりなのに近くなったというのはおかしいかもだが、街中の飾りつけはハロウィンが終わると一斉にクリスマスに切り替わる。ただしクリスマスにチキンを食べるのは、日本くらいだそうだ。
それでもクリスマス期間にKFC店舗が激混みになることは、なぜか知っている。なんで知ってるんだろ?
食べたくなったら食べるに越したことはない。散策がてら、うちの市のケンタに行こうと思った。
しかしケンタが欲しければケンタに行けばいいだけなのに、なんやかんやと「ついで」を思いついて遠回りすることが、無能な奴のやることの特徴である。ちゃんと診断を受けたことはないが、なんらかの発達障害を抱えているに間違いないと内心確信している。
まず、ケンタを食するのであればウエットティッシュは必需品であることが思い浮かんだ。ウエットティッシュはちょうど切らしていた。
幸い市内のKFCへの途上にドラッグストアがある。行きつけのドラストの一つ、スギ薬局である。
安価なウエットティッシュは、難なく手に入った。上の青いロゴはアルコールタイプ、下のピンクがノンアルコールタイプ。ノンアルのほうを購入した。
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この店の近くに戦人塚という史跡があるので、ご挨拶をしておこうと思いついた。弊ブログ過去記事で、何度かネタにしたところである。
こうやって何事も自分でハードルを上げる傾向がある。
戦人塚の石碑。右上にかかる樹木が真っ赤に紅葉していて、今さらながらカエデであることに気づいた。
いい色だったので、スマホカメラで何枚か撮った。
ここからKFCへ向かうとなると、途中で前後神明社というところを通りがかる。
ここもご無沙汰だからお参りをしておかねばと思った。
つか、コロナ禍をきっかけに初詣をやめて市内の神社に「幸先詣」というのをやることにしている。
12月初旬というのはクリスマス同様、幸先詣にも少し早いかも知れないが、いいことにしてしまおう。
そゆえばX旧ツイッターで最近
「宗教に寛容というのは、クリスマスも新年も祝うことではない。
なじみのない宗教を信じる人が近所に越してきたとき、彼らを排除せず受け入れることだ」
という意味のポストを見かけた。
まことにごもっともと思ったのだが、元ポストをサルベージできない。ブックマークしておけばよかった。
追記:
b:id:snowdrop386 さんからブックマークコメントでご教示いただきました。通知お騒がせします。ありがとうございます、それです!
dynee/ダイニー @dynee_morinaga さん、FF外から引用失礼します。
「宗教に寛容」とはクリスマスを祝い、初詣に参り、仏式の葬式をあげることではなく、地鎮祭を断るイスラム教徒や、誘われた初詣を辞退するキリスト教徒を『面倒な人』の枠に入れないことである。
— dynee/ダイニー (@dynee_morinaga) 2023年11月17日
うろ覚えの記憶と原文は、ずいぶんと違うものだなやっぱり。
追記おわり
あれ、なんで駐車場から本社拝殿が直接見えるんだ? 以前この場所に、何か建物なかったっけ?
「前後神明社」で自ブログ検索して過去記事を参照したが、ここにあった建物が写っている写真は一枚も見つからなかった。
ここにもカエデがあったが、オレンジがかっていて真っ赤ではなかった。
本社拝殿。「お伊勢さまと氏神さまのお神札をおまつりしましょう」と書かれた幟が立っていた。神明社は伊勢神宮系なので。
末社。この日は、石段下からのお参りで失礼した。
ルート的に、裏口から入って正面鳥居から出ることになる。
そのはす向かいあたりに、うちの市のKFCがある。
「クリスマス予約受付中」の幟をタイミングよく撮ろうとしばらく粘ったが、風がちょっとあって上手く撮れなかった。
カーネル・サンダース氏は、すでにサンタのコスプレをしていた。
してみると幸先詣同様、クリスマスにも早すぎるってことはないのだなきっと…ってどんな理屈だ?
幸先詣とクリスマスを一緒にするのもどうかと思ったが、X旧ツイッターで最近
「宗教に寛容というのは、クリスマスも新年も祝うことではない。
なじみのない宗教を信じる人が近所に越してきたとき、彼らを排除せず受け入れることだ」
という意味のポストを見かけたのだった。大事なことなので2度言いました。
チキンと、野菜不足に少しでも抵抗するつもりでコールスローSとポテトS。
クリスマス期間にケンタがあんなに混雑するのは、「少しはクリスマスらしいことをしたい」という心理にうまく迎合するのに成功したからかも知れない。
例年この時期には「はてなブロガー」さんやX旧ツイッターFFさんが、しばしば「クリスマスらしいことをしていない」という意味のことをぼやいてらっしゃるのを見かける。
「クリスマスらしいことというのは、教会で『生かされていることへの感謝、健康であることへの感謝、生きるのに必要なあらゆるものを与えられていることへの感謝』の祈りを捧げることですよ」という茶々を、よく入れている。
そんなことをやっている日本人はほとんどいないドンマイという冗談のつもりだが、感謝の念というものは意識して持つようにしないとややもすると忘れがちになるのではないかとも思う。
そゆえば初詣についても、某有名神社の神職さんがラジオ番組で「初詣は願掛けに来るところではない、ふだん平穏な生活が送れていることへの感謝をしに来るところだ」という意味の発言をしたことがあったそうだ。誠にごもっともと思う一方、毎年多額の賽銭を集める大神社の関係者がそれを言うのはなんとなく虫がよくないか? とも思った。
私は神社関係者じゃないから、感謝しつつ美味しく頂きました。
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