元旦からではないが、今年の正月は実家に長めに滞在した。そのときの小ネタ集である。
交換した洗浄便座その後
昨年末12月30日付のこの拙記事の後日談である。
取扱説明書と請求書は、その後ほどなく届いたとのことだった。請求書はともかく、取説はなぜすぐくれない? いいけど。
上掲記事に便座ヒーターが熱すぎたと書いたが、取説を見ると温度調整方法はすぐにわかった。リモコンを壁掛けから外すと、背面に使用頻度の低い各種調整ボタンがついていた。
洗浄水や温風の温度は5段階中3に設定されていたが、便座ヒーターだけが最強の5だった。なんでだ?
3に設定し直したら、身内から「熱い方がいい」とクレームが入ったので、すぐに5に戻した。夏場になったら温度を下げればいいだけか。
請求金額は、ぎりぎり6桁だった。消費税込みで6桁に届いてしまったというべきか。
私が払うわけではないけど、内心十万円台後半、二十万円に近い額を予想していたので、ちょっとホッとした。
去年「年賀状じまい」を出した結果
後日談をもう一件。実家は長らく届いた年賀状に返信を出すだけで、その返信を作るのは私の仕事だった。だが去年は、返信の代わりに普通郵便で「年賀状じまい」というのを出したのだった。
その結果、今年はどうなったかというと、去年まで30枚近く届いていたのがダイレクトメールまがいを除くと3枚に激減した。
うち1枚は「年賀状はこれで終わりにします」という内容だった。年賀状じまいが年賀状で届いたわけだ。
残りの2枚に対して、もう一度年賀状じまいを出した。これでもし来年以降も届いたら返事はナシにしましょう、ということにした。
X旧ツイッターFFさんの談によると、年賀状じまいはこれまで年配者がやることが多かったが(うちもそれ)、若い人の間にも広まりつつあるとのことだった。年賀状の発行枚数が激減するのも無理はない、と結論づけていた。へぇ、そうなんだ。
それはともかく、なんとなく1年越しの答え合わせのような気がした。その答え合わせの結果が鮮やかだったので、もう一度やってみたい気分になった。もちろんもう一度やりたくても、できるものではない。
実家から近い神社へ初詣
コロナ禍をきっかけに有名社寺への初詣はやめ、「幸先詣」というのに切り替えている。去年は12月になって早々、現住所の市内にある神社で済ませてしまったことを、12月2日付のこの拙記事中で述べた。
だが実家のある市内の銀行に用足しに出かける道すがら「初詣」の幟を見かけた。
実家から徒歩でも至近のところだが、駐車場もあることだし、混んでなかったし(一言多い?)帰途ご挨拶のお参りをすることにした。
修行みたいな特別なことをしようと思わなければ、お参りほど易しいことはない。いつ、何度やったって構うものか。
何の変哲もない田舎の神社だが、格式は高いと聞いたことがある。
手水場。花手水になっていた。
実物を前にすると、観賞用なのか実用なのか迷いが出る。私は使わなかった。
年越しの焚火の跡があった。
本社拝殿。提灯や幔幕は正月飾りと思われ、普段はない。
ちゃんとお参りしました。
神社の右手奥に地蔵堂がある。地元民は「おもかるさん(重軽さん)」と呼んでいる。
東海地方は神仏分離が緩いことは、たびたび書いている。昔はそんなこと疑問に思わなかったけど。
おもかる地蔵賛歌
一.いつも笑顔の お地蔵さん
悲しみうれい あるならば
願いかなえて あげましょう
野々宮森の おもかるさん
二.おもかる様に ぬかずけば
やさしいお声が 聞こえます
心願かなえ たまはるや
おがみてお慈悲 だきしめる
野々宮というのは神社の名前である。
「南無地蔵大菩薩」の幟がいっぱい立っていた。
上の写真右端に見切れている説明書き。
羽島市指定有形文化財
石仏(弐軀)
永正十七年(一五二〇年)当時八世蓮如上人諸国巡錫の砌り境川の洪水のため、郷土地方に御逗留教化せられ、近郷では六ヵ寺の僧が門徒とともに上人帰衣し、弟子となって念仏を修するようになったのが今日いう川並六坊で郷土の専教坊(福安寺)と恵光坊(照西寺)は、そのとき蓮如上人六字の御名号を六坊に下付せられまた、その他郷土の門徒の中へも下付せられたと伝えられる。
重軽地蔵に安置の石仏二体は室町時代末期の作で、それぞれ、大永八年(一五二八年)二月、天文七年(一五三八年)二月の作にして、向背の銘には、「念仏講一結衆造之」とあり、その意味は「念仏講中の者が相談の上この石仏を謹造した」ということで、この時代すでに当地方は念仏が盛んであったことがうかがわれ、今日でもこの石仏を拝観する人々で往時をしのばせるにぎわいを見せている。
なお、応永八年(一四〇一年)当時の古文書によれば
「然所江吉良辻々十二仏与中十二体石仏有此十二仏夜々顕光人々恐怪之故辻々難建置此時……」とあり、この十二仏のうち現在残っているのがこの二体と重軽地蔵の三体で他の九体は不明である。
昭和四十六年九月建之
平成二十九年六月の火災により、石仏二体が破損し、同年修復しました。
羽島市教育委員会
文中の蓮如上人というのは浄土真宗中興の祖で、このあたりは真宗がやたらと強い。福安寺と照西寺はいずれも現存し、いずれも真宗(大谷派)である。
野々宮神社は鳥居が神明造りであることからわかる通り伊勢系だが、神社は伊勢系がやたらと強いのと好対照である。
地蔵堂正面。合掌礼拝しました。
実家庭のサザンカは今年は豊作(?)らしい
すでに花をいっぱいつけていた。ツボミもいっぱいついているから、まだまだこれからのようだ。
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