この拙記事の続きです。そもそもの発端は実家の身内から「久しぶりに泊りがけの旅行に行きたい」という要望があり、とは言うもののGWの十連休の最中は予約が取れるわけもなく、GW明けに私の都合のつくほとんど唯一の日程にスケジュール押し込んだのであった。
北陸方面というのも、車旅行というのも、その身内の希望だった。北陸は書籍寄贈の件があるので渡りに船だったが、運転のほうは、苦手意識があるし、昨今の悲惨な交通事故のニュースがたて続いているということもあるし、できれば避けたかったんだけどな…ここでぶつくさ言ってもしょうがないが。
目的地は、「車で便利」すなわち「ICから近い」「駐車場が確保しやすい」「ナビが教えてくれる」といった条件で選んだ。そうすると金沢では、兼六園など金沢城址周辺の有名どころになってしまった。
また「はてなブログ」では金沢というと、「金沢おもしろ発掘」の 10no3(id:k10no3)さんとか…
「カナザワンダー」の 隊長(id:outdoor-kanazawa)さんとか…
積極的に情報発信しているブロガーさんが何人もいる。
そんなで「今さら?」感なきにしもあらずだが、「別人がやると別物になる法則」の発動を期待するしかない。
今回は、旧石川県庁舎である「しいのき迎賓館」の有料地下駐車場に車を停めたところから始めようかな。
建物正面左側の、立派なシイノキ。

右側。

根本に立っていた説明書き。

弊ブログ勝手に恒例文字起こし。和文のみです。ルビ省略しています。改行位置変更しています。以下同じ。
国指定天然記念物
堂型のシイノキ
このあたりは、金沢城が築造された頃に、京都の三十三間堂を模した堂型の的場があったことから、堂型と呼ばれました。
この一対のシイノキは、なだらかな傾斜の築山状の土地に生育していることから、根が築山を抱えるように地中に伸長し、独特の美しい樹形と樹勢を保ってきています。樹木の育成に長けた人によって大切に育成されてきたものと考えられており、明治時代に石川県庁が置かれた頃の絵や写真にも見られ、樹齢約300年とも言われています。幾度かに渡り樹木治療が施されて現在に至り、旺盛な樹勢を保っています。
庁舎は大正時代に建て替えられましたが、この堂型のシイノキと建物正面が一体となった景観は、長く県民に親しまれ、この地のシンボルとして存在しています。

天然記念物
堂型のシイノキ
一、指定年月日
昭和十八年八月二十四日
二、指定理由
天然記念物指定基準
植物の部第一項
三、説明事項
向って右は根本周囲十二米
目通幹廻り七・三八米高さ十二米
向って左は根本周囲十二・二米
目通幹廻り五・ニ米高さ十三米
共にシイノイの巨樹の一つである
四、保存上注意すべき事項
(一)柵内に立入らないこと
(二)枝葉の伐採をしないこと
文部科学省
同じ説明書きが、左右のシイノキの根元に一対ずつ立てられていた。
しいのき迎賓館の向かいに21世紀美術館前のバス停があった。

バス停前あたりから、しいのき迎賓館を振り返ったところ。

少し前方に視線を移すと、金沢城址の立派な石垣が目に入った。

順番は前後するが、これは21世紀美術館の正門南口付近にあった全体図。上から見ると円形をしている。

内部の写真は遠慮しました。しいのき迎賓館やバス停からだと、北口が最寄りの入口になる。上の全体図では右上のあたりだ。
その付近にあったオブジェ。

館内でもらったA4一枚のパンフレットによると、LAR/フェルナンド・ロメロ作の《ラッピング》という恒久展示作品だそうだ。
パンフレットから説明書きを引用する。
いくつもの突起が様々な方向に突き出た形を持つ遊具作品。美術館デザインや環境と呼応するように構想された。
遊具ということは、中に入って遊べるのだろうか? この日はたまたま点検中のようだったが。
もう一つ。やはり北口付近にあったオラファー・エリアソン作《カラー・アクティヴィティ・ハウス》。中に人いるなぁ。

やはりパンフレットより。
シアン・マゼンタ・イエローの3色のガラスの組み合わせと、環境の変化や見る者の動きにより異なる色の風景が刷り出される。
同行者には館内のミュージアムショップ付近で待ってもらって、南口から近かった石川県立美術館に書籍の寄贈を済ませたことは、5月17日付拙エントリー に書いた通り。
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さて次どこへ行こうとなって、私も同行者も訪れるのは初めてではないが、近いので安易に兼六園にした。これも前述した通り。
兼六園には七つの入口があるそうだが、そのうちの真弓坂入口というところだそうだ。

追記:
入園チケットが出てきたので画像追加します。


兼 六 園 の 由 來
兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園である。金沢城に面した傾斜地に五代藩主綱紀が延宝4年(1676)、別荘「蓮池御亭」を建て、その庭を蓮池庭と呼んだ.これが本園の始まりといわれている。
その後、十一代藩主治脩が翆滝、夕顔亭を造った。文政5年(1822)十二代藩主齊廣のとき、千歳台に竹沢御殿が建てられた。曲水、七福神山などは、その頃の遺構である。
一三代藩主齊泰は、竹沢御殿を取壊し、霞ヶ池を拡張し、蠑螺山を築くなど御殿跡と蓮池庭との調和を図り、現在の大庭園を完成させた。
園名は、文政5年、「宏大・幽邃・蒼古・水泉・眺望」の六勝を兼備することから、兼六園と命名された。
ことじ灯籠と琴橋(高光一也 筆)
追記おわり
案内板。この案内板では真弓坂入口は左上にあたる。

入って最初に目に飛び込んできたのは、瓢池〔ひさごいけ〕という池だった。

説明書き。

瓢池
昔このあたりを蓮池庭といい兼六園発祥の地である。
池は瓢箪形をしているので後に瓢池と名づけられた。
前方の翠滝は安永三年(一七七四)につくられたものである。
中央奥が翠滝かな?

瓢池の向かいあたりにあった夕顔亭という建物。


夕顔亭
安永三年(一七七四)に建てられた茶室。
袖壁に夕顔(瓢箪の古語)の透彫りがあるので、夕顔亭という。本席は三畳台目で相伴畳を構えた大名茶室。
藩政時代は「滝三の御亭」とも呼ばれていた。
夕顔亭の前にあった手水鉢。


竹根石手水鉢
この手水鉢は竹の化石のようにみえるため、この名があるが、椰子類の茎と根の化石で、学術上極めて珍しい。
夕顔亭前の小路を北に向かって進む。先の案内板では右方向、園を時計回りにめぐる形になる。

「↑ 徽軫灯籠・噴水」「霞ヶ池→」と道標が出ていた。
「徽軫」は「ことじ」と読む。「琴柱」という漢字を当てたほうがわかりやすいはずだ。兼六園おなじみの、あの灯篭のことだ。
噴水が先に見えてきた。



噴水
この噴水は、霞ヶ池を水源としており水面との落差で、高さ約三・五メートルにまで吹き上がっている。
日本庭園では、大変珍しく、十九世紀中頃につくられた日本最古のものといわれている。
売店があった。こういう光景、わりと好きである。

「山査子〔サンザシ〕」という名札のかかった白い花。

さらに進むと上り坂となり東にカーブし、霞ヶ池に出る。
ことじ灯篭の写真を再掲。
上の写真の左手あたりに、たくさんの支柱で支えられた立派な松があった。


唐崎松
十三代藩主前田斉泰(一八二二~一八六六)が、琵琶湖の松の名所唐崎から種子を取りよせ育てた。
角度を変えてもう一枚。顔消し失礼します。

霞ヶ池を右手に見ると、左手にはこんな光景が。


眺望台
ここからのながめは、兼六園の六勝のうちの一つ「眺望」を味わうことができる。
左のはるかに横たわる稜線は内灘砂丘、その向う側が日本海、砂丘が右に尽きるところから能登半島が北にのびている。
正面の山は卯辰山、右は遠く富山県境の医王山がのぞまれる。
2枚上の写真が「左」すなわち進行方向から見て後方で、これは「右」すなわち進行方向前方。説明書きに出てくる地名のどれがどのへんにあたるのかは、私にはわからない。

「旭桜」という札のかかった立派な桜木。残念ながらつか当然ながらつか、すでに葉桜の時季だった。

「雁行橋」


雁行橋
一枚一枚が、亀の甲の形をしているので別名亀甲橋ともいう。
十一枚の赤戸室石で雁が列をなして飛んでいる姿につくられており、かりがね橋ともいう
「七福神山」


七福神山
文政五年(一八二二)に建てられた竹沢御殿からながめた築山である。
自然石を左から順に恵比寿、大黒天、寿老人、福禄寿、布袋、毘沙門天弁才天にみたてて配している。
別名福寿山ともいう。
やはり、どれがどれだかわからなかった。

「兼六園菊桜」


兼六園菊桜
一つの松に花弁が三百枚を超え、ちょうと菊の花のように咲き、落花の時は花柄ごと落ちる。
開花期は四月中旬から五月中旬頃で、花の色は濃い紅から薄紅、落下が近くなると、ほとんど白に近い色に変わる。
なお、昭和三年(一九二八)天然記念物に指定された初代兼六園菊桜は、昭和四十五年(一九七〇)枯死した。
「根上松」


根上松
十三代藩主前田斉泰(一八二二~一八六六)が、稚松を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられる。
「辰巳用水」


辰巳用水
寛永九年(一六三二)金沢城の堀の水や防火用水としてここから約十一キロメートル先の犀川上流から引かれた。
工事の設計施工は小松の町人、板谷兵四郎である。
日本武尊の像


日本武尊の像
明治十年(一八七七)西南の役で戦死した郷土出身の将兵を祀った記念碑である。
銅像の身長五・五メートル、台石の高さ六・五メートルで明治十三年(一八八〇)に建てられた。
霞ヶ池方面へ引き返した。


霞ヶ池
天保八年(一八三七)に堀りひろげられた池で、広さは五八〇〇平方メートル。
池の中の島は、蓬莱島といい、不老長寿をあらわしており、また亀の甲の形をしているので、別名、亀甲島ともいう。
ツツジの植え込み越しに蓬莱島を。

池の対岸に見える建物は「内橋亭」というらしい。

内橋亭
もと蓮池庭にあった四亭の一つである。
明治七年(一八七四)兼六園が一般に開放されたあと、この地に移築されたものである。
内橋亭は休憩所として中に入れるらしい。入らなかったけど。


「栄螺山」


栄螺山
霞ヶ池を掘りひろげたときの土で盛りあげたもの。登り路が螺旋に作ってあり、その形がさざえに似ているので、栄螺山と名づけられた。
山頂に、からかさ型の避雨亭があるので別名「からかさ山」ともいう。
栄螺山の山頂には、立派な三重石塔もあった。からかさは石塔の隣の、さらに少し高いところにあった。

栄螺山を通り過ぎると瓢池の裏手に出て、兼六園をおおざっぱに一周したことになったようだ。
この日の宿は金沢市から車で1時間ほどの「大江戸温泉物語 片山津温泉ながやま」というところを予約していた。

夕食のバイキング。いろんなものが供されていたが、真っ先に寿司を拾ってしまった。あとサラダとアラ汁。さらにいろいろお代わりした。グラスビールは別料金だった。

この項続く。
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