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津市お城西公園を鈴鹿大学裁判第5回期日傍聴前に散策したが目ぼしいものはなかった

10月26日に鈴鹿大学裁判の第5回期日があり私も傍聴したが、これまで通り裁判戦略のため裁判の内容や感想を個々の支持者が発信するのは自重すべきと判断している。

代わりに支援団体が発信したメールニュースを 昨日付拙エントリー に転載した。

  • 労働法の権威の学者が書いてくれた意見書を裁判所に提出した
  • 三重県労働委員会から不当労働行為を認定する命令書が発出された
  • 同命令書に基づき被告にポストノーティスを提出させた

の3点が、新たなかつ重要な進展だった。google:ポストノーティス というのは、私は知らなかったが早く言えば謝罪文にして覚書のようなものだそうだ。

これらの意味や解釈をめぐって、裁判後に行われた報告会で様々な話を聞いたが、そういうことをここに書くわけにはいかない。たぶん書いてもいいと思うけど、私は法律にはシロウトなので不正確な点が混じるに違いない。

 

代わりにこれまで傍聴の折は、津市各所の散策記事を書いてきた。前回は三重県総合博物館でたまたまやっていた高畑勲展というのを見に行ったらよかったので、2回に分けてエントリーを書いた。

www.watto.nagoya

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津駅西口側という同じ方角には、もう一つ「三重県立美術館」という施設がある。博物館より駅からだいぶ近く、歩くのが苦にならない距離である。今度の第5回期日前にはそこを訪れてみようかなと思ったが、前回博物館に行ったのは暑い盛りだったので下手に散策して熱中症になったらたまらんと思ったからだった。今はちょうど暑くもなく寒くもないので、どこか歩くべきだろう、次回第6回期日はどうせ2~3か月後だろうから寒い時季にあたるだろうし、美術館はそのときしようと考え直した。

実は単純に寝坊して、美術館を見て回る十分な時間がなさそうだったことは黙っていよう。

 

で、どこを散策したかというと、津城跡公園に隣接して「お城西公園」というのがある。津城跡公園は提訴時に見に行ったが、お城西公園の中はまだ見ていなかった。

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城下町あるあるで、城跡公園は市役所など官庁街に隣接している。ということは自治体の予算がついて決してぞんざいな管理はなされていないだろうと想像する。この10月に訪れた国営木曽三川公園のように、季節の花がいっぱい植えられていたらいいなと期待した。

 

残念ながら、この期待は外れた。もちろん綺麗に管理されていたが、ブログタイトルに「目ぼしいものはなかった」と失礼な文言を掲げたのは、花壇のようなものは見当たらなかったという意味である。もし関係者の方々の気分を害するようなことがあったらごめんなさい。

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近鉄から津地裁へは、津駅より津新町駅で下車した方が近い。お城西公園は津新町駅から地裁へ徒歩移動する経路上にあるのだが、マップを見るとその手前に津市役所がある。

リアルで歩くと、津市役所の庁舎(写真右奥のコンクリ造り)よりもずっと目立っていたのが、手前の「津リージョンプラザ」という建物だった。

 

図書館、保健センター、展示室、会議室などを集めた施設とのことだった。


この建物の駅から見た裏側つか北側に、お城西公園への入口があった。

入口は何か所かにあるけど、南口というのだろうか?

 

とても広く、ゴミや雑草は見当たらないということはきちんと管理されているのであろう。だがやっぱり目ぼしいものは何もないよね。

いやしかし市の中心部にこういうスペースがあるということは、集会場などに使うことができるので民主主義のためには大事なことと考えるべきか。

 

上の写真の左手。芝生広場と、奥にステージ(?)と四阿。

 

時計回りに敷地のフチを歩いた。枯山水のような大きな石。

 

ところどころ紅葉が始まった樹木があった。スマホ写真では、紅葉の具合がよくわからないけど。

 

少女の銅像。台座に「希望」と書いてある。

 

上の写真の左側に、こんな記念碑があった。

弊ブログ勝手に恒例、文字起こし。改行位置、変更しています。以下同じ。

切支丹殉教記念碑

寛永十五年(西暦一千六百三十八年)此年 中島長兵衛三百石ヲ食ス邪教ナル事 公廰ヘ訴人アリテ東府ヨリ達スルニ依テ糺明ノ上夫婦共改宗ノ事ヲ勧レトモ妻トモニ聴入レズ依テ其比ノ制法ノ通リ勢津丸ノ内式部蔵ノ前ニテ活ナカラ逆力磔ニ掛ル諸人見ナレヌ事故ニ興ヲ覚シ遠見ス斯テ四五日ノ間日夜両度宛鉤縄ヲ下ロシ湯水ヲ飲ス然レトモ一向改宗セズ日々ニ頭面大ニ腫レ言舌モ最通ラス七八日過テ息絶タリ其上ニテ塔世川ノ下ニ獄門ニ梟首ス頭面ハ平生ニ陪ス見ル者目ヲ驚ス
  藤堂藩史料公室年譜略巻二十一
男子二人ハ父母ノ前ニシテ打首也キ四人之頸ハ塔世流下ノ塘下二晒見セラル
  藤堂藩史料視聴混雑録貞巻二十一
慕府によるキリシタン弾圧の歴史を心に刻み信教の自由が全人類に永久に保障されることを願ってここに建立する
平成十七年十二月
 切支丹殉教記念碑建立委員会

悲痛な文章である。「何もない」という形容は、あきらかに誤りだったな。

 

四阿の裏手に、よくわからないオブジェがあった。台座には寄贈者名しかなかった。

 

敷地の北側まで来た。「お城西公園」の石刻門標があった。

 

逆光で見づらいが、正面奥が市庁舎である。

 

敷地北東隅にあった時計台。右奥はNHK津放送局の電波塔である。

 

時計台を背に交差点の対角線方向を見ると、津法務総合庁舎の建物があった。その右側にあるのが津地裁のプレハブ仮庁舎で、新庁舎が建築中である。

 

お城西公園の東隣が、津城跡公園である。

「津城跡北堀」という石刻門標があった。

 

開廷時間が迫っていたので、城跡公園の敷地内には入らなかった。代わりに北堀沿いをちょっと歩いた。

お城の存在感は突出しているよね、やっぱり。

 

北堀沿いを西端から東端に歩ききったところに、金属プレートの説明書きがあった。

  北多門櫓
 津城本丸の北側を守備する多門櫓である。東側に丑寅櫓、西側に戌亥櫓を接続し、桁行(長さ)約四十七間半、梁間(幅)三間という長大なものであった。内部は三間ごと十六室に区画され、有事の際は防御の拠点となるほか、平時は物資の貯蔵に供されていたと考えられる。津城は同様の多門櫓で本丸のほぼ全周が囲まれており、連続的且つ竪固な防御体制であった。

こんな説明書きは、探せばたくさんありそうだ。

 

遊具がぽつんと置かれていた。なんとなく寂し気だった。

 

ということで裁判所に移動して、傍聴の準備に入った。

これは「傍聴者に配るのを手伝ってくれ」と手渡されたチラシ。なんとなく大袈裟に言えば、現実に引き戻された感を感じた。

 

チラシの文面は電子データで貰っているので貼っちゃえ。折込の反対側は署名用紙である。

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