🍉しいたげられたしいたけ

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田舎と都会の境目においての弔事をめぐる意識差について

ブコメやツイッターに、何度かこんなことを書いている。 

2千6百年前にインドで死んだうちの師匠は、我々弟子全員に、こう命じた。

「大切な人を亡くした人の、ただそばにいてやれ。黙って一緒にいてやれ」

あの野郎、実はとても難しいことを、いつも簡単そうに言いやがる…google:諸悪莫作 衆善奉行 なんかもそうだけど。

 

葬式も法事も、本質はそういうことなのだ。作法なんぞは後世の人間が決めたことだから、気にする必要はない。ただ師匠の命を守れぬ自分を恥じるのみ。

 

ついでに言うなら、もし誰かから「おめいつ弟子入りしたんだ?」と尋ねられたら、こう答えるであろう。後世の人間が、師匠に弟子入りする作法を事細かに決めていることは、もちろん知っている。だが、声聞とか私度僧とか文字の弟子とか言って、勝手に弟子入りを決め込んでいる者もまた、ごまんどころか五億でも足りない。だから、これも気にしないのだ。気にするのは、いつも師匠の命を守れぬことのみである。

 

しかしこれらは私個人の心象にすぎないのであり、世間というものが絡むと、とたんに面倒になる。一人で悼むことと、世間体に合わせて振舞うことは、別物だと割り切るべきだという世間知くらいは、さすがに持ち合わせている。

だがその世間体というものに、統一された基準があるわけでないから話がややこしい。地域差はもちろんあるだろうが、狭い地域内でさえ驚くほど差があるのだなと、つくづく思わされた。今回のエントリーでのっけから信仰告白めいた愚考を開陳したのは、そういう事態に直面したときには自分の内面にスタンダードを持つしかないと考えたからだ。

 

一言で言えば、面倒臭い思いをしたということです。いやまだ現在進行形で、過去形にはなってないな (-_-;

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八月の後半、盆明けくらいに、親戚筋で不幸が相次いだ。8月20日付21日付 の拙エントリーにちらりと書いたが、詳しいことは書かなかった。 それぞれ父方と母方のきょうだいまたはその配偶者といったところで、80代または90代と高齢だった。それゆえか、ご遺族も少なくとも外見は淡々としておられたように見受けられた。

 

問題は、外野なのだ。それぞれに独自のルールを持っている周辺なのだ。

 

区別するため、父方、母方とだけ書こう。よもやこれだけで特定されることはあるまい。

まずは父方。盆明け早々に、実家の老母から訃報を受け取った。盆の期間と言うことで坊さんの手配がつかず、2日後に通夜、3日後に告別式というスケジュールだとのことだった。

私を含む親戚は、通夜か告別式、またはその両方に出席してくれということだった。まあそんなもんだろうと思った。

 

2日後かと思ってのんびり構えていたら、同日中に別の身内から電話がかかってきて、弔問に行かないのかと問い詰められた。興奮した口ぶりだった。

母親から通夜と告別式にだけ出ればいいと聞いていると応答したところ、あんな人の言うことを信用するのかと言い返された。確かにうちの母親は天然タイプだし、また身内だからといえ、いくらなんでもそこまで言うか?

こちらとしては母親からの情報を信じるしかないし、それにちょうど台風10号が接近しているときだったので無理はしたくないし…などと反論してみたが、聞く耳をもたない。あんた(私のこと)は本家筋の長男なのだから、義理を欠くことは許されないというようなことの一点張りである。ブログには多分まだ書いたことがないが、私は長男であり、亡父もまた亡祖父の長男なのだ。

 

やれやれと思いつつ、日もとっぷり暮れた頃になって、不幸のあった親戚宅まで車を走らせた。幸い雨風はたいしたことなかった。

亡くなった人には何人か子どもがいて、私から見たら従兄弟にあたる。そのうち一人だけが同居していて、カギを開けてくれた。

その晩の弔問客は、私一人だけだったようだ。

居間に棺が置かれ、焼香台が設けられていた。焼香台の炭には火がつけられていなかったが、形ばかり焼香の真似事をして合掌した。

従兄弟と少し話をした。通夜や告別式の手順は葬儀会社の言われるままにやる予定で、寝ずの番とか特別なことは何もやるつもりはないとのことだった。

私に弔問を強要した身内は、自分でも弔問に来ようとしたらしかったが、たまたま同居者が留守のときと行き違いになって果たせなかったとのことだった。心密かに少し「ざまみろ」と思ったが、黙っていた。

 

これで私としては、内心「ははぁ」と納得するところがあった。つか読んでいただいている方には解説がいるだろう。

私の実家は自営業だった(現在廃業)。身内の結婚相手の家族は、会社を同族経営していた。

いっぽう、不幸があった親戚の家族はサラリーマンつか公務員一家だったのだ。

自営業や会社経営者の場合、人脈が経営の命であり、誰が真っ先に弔問に訪れたかというのが、のちのちの信用に関わると言われる場合があるのだろう。具体的に信用がどうのこうのというわけではなく、派生的に同調圧力が発生し、関係があった者はまず弔問、ということではないのかな? とにかくそういう妙な文化が一部でまだ生きている。

私は後半生ずっと給与生活だからわかるが、サラリーマンの場合、そこまでの同調圧力は発生しない。そんなことをして翌日の仕事に影響を出すわけにはいかないのだ。現役の同僚社員が亡くなったこともあったが、通夜と告別式にだけ出席して、いや通夜だけだったかな? とにかく翌日は普通に仕事をしていたものだ。

同族経営、一族支配の会社で経営者やその身内が亡くなった場合、社員全員が葬儀に駆り出されることは、あるのかな? あまり想像したくない。

 

通夜と告別式の会葬者の数も、経営者や自営業者と、公務員やサラリーマンでは大きく違う。

うちの実家の場合、今は全然さびれちゃっているが商店街と名のつくところに立地していたためか、祖父や父親が亡くなったとき、まず町内会の役員に当たっていた誰かに連絡した。そして通夜や告別式には、町内からの出席者もかなりいた。商店街は持ちつ持たれつなのだ。

公務員やサラリーマンの場合、近所の人までが会葬に出るなんてことは、まずないんじゃないかな? いやよっぽど親しかったら別かも?

 

親戚とはいえ、職業など環境が違うと弔事のマナーつか意識がこれだけ違うというのも面白く感じた。「田舎と都会」と雑に言い換えてもいいかも知れない。よく言われるように、名古屋は巨大な田舎なのだ。東海地方の狭い範囲でこれだから、地域が広がると地域差というものも出てくるんじゃないだろうか?

文化の違いというのはどこにでもあって当然だが、問題はその文化の違いの狭間に捉われた時だ。

ごく一例として、寝ずの番という習慣が一部ですたれないのも、深夜に訪れる弔問客に対応するためという側面があるからかも知れない。

私は父親のときと祖父のときに、寝ずの番をやったぞ。深夜の弔問客なんか来なかったのに…(-_-;

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続いて母方のほう。父方とは1週間ほどの時差があった。

こちらは即日弔問に行けなどと言いだす身内はなく、通夜と告別式だけの出席でよかった。

時代が時代だけあって、父方も母方も大家族であり、きょうだいの数がやたらと多い。前述の通り父方は長男の長男だが、母方はきょうだいの末のほうなので、それだけの違いでもずいぶんと気が楽だ。言葉を変えれば疎遠ということでもある。

しかし久しぶりの対面と言うことで、他の会葬者からはフレンドリーに接してもらえた。いらんことだが私はあと何年かで還暦のジジイであるにもかかわらず、上の世代からだと未だに下の名前に「くん」付けである。気恥ずかしいことこの上ないが、耐えるしかない。

 

だが、控室できょうだいのうち年長者、いわゆる長老組を中心として、葬礼のマナーに関する話が始まったあたりから、だんだん雰囲気がおかしくなってきた。雲行きが怪しくなったというやつだ。

亡くなった方のご家族はやはりサラリーマン一家で、父方に輪をかけた淡白さだったのだ。

遺体は葬儀会館に一晩中安置されて、次の日の朝に葬儀会社の人が会場の扉を開けるまで放置状態だったという。寝ずの番どころではない。

告別式後は即座に散会となり、荼毘と骨上げは家族だけでやったが、これも長老組にはご不満だったようだ。なんでも火葬の間に、おときとか精進落としとか称して食事を出すのが常識ではないかというような言い分だったと思う。私個人の意見としては、とっとと散会して好きなものを食べた方がいいように思うんだけど。

 

ここから先は、後日、母親から伝え聞いたことである。会葬者にはお茶っ葉とか海苔とかちょっとした会葬御礼が出るのがうちの地方の習慣だが、それに添えられていた礼状に手違いがあったとのこと。なんでも通夜の文面の礼状が告別式に出て、告別式の文面の礼状が通夜に配布されたらしい。要するに入れ替わっていたようだ。だがそれは葬礼を仕切った葬儀会社の責任であろう。つかどっちでもええやんと思うのだが、ダメなのかね?

そんなこんなが積み重なって、四十九日の法事を家族だけでやると聞き及ぶに至り、長老組がブチ切れたのだそうだ。法事は親戚一同を呼んでやるのが当然であろうと。

いやはや、その場に居合わせなくてよかった…

 

しかし累はしっかり我が身にも及んだ。親戚の一員として、四十九日に出席しなければならなくなったのだ。

つか多分これで終わりじゃないぞ。おそらく来年の一周忌と、再来年の三回忌あたりまでは「親戚一同で」となる可能性が高いと思われる。親戚筋で諸事情により四十九日やその他法事をやらなかった家族はあるし、盆明けの残暑厳しい折に礼服を着るのはシンプルに苦痛なんだけどな…

 

すみません、以下はネット上での私信です。関東地区で開催予定の某オフ会に、出席すると一旦回答しましたが、急遽キャンセルとDMした事情は上記によります。「先約が…」などという言い訳が通用する集団ではないのです。ご迷惑をおかけし申し訳ありませんが、どうかご理解を m(_ _;)m

 

サムネイルは 菩提樹の木の下で悟りを開くブッダのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや よりお借りしました。 

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